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43−1.「複雑性PTSD」は心理職の必須テーマ

特集:心理職の専門性を高めよう!

原田誠一(原田メンタルクリニック院長/東京認知行動療法研究所所長)
下山晴彦(跡見学園女子大学教授/臨床心理iNEXT代表)

Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.43-1

注目本「著者」研修会

複雑性PTSDの理解と臨床を深める
ー精神科医と心理職の連携に向けてー

【日時】2024年3月10日(日曜)9:00~12:00
【講師】原田誠一(原田メンタルクリニック院長/東京認知行動療法研究所所長)

【指定討論】 
大谷彰(米国 Waypoint Wellness Center 心理職)
下山晴彦(跡見学園女子大学教授/臨床心理iNEXT代表 )
【注目本】『複雑性PTSDとは何か』(金剛出版)https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b602553.html

【申込み】
[臨床心理iNEXT有料会員](1000円):https://select-type.com/ev/?ev=DN8OZTgWAHo

[iNEXT有料会員以外・一般](3000円) :https://select-type.com/ev/?ev=bs2G0sb81mE

[オンデマンド視聴のみ](3000円) :https://select-type.com/ev/?ev=Vz5WvZEvKu0

『複雑性PTSDとは何か』(金剛出版)


オンライン体験研修会

セルフ・コンパッションを学び、体験する
−自分とつながり、人とつながる−


【日時】2024年2月23日(金曜:祝日) 午前9時〜12時
【講師】中野美奈(福山大学准教授)
【申込み】
◾️[臨床心理iNEXTのiCommunityメンバー(無料メンバー含む)](無料)
https://select-type.com/ev/?ev=UMt9Z4-3IuY

◾️[臨床心理iNEXTのiCommunityメンバー以外](2,000円)
https://select-type.com/ev/?ev=AekbnM3D7z0

◾️[オンデマンド視聴](2,000円)
https://select-type.com/ev/?ev=M-O-iYazUY8

注目新刊本「著者」対話講習会

第7回公認心理師試験の直前対策を伝授
―さあ!3/3国家試験までどう過ごす?ー


【日時】2024年2月10日(土曜)9時〜11時
【講師】宮川純 河合塾KALS 講師 
【申込み_2月20日まで】[オンデマンド視聴](1000円)
https://select-type.com/ev/?ev=sFe0hHXRut4

1. 今、なぜ複雑性PTSDなのか?

複雑性PTSDは、2018年に公表された国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)で、新たに採用された項目です。単に「極めて脅威的で恐ろしい」トラウマ体験による心的外傷(従来のPTSD)ではなく、「極めて脅威的で恐ろしい」トラウマ体験の結果、従来のPTSDの症状に加えて自己組織化の障害DSO(disturbance in self-organization)と呼ばれる症状が併せてみられる病態をいいます。

複雑性PTSDでは、PTSDの主要3症状(①再体験、②回避、③脅威の感覚)の他に、自己組織化の障害DSOの3症状(A.感情制御困難、B.否定的自己概念、C.対人関係障害)がみられるため、日常生活で様々な支障をきたしがちとなります。複雑性PTSDで生じる心理的問題は、従来のPTSDでみられた ①解離性フラッシュバック、悪夢、②トラウマと関連のある思考、感情、事物、状況の回避、③過度の警戒心、過剰な驚愕 の他に、A.感情のコントロールが難しい、B.自己評価が低下する、C.安定した対人関係を維持するのが困難、といった重大な問題が生じてしまうわけです。

このように複雑性PTSDでは深刻で多様な心理的問題がみられるので、心理職が相談を受け対応することが多くなります。その際、多くの場合当事者の皆さんは不安や抑うつなどの一般的な感情の問題を主訴として来談するため、複雑性PTSDの病態をよく理解していないと、主訴の背景にある問題の本質を理解できずに不十分な対応をしてしまう危険があります。そしてこうした対応によって、当事者・治療者双方に様々な多大な問題、負担が生じることが多々あるため(例:治療関係における激しい紛糾)、複雑性PTSDをしっかり理解し対処できるようになることは、心理職にとって必須のテーマの一つと言えるでしょう。


