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常識にとらわれない事が、真実を見抜ける手段の一つ!

常識にとらわれない事が、真実を見抜ける手段の一つ!

この世の中、調べていくと矛盾だらけだということに気がつく。
そして多くは、何の疑問もなく取り入れられ、常識として根付いてしまう。
一旦、常識として広まると、覆したり反対意見を言うと、異端者扱いされたり、まともに話を聞いてもらえなくなったり、聞いてもスルーされる可能性が高くなる。
陰謀論、都市伝説といったレッテルを貼られ、タワゴトとされてしまう事も多いだろう。
つまり、議論や対話が出来なくなる。
場合によっては、ちゃんとした意見も言わず、否定されたり攻撃的言葉を投げかけられる事もある。

私は、いつも思うが、あなたは何処までちゃんと調べた?
その思考は誰かのコピペではなく、自分がさまざまな情報や周囲の状況、実体験を比べ判断したもの?

特に最近では、テレビを含むメディアが、新しいことも含め、ほとんど同じ方向を向いて報道している。政府側と同じ向きで。
この違和感を私は少なからず感じている。
かなり以前からだけど、まるで情報統制でも敷かれているように。

又、ネット側ではさまざまな意見が出ているが、メディアとは反対意見が結構出てきている。
これは海外でも同じ状況のようだけど、日本のメディアは海外情報においても報道に偏りが見られ2つの方向性があっても、片方は取り入れず無視状態、片方はほとんどのメディアで大々的に報道するということもある。
事、政治や最近ではコロナ、戦争等に関することは。

どちらが本当なのかというのはわからないが、結局のところ、現実と比較するしかないと私は思っているし、私は真実が知りたいという信念を持って、知りうる情報において特に違和感のあるものは、あらゆる事象を観察・考察している。
それは、当然、物理や化学、歴史においてもそうであり、違和感を感じること全てにおいて、そのコアを見つけ考え直していくというスタイルである。

だから、当然陰謀論と言われるものだったり、都市伝説というものに対してもどちらが現実に近いか、真実とは?という観点でみている。
意外と面白いのは、そういうものは、往々にして新しい視点が見えてくるという事。
そしてその答えは、自分の考察の方向性の1つとして取り入れている。
そうして、方向性を増やしていくことで、真実に近づいていくものだと、理解している。
まあ、全てをとり入れるわけではないけど、誤ったと思える考えも、知らないより知っておいた方がいい。
人それぞれ意見もあるだろうし。
人の思考は、こういう事においても育っていくのではないか?と思う。
注意点としては、知ろうとする事は大事だけど、誤った固定観念は命取りになりかねない、と言う事も知っておくべき。
常に柔軟に、視点を変えていくと言う事が、誤った考えに固執しないことになる。
その柔軟性は、常識を取り払う必要も出てくる。

私は、自然や循環を基本軸として関係や関連性を学ぶことが真理追求に近づけるのだと考えているし、一番の自然体だと思う。

その考えは、記録を残すという意味と、私が得た情報のように、誰かの視点又は視点のキッカケの一つとなってくれたら幸いです。

以上

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