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Our Garden

「またいる!」

 このところ、朝になると新しいスギナが生えている。雨が降った翌朝など最悪だ。花々の根を傷付けないよう注意しながら、掘れるところまで掘ってできるだけ地下茎から取る。これは労力がかかる割に、ほぼ無駄な抵抗だ。翌朝にはまた別のところから生えてくる。

 去年の春、まだ前のマンションに住んでいたころには、観葉植物一つ置かない暮らしだった。まさか、自分が日々スギナと格闘する生活を送ることになろうとは思ってもみなかった。

強敵のスギナ

 世がコロナ禍に見舞われた二〇二〇年、カルチャースクールや公民館が軒並み閉館する中で、私は自宅サロンの建設を思い立った。縁のあった土地は、一軒分を二軒に分けた奥の旗竿地。道路からの通路部分は「二台分の駐車場にできますよ」と言われたが、この先も車を持つ予定はない。サロンにいらっしゃる受講生さんを出迎える庭にすると決めた。

 庭木について、造園について、色々と調べるなかで急に思い付いたのが、「母にプロデュースしてもらうのはどうか」ということだった。

 母はもう二十年以上、ガーデニングに凝っている。自宅だけでは飽き足らず、近所の中学校の土手にまで草木を植え、世話しているほどだ。四月には花桃、六月は紫陽花が十数メートルに渡って咲き誇る土手は、市内のちょっとした名所になっている。その母に頼めばいいではないか。家の予算も膨らむ中、我ながらいいことを思いついたものだと相談した。

実家のそば、母が長年世話をしている土手の花々

 母はそこから約八ヶ月かけて、植える草木を考え、苗や球根などを集めてくれた。新たに買った苗木もあれば、三重の庭に咲いていた宿根草も。あれやこれやを車に詰め込んで、両親がはるばるやって来たのは十一月中旬。小春日和の午後、我々夫婦と四人で小半日かけ、全てを植えた。

 園芸未経験で、黒ポットから恐る恐る苗を取り出していた私を見て、母は「あんたはあてにならん」と大笑い。農家出身の夫に世話のあれこれを伝授して帰って行った。

 十一月以降はただでさえ庭がさびしくなる時期だが、植えたての草木はさらに頼りなかった。冬枯れの中、日本小菊や寒菊の花だけが柔らかく光るように見えた。水原秋桜子のいう〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉をしみじみ実感する。

 彩度の低い冬の庭を眺めているうちに、思わず、園芸店でハボタン、パンジーやビオラを買い求めている自分がいた。冬でもはなやかな彼らを、母の計画を邪魔しないよう、寄せ植え鉢にした。

吉田が買い足した鉢植え

 週に一、二度、鉢に水をやりながら、私はだんだん庭の草木の変化に気が付くようになる。春に向かっていく時期、毎日の変化は数も度合いも大きくなっていく。

 いつからか、芽吹いた枝に気付くたび、ふくらむ蕾を見付けるたび、新たな花が開くたび、写真を撮って母にラインで送るようになった。何十株もあるクリスマスローズの盛りの時期は写真フォルダがいっぱいになった。ラインが「既読」になったら、電話をしてその感想や今後の世話の仕方などを語り合う。十八で家を出てから、今が一番、母と濃密にコミュニケーションを取っているのではないか。

 気付けば、私の趣味はガーデニングになっていた。

芽吹いてきた枝垂れもみじ

 先日、庭先で雑草取りや花がら摘みをしていると、家の前を通りかかったおばあさまが声をかけてくださった。

「たくさん花があっていいわねぇ。うちはこういうガーデニングができないから、代わりに散歩のときにここで楽しませてもらってるの」

「嬉しいです。ありがとうございます。田舎の母が植えてくれたものなんです」

「お母様の優しさが出ているお庭ですよ」

「六月には紫陽花もたくさん咲きますから、また楽しみに通ってください」

 三重の母の花木が、三鷹の娘の庭で街の人を楽しませている。

 何ということだろう。

 ――この一件の直後、思わず母に電話をしたのは言うまでもない。

春らんまんのお庭

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