2. 医療との連携に向けて専門性を高める

複雑性PTSDはさまざまな病態の背景に存在しているのですが、現在の精神科医の多くが複雑性PTSDの診断、対応に習熟していないこともあり、表面的にみられる精神疾患のみが認識されていることが多いものです。たとえば、実際は複雑性PTSDが背景にあり、その病態において重要な役割を果たしているのに、単に、うつ病、双極症、不安症、強迫症、パニック症、各種依存症、摂食症、不眠症、身体症状症、解離症、ADHDなどと認識されている症例は少なくありません。そのため心理職も複雑性PTSDに関する知識、経験を持ち、精神科医や心療内科医と緊密な連携をとって心理支援を進めることが必要かつ有効となります。

そこで、臨床心理iNEXTでは、複雑性PTSDの問題理解を深め、適切な心理支援をしていくのに役立つ研修会を開催します。講師は、精神科医として早くから複雑性PTSDの問題理解と臨床の重要性を指摘されてきた精神科医の原田誠一先生です※)。
※)https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b597124.html

研修会では、原田先生から、複雑性PTSDの病態の理解についてだけでなく、複雑性PTSDの臨床において心理職が留意すべき点についてお話しいただきます。そして、それを受けて米国在住の心理職の大谷彰先生と臨床心理iNEXT代表の下山晴彦が今後の医療と心理支援の連携の発展に向けての指定討論を行います。多くの皆様のご参加をお持ちしています。

研修会に先立ち、複雑性PTSDの理解と臨床について講師の原田先生に、下山がインタビューをしました。その記録を以下に掲載します。なお、インタビューにおいて原田先生は、複雑性PTSDの心理支援において共感の重要性を指摘されています。これは、脅威体験に対する「満足・安全・繋がり」のための癒し(soothing)を重視するコンパッションと深く結びつくものです。その点で冒頭に示した「セルフ・コンパッションを学び、体験する」研修会も併せてご参加されることをお勧めします。


3.複雑性PTSDとの出会い

[下山]原田先生には、3月10日の研修会に向けて、「複雑性PTSDの問題理解と臨床」に関してのお考えを聞かせていただきます。先生は早い時期から複雑性PTSDの重要性を指摘されています。まず複雑性PTSDに注目した理由について教えてください。

[原田]私は、今年で医者になってちょうど40年になりますが、もともとトラウマに興味があったわけではありません。ごく一般的な関心で精神科医になりました。ところが、医者になった直後、研修医の最初の時から現在まで、一貫してトラウマや複雑性PTSDと関わってきているんです。私が最初に学会発表したのは医者になって2年目で、自閉症の患者さんが統合失調症様の状態になった症例報告を行いました。その内容を翌年、先輩の清水康夫先生のご指導をいただきながら「臨床精神医学」誌で発表しました。

そのケースは、今から見れば複雑性PTSDなんです。ご存知のように自閉症と統合失調症は、昔は同じ病態と考えられていましたが、その後両者は異なる精神疾患と認識されるようになりました。その根拠の一つが、自閉症のフォローアップをしても統合失調症にはならない、という知見でした。ところが私が担当した自閉症のケースは、珍しく統合失調症様状態を呈していたのです。その患者さんが精神病的になって混乱するのは、ほとんどがフラッシュバック体験に伴うものでした。患者さんは建築業界で働いていたのですが、職場で酷いトラウマ体験を受けていました。暴力的な厳しい徒弟制度の中で、金槌で殴られたり、刃物で傷つけられる被害にあっていたのです。加えてその患者さんは、学校でも激しいいじめを受けていました。

