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食べて応援

被災地などで採れた野菜を積極的に食べることで現地の人たちを応援しようという動きがある。それで救われる人がいるなら結構なことだと思う。主旨がブレるので今回は放射能とか風評被害については言及しない。

「食べて応援」という表現にさっそく欺瞞がある。食べるにはまず買わないといけない。そして、この場合の応援は紛れもなく金銭的援助を指す。つまり一から十までお金の話なのだが、それを前面に出すと反感を買うから隠している。詐欺師みたいな巧妙なやり口に惚れ惚れする。

この慈愛に満ちた言葉で人々の経済活動に干渉しようとしている。経済は商品価値と貨幣の等価交換で成り立っている。そこに競争原理が生まれ、売り手は商品の質を上げたり、生産コストや輸送コストを下げて価格競争を行う。食べて応援はこの競争に善意を持ち込む。

同じ商品価値で同じ値段か少々高い程度なら可哀想なほうを選ぶように仕向けているのだ。個人が各々の判断で選ぶのは自由だが、それを外から(売り手からではないと思いたい)誘導するのは気持ち悪い。また、競争に負けた敗者の存在も無視できない。

食べて応援することが悪いとは思わない。ただ、こいつらはどうせ寄付なんかしないんだから善意をくすぐって買い物で金を使わせようという魂胆が透けて見えるのが気になる。考えすぎだと言われればそうなのだろうが。