公務員から民間企業に転職したときの話
ただの回顧録。気の向くままに書き記しただけ。
もうかなり昔の話だが、私は新卒でとある県庁に入庁し、3年程度務めた後に民間企業(東証一部上場・機械メーカー法人営業)に転職した。※その民間企業も辞めてしまった。
どうしていま振り返りたくなったのか、ひさしぶりに結婚式に呼ばれ東京に行くことになったからかもしれない。当時のことを思い出すと、とても辛く、でも確実に自分の成長や価値観の形成に繋がった経験だと思える。
新卒で公務員となった私-
県庁に入庁したときはちょうどリーマンショック後で、景況の良くない時代だった。県庁に採用されたと報告すると家族中が歓喜し母親は周囲に息子は将来安泰だと言いまわっていた。
一方、私の心の中は暗澹としていた。
別に採用をもらっていた民間企業があり、本心ではその企業で働いてみたいと考えていたが、公務員試験も受かってしまい、結果民間企業の内定を辞退してしまった。
自分の本当の気持ちに素直になれずに親のことや世間体を考えて結論を出してしまった自分をバカだったと後悔し続けていた。
最初の配属先の上司が陰湿で意地の悪い人物で、そのことも一層後悔の念を高めた。
職場で他の職員が上司から怒鳴られているパワハラ現場を見ることもあった。明らかに精神に障害を負った人が、庁舎内をふらふらと彷徨っていたり、自殺者が出たり、隣の課の人物が横領で捕まったりなど、明らかに職場の雰囲気としては暗く、このままここであと40年近くここで務める自信がないと思うようになっていった。
入庁3年目についに精神的限界を迎えてしまい、民間企業への転職を決意した。
さっそく転職サイトに登録した。
登録後即座にエージェントから呼び出され、喜んだことを覚えている。しかし、初回の打ち合わせで、公務員から民間企業への転職は無謀だと転職エージェントから言われてしまった。
私の希望先はことごとく無理だと否定され、代わりに全く興味のない会社を紹介され続けた。
腑に落ちないので、エージェントを介さずに直接採用サイトから申し込みをしたら、ポンポンと申し込んだ2社から内定をもらうことができた。ちょうど「第2新卒」というのがはやり始めたころで、1社目2~3年で合わなかった人を採用しようという機運が世間的に高まっていたことも背景にあると思う。
「転職エージェントの言うことなんて当てにならんな」
これが私が得た教訓。
複数内定をもらったが、東京にある大手機械メーカーの法人営業職に決めた。新卒時に内定を辞退した会社も取り扱っている製品だったので、自分が諦めた夢がまた繋がったような、そんな高揚感に包まれていた。
内定が決まってからの私は早かった。
もう県庁にいる理由などない。東京でバリバリ働く!
さっそく上司に告げると瞬く間に課内にうわさが広がり、代わる代わるいろんな人から慰留された。
ちょうど東日本大震災の起こった年で、社会がまだ喪に服しているような雰囲気だった。そんな情勢で公務員を辞めるなんて自殺行為だといろんな人から言われたが、もう決心していたので、転職を辞めようという気持ちは揺るがなかった。
一番大変だったのは家族を説得することだった。特に母親は泣いて公務員でいるように懇願した。
母親の期待を背負って生きてきた私は、今回の転職が自分の人生の分岐点であると確信していた(実際に分岐点であった)ので、母の強い反対をはねのけて上京した。
東京へ―
田園都市線の急行の止まらない駅から徒歩15分のところにある社員寮に住み始めた。
職場までは電車を2回乗り換えて1時間45分かかった。
出社初日から満員電車に揉まれ都会の洗礼を浴びた。
仕事内容は、法人営業として顧客の希望を聞いて工場の生産状況を確認して各所に指示を出すものだった。
この調整があまりにもきつかった。
工場が「納期までに作れない」とか「失敗した」とかを言ってくるので、顧客に状況を説明するものの、「納品できないなら取引辞めるよ?」と言われ、工場からは「納期内での納品はどう考えても無理」と言われ、上司からは「何とか調整しろ」と言われて転職してすぐから胃が痛い日々が続いた。
何より苦しかったことは、その上司から嫌われてしまったことだった。
「お前はダメな奴だなぁ。いい加減覚えろよ。やる気がないんじゃないのか」「お前さ、期待されて採用されてんだからもっと期待に応えろよ。俺の引継ぎをしてくれる約束でここに来たんだろ。このままじゃ、ずっと俺がお前の面倒見なきゃいけないじゃないか」
そんなことを仕事後に酔っぱらって電話をかけてきて1時間半くらい付き合わなければならなかった。
無言でいると「どう思うんだ?何か言えよ」と追い打ちをかけてきた。「はい、言われた通りだと思います」と返すと「いやだからさ、はいはい言ってへこへこするんじゃなくて、具体的にどう改善するのか言ってみろよ」と言われ、とりあえず「次回はこういうことに気を付けます」というと、今度は別の日に「お前あのとき自分でああいったのにできてないじゃないか」と言ってきた。
電話はだんだんエスカレートしたうえに、毎日かかってきた。
電話を取るのがつらくなって、電話を無視するようになった。翌日出社すると上司は「お前さ、なんで昨日電話でなかったんだよ。」と不満そうに言ってきた。
厳しい人だったので、満員電車で立たなければならないときも立ったままノートパソコンを開いて仕事をするように指示された。
私はだんだん元気がなくなっていった。
「お前さ、ビールはうまそうに飲めよ。そんな顔で飲んでるからまずいんだよ」嫌いだったビールもこういわれて飲まされ続けた。
その会社の屋上からは東京タワーが見えた。私はときどき屋上に行って、東京タワーを見つめながら、生きる意味を自分自身に問うていた。
過去の自分の選択に対する後悔と私が望んだものが手に入らないという絶望が頭の中でぐちゃぐちゃになっていった。
ある日の朝、品川駅で満員電車から降りたとき、隣の車両の扉から出てきたサラリーマンが突然ひざから崩れ落ちて倒れたのを見た。私と彼が重なった。
会社の屋上から見える景色は灰色なのに東京タワーの赤色だけやけにまぶしくて、まるでタワーが自分に向かって何か伝えたがっているようにも見えた。それはもしかしたら自分のエネルギーが燃え尽きようとしているサインだったのかもしれない。
追い詰められていって、結局このままじゃだめだ逃げようと思って転職を決意した。
もう辞めないと決めたのに、また辞めてしまったという罪悪感が自分を責め続けた。
その民間企業を退職して2年くらい経ったとき、当時の上司から電話がかかってきた。
取ろうか迷ったが、渋々取ってみた。
第一声は「元気してるか?」みたいな内容だった。
私が退職した後、その上司は大阪に転勤になったが、その間貸していたマンションの入居者が夜逃げし、部屋がめちゃくちゃにされたとのこと。修繕に200万近くかかったみたいなことを言っていた。
その報告を突然なんで私にしてくるのか理解できないでいると、「当時は色々すまなかったなー」みたいなことを言ってきた。
「別に気にしてないですよ」心にもない返事をした。
なんとなくそこでいったんリセットされたようなそんな気持ちだった。
結局、私はその後も転職を繰り返し、今も人生に迷っている。MBTI診断でINFPという結果が出ている自分は、どこにいっても悩みからは解放されないのだと思う。
ふと思い出す私の転職の第一歩。
長く同じところに勤めれる人は本当にすごい。
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