それで、日常生活でそれに類したストレスを体験すると、フラッシュバックが生じて興奮することがありました。ある時の混乱が特に強くなってしまい入院となり、私が主治医となりました。その患者さんとの臨床経験を通して、精神医療におけるトラウマの重要性を知ったのです。


4.トラウマが理解できると問題理解も臨床も深まる

[原田]それ以降も臨床研究を続けて、医者になって10年目の時に統合失調症の一部にもトラウマが絡んでいることを論文で指摘しました。また、ボーダーライン(境界性パーソナリティ症)でもやはりトラウマが絡んでいることを知り、ボーダーラインの心理教育や精神療法の試論を発表しました。その後、不安症、例えばパニック症の一部もトラウマの視座を組み入れると病態がよく理解できるし、治療の工夫もしやすいという臨床経験を積み論文化しました。さらに気分症についても、背景にトラウマがあると治療抵抗性になりやすく、通常の精神療法や薬物療法では良くならないことを知り、そうした病態への治療的アプローチをまとめて論文にしました。

このように、いろいろな精神疾患の病態理解や治療においてトラウマが大変重要であることを痛感してきました。こうした臨床経験を積んできた私は、今の正統的な精神医学や精神医療がトラウマを十分に認識、評価できておらず、トラウマに関する教育や研修が実施できていないと感じています。トラウマというパラダイムを臨床に持ち込むか、持ち込まないかで病態の見え方が大きく違ってくるし、治療的対応も異なってきます。

私はトラウマフォーカスドCBTやEMDRをやっておらず、トラウマ治療の専門家ではありません。そういう素人の私がトラウマ、複雑性PTSDに関して公に発言するのは不適切ではないかと思うこともありますが、多くの臨床家は、精神科医だけでなく臨床心理士の皆さんも同様ではないでしょうか。つまりトラウマの専門的研修を受けていないけれども、現場のニーズに応じてトラウマのケースを担当している場合が、実際には多いと思います。トラウマ治療について見事な実践をなさってこられた先達、例えば、精神科医の中井久夫先生、下坂幸三先生、神田橋條治先生、山中康裕先生、安克昌先生、臨床心理士の河合隼雄先生、村瀬嘉代子先生、田嶌誠一先生なども、同じ立場で臨床を行っておられたと思います。


5.複雑性PTSDは従来の診断分類を変える

[下山]当時は、それを複雑性PTSDという枠組みでは見てなかったわけですよね。

[原田]そうですね。以前は、やや漠然とトラウマ、外傷体験という枠組みで見ていたのでしょうね。

[下山]お話にありましたよう複雑性PTSDは、実は統合失調症、自閉症、気分症などとかなり被っていますね。臨床現場で治療をしている際、以前は「どうも典型的な診断と違うな?」と感じていたものが、複雑性PTSDという概念が出てきて、「あ!これだ」という感じがあったのではないでしょうか。

[原田]それは、少なくとも私にはありましたね。普通の気分症と違い、通常の薬物療法や精神療法でなかなか治らない。感情コントロールが難しく、対人関係も不安定で、日常生活で何らかの刺激と遭遇すると強く反応する。そのような場合に、「この治りにくさの背景に複雑性PTSDがある」と認識して診療を工夫すると、経過が随分変わることがある、という実感があります。

[下山]診断の背景にトラウマがある場合の問題理解は、心理職にとっても、とても重要なテーマですので、もう少し詳しく教えてください。複雑性PTSDは、伝統的な精神科診断において取り入れられてこなかったと思います。ところが、今のお話のように、実際には従来の診断分類の背景に、あるいは根底にトラウマがある場合には、その診断と複雑性PTSDが被ってしまっているわけですね。むしろ、複雑性PTSDが先にあって、その2次障害として従来の診断が生じていたということが少なからずあったと思います。そうなると、従来の診断分類の枠組みや体系を本質的に変えていく必要性もあるのではないかと思ってしまうのですが、その点はどのようにお考えでしょうか。

[原田]おっしゃる通りです。それと同じようなことが発達障害でも起きましたね。

[下山]そうですね。しかも、発達障害と複雑性PTSDがかなりリンクしていますね。

[原田]そうですね、かなりリンクしますね。たとえば発達性トラウマの議論が盛んに行われています。この観点からすると、発達障害とトラウマにはかなり近縁性があることになります。背景にこれらがある場合には、その事実をふまえて治療を行う必要があります。


6.複雑性PTSDが関与すると従来の介入法が役立たない

[下山]トラウマや複雑性PTSDでは、カウンセリングや薬物療法が役立たないだけでなく、その問題に有効とされる介入法では役立たないことが生じます。例えば、背景にトラウマや複雑性PTSDがあるパニックの場合、通常有効とされるエクスポージャーは役立たない。むしろ、問題を拗らせてしまうこともある。その点で心理職にとっても、複雑性PTSDを見極めておくことがとても重要になると思います。

[原田]おっしゃる通りです。背景にトラウマや複雑性PTSDがあるパニック症では、通常のパニック症の治療にトラウマ、複雑性PTSDへの対応を加味する必要があります。パニック以外の不安症でも同じ事情があり、たとえば強迫症もそうですね。私は、トラウマがからんでいる強迫症の一部を接触強迫と呼んで病態を理解し、対応を工夫しています。接触強迫の患者さんは、トラウマを引き起こした加害者との直接的な接触はもとより、間接的な接触も嫌がる。例えば、パワハラをした上司と直接触れるのは勿論のこと、上司が回してくる書類も触りたくない、上司が座っていた椅子にも座りたくない、といった回避行動をとります。そして接触してしまったと感じると洗浄、消毒などの強迫行為を行います。

この病態は、一見、不潔恐怖と似ています。しかし、このタイプの患者さんが怖がり忌避するのは、一般的に不潔、汚染と感じられる対象、たとえば排泄物、嘔吐物、細菌、ウイルスではなく、トラウマの加害者関連の事柄に限られています。このようなケースの場合、通常のやり方でエクスポージャーをしてもうまくいかないことが少なくない。曝露することが通常の不安を惹起するだけでなく、トラウマ記憶を活性化して敵対・混乱モードを引き起こすわけです。そのため、この事実をふまえてトラウマの治療も行いながら、少しずつ慎重に曝露を進めていく必要があります。

[下山]その点では、複雑性PTSDは、精神医学でも臨床心理学でも、とても重要ですね。


7.精神医学教育における複雑性PTSDの位置付け

[下山]ところで、精神医学教育においてトラウマや複雑性PTSDは、どのように位置付けられていますでしょうか。

[原田]従来のオーソドックスな精神医学教育では、今まで概ね看過されていました。それには、いろいろな歴史的な背景があります。昔まで遡ってみると、19世紀後半にシャルコーが外傷性ヒステリーという疾患概念を提唱し、19世紀末にジャネとフロイトが外傷性ヒステリーの背景にトラウマがあることを確認し、通常の記憶と外傷記憶の違いを指摘して治療法の提案、実践も行いました。このときジャネとフロイトは、現在のトラウマ、PTSDの病態理解と治療に肉薄していました。しかるにその直後の1897年に、フロイトが実際の性的外傷体験を重視する誘惑理論から、クライエントの欲動やファンタジーを重視する欲動論に転換しました。これ以降、精神分析は欲動論に基づく議論を展開してジャネを攻撃し、実際の外傷体験を重視する見解は一旦姿を潜めました。

1990年代に、ベッセル・ヴァン・デア・コーク (Bessel van der Kolk) やジュディス・ルイス・ハーマン(Judith Lewis Herman)らが複雑性PTSDの研究を進める中で、シャルコー、ジャネ、フロイトの業績を再発見し、特にジャネの仕事をこぞって高く評価しました。コーク、ハーマンらは複雑性PTSDを国際的な診断基準に入れるよう提案しましたが、ICD-11まで実現しませんでした。このことが精神医学にも強い影響を与えて、オーソドックスな精神医学で複雑性PTSD、トラウマが看過される傾向が長く続いていました。

加えて1990年代に流行った「アダルトチルドレン(AC)」という言葉も、一部影響したかもしれないと感じています。多くの臨床家はACが意味する内容に正鵠を射ている面があることを認めつつも、疾患概念に曖昧さのあるACという術語が野放図に広がることのマイナス面を強く感じたように思います。AC経験を通して、トラウマを安易に扱うことへの警戒感が臨床家の間で強まった面があると感じています。

[下山]複雑性PTSDは、今でもDSMには入っていないですね。

[原田]はい、ICDも第11版になってようやく複雑性PTSDが入りました。ICD-11で複雑性PTSDが疾患概念として認められたことで、正統的な精神医学が変わるチャンスが来たのではないか、と期待しています。


8.複雑性PTSDには受容と共感が基本となる

[下山]複雑性PTSDは、旧来の精神医学の診断体系を超えて問題の理解を深めるのに役立つことが分かりました。次に、治療や心理支援についてお伺いしたいと思います。既にエクスポージャーの例でお話をいただいたように複雑性PTSDについての問題理解がないと、誤った介入をする危険性がありますね。

[原田]その通りです。複雑性PTSDがある場合には、その事実をふまえて適切に対応することが強く求められます。私たち臨床家にとって一番大切なことは、複雑性PTSDのある患者さんがどのような体験世界に住んでいるかを知った上で、それに相応しい接し方をすることだと思っています。そこでは、極力、受容、共感、一致に則って対応することが重要です。

たとえば「あなたの仰っていることは良く分かります。もっともですね。ただ、こういう別の考え方もありうるかもしれませんね。どうでしょうか」といったアサーションに基づく言い方は、一般の対人関係においては多くの場合良い結果につながるでしょう。しかるにトラウマ経験のある患者さんでは、しばしばマイナスの反応が生じます。ですので、アサーションも控えめにして、まずは受容、共感、一致の姿勢でしっかり寄り添って行くことが大切になります。またトラウマ体験を想起して語ること自体が外傷記憶の活性化につながるので、トラウマ体験を話題にする際には十分な慎重さが求められます。

あと、神田橋條治先生が仰っている精神科養生のコツの重要なポイント「気持ちがいいこと探し」を実践する際にも、「トラウマを持つ患者さんがどのような体験世界に住んでいるかを知った上で、そのことを踏まえての接し方の基本をふまえる」ことが役立ちます。トラウマを持っている人たちは、「気持ちがいいこと」を探せなかった歴史がありますし、「気持ちがいい」と感じてこなかったことに防衛的な意味合いもあります。ですので「気持ちがいい体験」と関連のある話題を面接で扱う際に、通常の場合と異なり、こうした事情をふまえた対応が必要になるわけです。

[下山]身体感覚への注目は大切ですね。

[原田]仰る通りです。治療を紛糾させず、スムーズに進展するためにとても重要です。DVを繰り返し受けてきた人などは、自分の体の感覚をはっきり意識すると、それだけでフラッシュバックが起きてしまうことが少なくありません。「心地よい」などの身体感覚をあまり味わってこなかった歴史には、それなりの背景事情があるわけです。それには自己防衛的で合目的な意義があるので、そのことを認識して臨床の場に臨むことが必要です。比較的安全に介入できるやり方は、日常生活に関する患者さんの話の中で「この場面では心地よいという身体感覚を味わえたようだ」と治療者が感じた際に、その内容を患者さんに伝えて事後的に共通認識にするやり方です。

加えて、神田橋先生が指摘しておられるように、治療者は万事控えめに、自信満々ではない、むしろ自信のない態度で接することも大切です。複雑性PTSDのある人は、相手主導の世界、支配する/される、攻撃する/される、という関係性の中で生きてきて苦労しています。ですから治療者が強気の姿勢を出すことなく、過度に治療者主導にならないよう控えめな態度で接することが大切です。


9.複雑性PTSD治療における心理職への期待

[下山]受容や共感がまず大切という点では、心理職の出番となる面もあるかと思います。薬物療法だけでは済まないことも含めて、複雑性PTSDのある人の場合、精神科医と心理職の連携が必要となると思います。そのような連携の場合、精神科医として心理職にどのようなことを期待するのかをお話いただければと思います。

[原田]私は、精神科医は二つのタイプに分かれると思っています。精神療法に対する態度に基づくタイプ分けで、一つのタイプの精神科医は精神療法を「余技」ととらえ、別のタイプの精神科医は精神療法を「必須技能」と看做しています。

私が医者になった40年前は、オーソドックスな精神医療は記述精神病理学と操作的診断基準を学び、エビデンスに則った薬物療法を行うことであり、この方向性で精神医療、精神医学はどんどん良くなっていく、と考える精神科医が多くいました。そこでの精神療法の位置づけは、一部の精神科医が行う余技、趣味のようなものと看做されている面があったように思います。そして今でもそう考えている精神科医が、実は多数派かもしれないと感じています。

[下山]現在は脳科学が主流になってきているので、精神療法を重視しない精神科医の人が益々メジャーになってきているという面もありますね。

[原田]あの頃は、ゲノム研究と精神薬理の進歩に伴い科学としての精神医学が順調に発展するという期待が膨らんでいました。しかし現在では、精神医学の本流を歩いている人たちの中にも、「精神医療の基本は精神療法である。それに加えて必要な時に薬物療法などを行うべきだ」という考えの人もいます。例えば、前の日本精神神経学会理事長の神庭重信先生は、精神薬理のオーソリティですけど、そのような考えの精神科医の一人で、精神科医にとって精神療法は必須技能であると明言しています。

このように精神療法を重視する精神科医はいますが、残念ながら現状では少数派です。そのこともあり、多くの精神科医にとってトラウマや複雑性PTSDのある患者さんの診断や精神療法的な対応は、なかなか難しいのではないかと思っています。このような現状ですので、私はトラウマへの心理療法を、心理職を中心とするコメディカルの皆さんが中心になってやって下さることになるだろうと思っています。皆さんに、大いに期待しています。


10.複雑性PTSDに対応する際のポイント

[下山]以前にPTSDを専門とする飛鳥井望先生に研修会をお願いしたことがありました。その時、飛鳥井先生は、「複雑性PTSDは隠れてやってくる」という表現をされていました。つまり、表向きは、不安症やうつ状態、アルコールなどの依存症として治療を求めてくる。あるいは、自己肯定感が低いことや不安定な人間関係などを主訴して来談する。

そういう表向きの理由で、来院したり来談したりするので、心理職が複雑性PTSDのある方とお会いすることが、非常に多くなります。しかし、その場合、単純にカウンセリングでお話を聞いていれば良いというわけではないと思います。もう一歩踏み込んで複雑性PTSDの問題を見立てて対応しなければいけないわけです。

それは、心理職の責任でもあると思います。そこで、その複雑性PTSDに対する場合の責任を果たすために、心理職が知っておくべきポイントを含めて、参加者へのメッセージをお願いいたします。

[原田]留意しておくべきことが、いくつかあります。先ずふまえておくべきなのは、複雑性PTSDへの対応で最優先される患者さんの安心、安全の確保をいつも頭に置いて臨床の場に臨むことです。様々な事情で十分安心、安全を確保できない場合もままありますが、少しでも患者さんの安心、安全が増すよう意識し、相談、工夫を続けることが大切です。

加えて、先ほど紹介した接し方の基本をしっかり踏まえることが重要です。安心、安全の確保ができ、受容・共感・一致を含む接し方の定石を踏まえれば、複雑性PTSDへの対応をある程度実践できると思います。これに追加して、私は簡単な心理教育を行っています。私自身が作ったパンフレットがありますので、それを用いて心理教育を行っています。


11.複雑性PTSDに安全にできる認知行動療法

[原田]更に、比較的安全にできる認知行動療法もいくつかあります。その一つは「気づく、落ち着く、大丈夫」をキーワードにして行う、トラウマフォーカスト認知行動療法TF-CBTの「3点セット」と呼ばれるやり方です。

初めの「気づく」は、「ある状況で患者さんが過剰に反応して混乱しているのは、トラウマ体験で苦しんできた歴史に基づく症状であることに気づく」ことを指しています。

次の「落ち着く」は、「今の自分が置かれている現状を、改めて落ち着いて観察して評価してみる。過去と同じように、現状にそんな危険な人物が果たしているだろうか、と考えてみる」ことです。そうすると多くの場合、「過去にはあからさまに自分に攻撃してくる人、身体的な暴力やコトバの暴力を浴びせてくる人がいた。しかし現状を改めて眺めてみると状況は全く違い、今のところそこまで危険な人はいない。つらかった出来事は過去のことで現状は違う」という認識に至ることができます。

そうすると最後の「大丈夫」は、「過酷な過去は既に終わっているので、今は大丈夫、安心してよいだろう」となります。この「気づく、落ち着く、大丈夫」の「3点セット」は、割と安全に活用することができます。

もう一つ、比較的安全に使える簡単な認知行動療法を紹介します。それは「経過記録」を書いてもらう方法です。生活をしていて強く心配したり、不安になることがあったら、その時点から経過記録を書いてもらいます。まず「日付」を書いて、どういう「状況」でそのような感情が生じたかを記します。次に、その時の自分のネガティブな「感情」を書いてもらいます。次に、その後の「実際の経過」を記します。たとえば、何時間後、あるいは数日後に実際にどうなったかを書いてもらうわけです。そうすると意外に大層なことは起きてない、何とかなっている場合がほとんどです。

最後にここまでの経緯をふまえて、全体を振り返っての「感想」を書いてもらいます。そうするとある状況における当初の自分の認知の特徴を知り、その偏りに気づきやすくなります。経過記録の内容を繰り返し読むと、再度似たような状況が生じた際に応用が可能となり、あまり混乱しないで余裕を保ちながら乗り越えることができるようになる場合があります。


12.1.神田橋流の複雑性PTSDへの対処技法

最後にもうひとつ、心理職の皆さんも使える神田橋先生が開発した方法、気功をご紹介します。「指いい子」という気功は、ある指を反対の指で反時計回りに優しくしごいてあげる方法です。「これはいい」と仰る患者さんが結構います。外傷記憶が活性化してモヤモヤしている時にこれをやると、モヤモヤが小さくなるそうです。ラジオの音量つまみを反時計回りに回すと音が小さくなりますね。あんな感じでモヤモヤが小さくなると言います。

神田橋先生は、最近「筆の気功」という方法も発表しておられます。腕や足を書道の筆とみなして、手首、足首から先を毛筆の穂の部分と見立てます。そして、反対の手で腕を優しくしごく、両手で足を優しくしごくのですね。これを朝晩やると日中のフラッシュバックが減るし、モヤモヤしたときにそれをやると楽になる、と仰る患者さんがいます。更には、筆の気功をやりながら過去の辛かった体験を想起すると、次にその体験を思い出す際のモヤモヤが減ると報告してくれる患者さんもいます。これらの気功は心理職の皆さんも安全に使えるので、知っておかれると良いと思います。

■記事校正 by 田嶋志保(臨床心理iNEXT 研究員)
■デザイン by 原田優(公認心理師&臨床心理士)

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臨床心理マガジン iNEXT 第43号
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.43-1

◇編集長・発行人:下山晴彦


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