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25-3.アダルト・チルドレンに学ぶ

特集 ユーザーとつながる)
下山晴彦(東京大学/臨床心理iNEXT代表)
北原祐理(東京大学特任助教)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.25

〈募集中の研修会〉
「アダルト・チルドレン」に学ぶ
−自分の人生を取り戻す心理支援に向けて−


【日時】2022年2月5日 9時~12時

第1部 アダルト・チルドレンの意義を学ぶ
■基調講演 信田さよ子
「アダルト・チルドレン」とは何か
■指定討論1:東畑開人
アダルト・チルドレンの文化・学術的意義
■指定討論2:下山晴彦
利用者にとって自己申告がもたらす意義

第2部 アダルト・チルドレンの臨床的意義
■教育講演 上地雄一郎
「メンタライジング」の観点からみた臨床的意義
■ディスカッション:自分の人生を取り戻す心理支援に向けて
全員(司会:下山)

【申込み】
有料会員用(無料)→ https://select-type.com/ev/?ev=Gm2lj3FedvQ
非有料会員・一般用(1,000円)→ https://select-type.com/ev/?ev=06XstQJ2WAQ
オンデマンド視聴(後日視聴のみ:1500円)→ https://select-type.com/ev/?ev=LgX5nuBZhw4

1.日本人は“ライフデザイン描き”が大の苦手

本マガジン前号である25−2号では,先行き不透明な現代社会を生き抜くためには,自らの“ライフデザインを描く”ことが重要となると指摘しました。ICT,さらにはAIの発展によって社会構造が変化し,既存の会社や職業がいつまで存在するのか分からない時代になっているからです。

このような不安定な時代には,「自分」を既存の社会システムに適合させ,そこに従属し,依存することは危険です。コロナ禍も未だ収まらず,日本社会の先行きは全く不透明です。だからこそ,社会に自分を合わせるのではなく,主体的に自らのライフデザインを描き,それに適合する職業や会社を選んでいくという発想が重要となります。

しかし,多くの日本人は,「主体的に自らのライフデザインを描く」ことが大の苦手です。空気を読んで周囲の動きに同調することを良しとします。“同調圧力”といった言葉もあります。世間体を気にして,自分の失敗や弱点を知られるのを恥と考えます。建前を重視して本音を出しません。主体的に自らの生活や人生をデザインするよりも,周囲の期待に合わせて社会に適応することに腐心せざるをえないのです。

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2.日本人の「表の適応」と「裏の苦悩」

日本社会は,現代の高度情報社会の最先端に走ろうとしています。デジタル庁を新設して世界に追いついていこうと必死です。しかし,その一方で既存の組織に従属し,権威に従うことを良しとする封建的な文化が残っています。

子は親に従い,妻は夫に従い,夫は会社に従い,会社は国に従うというのが,一昔前の,日本の伝統社会の価値観でした。会社は家族経営主義で終身雇用制を重視し,社員は会社を家族のように思い,残業も厭わずに滅私奉公の精神で会社の発展に尽くすという価値観がありました。

その結果,働きすぎで過労死といったことも生じました。働き方改革が求められている今日,流石にこのようなモーレツサラリーマンを地で行く人はいません。しかし,日本の多くの会社員は,会社のために働き,社員同士の人間関係が壊れないように気を遣い,自己主張はし過ぎないように適応重視で働いています。

家庭でも学校でも“いい子”が求められ,過剰適応が問題になっています。経済的余裕のある家庭では,幼児期から子どもに多くの習い事をさせ,進学を意識して塾通いをさせます。子どもは,それに従ってがんばります。しかし,過剰適応の裏側では,いじめが蔓延し,不登校やひきこもりは増加しています。日本経済の低迷とも関連して貧困家庭が多くなり,子どもへの虐待も増えています。教育の格差も進んでいます。

このように表向きに適応を求めながら,裏側では適応できずに苦しんでいるのが日本の現状です。社会の中でも適応する人々と適応できない人々の格差が生まれています。また,個人の中でも,表向きには適応重視で頑張りながらも,その裏で適応困難の苦しみや適応疲れの悩みを抱えているのが,多くの平均的な日本人の実情です。

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3.過剰適応による自己の未確立

日本は,表向きは自由な自己選択を認める民主主義を標榜する,スマートな近代社会を装っています。しかし,その裏で,既存社会システムに従い,適応することを暗に求める隠れた管理があります。その結果,人々は適応しようとするあまり,過剰適応になります。そして,逆に適応が難しくなり,さまざまな心理的問題や精神症状も出てきています

そのような状況の中で日本の若者は,将来に対して希望を失っています。国際比較において,自身の国の発展に失望している率は,日本の若者は世界の中でダントツ一位※)です。ショッキングなことですが,若者は日本を何も期待できない国と認識する傾向がとても強くなっています。

※)第20回18歳意識調査─社会や国に対する意識調査─(日本財団,2019)
https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/11/wha_pro_eig_97.pdf

ところが,日本人は,このような問題を抱えていても,それに積極的に対応しようとはしません。多くの人は我慢します。悩みを抱えていても相談にいきません。たとえば,働き方改革が叫ばれ,ストレスチェックなどが実施されても,日本人は心理相談を早めに活用することは少なく,問題が重篤化し,何らかの身体的症状,さらには精神症状が出てから治療を開始するという,サービス・ギャップが生じています※)。日本では,そのようなサービス・ギャップは,産業分野に限らず,至るところで起きています。そのようなことが起きるのは,なぜでしょうか。

※)「働く人のメンタルヘルスとサービス・ギャップの実態調査」(NTTデータ経営研究所,2021)
https://www.nttdata-strategy.com/newsrelease/210915.html

その理由は,日本人全体が社会への適応を求める隠れた管理の掟に従うことを重視するあまり,“自分(自己)”の成立や確立が難しくなっているからです。そのため,日本人の心理的問題の多くは,単純に「自己」と「環境(他者など)」との葛藤,あるいは「自己の欲求」間の葛藤という,分かりやすい対立構造にはなりません。自己の欲求が妨げられることに因る葛藤という古典的な悩みにはならないのです。

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4.“自分がない”という本質的問題

多くの日本人は,自分を抑えて,一所(一生)懸命に社会に適応しようとします。そのため,何からの問題が生じても,周囲の者だけでなく,当事者も,その問題事態を“問題”として意識できません。むしろ,当事者は,適応できないこと自体が「申し訳ない」こと,「恥ずかしい」ことと感じて自分を責めます。そして,自責の念にかられ,反芻し,うつ状態になっていきます。

したがって,問題は,「適応できない」ことではありません。「問題を問題として意識できるための“自分”がないこと」が,実は本質的な問題なのです。これは,個人主義で“自己(主張)”を物事の中心に据える欧米文化では理解し難い問題のあり方です。

結局,日本人は,不適応や悩みを抱えていても,適応できない自分がダメであり,自分でなんとかしなければと考えがちです。あるいは,そのようなダメな自分を出すのが恥ずかしいと考えがちです。その結果,自分のために早めに心理相談に行こうとは思わないわけです。

でも,そのように自分を抑え,自分で問題を抱え込んでしまう日本人だからこそ,自分のために“ライフデザインを描く”ことが必要となります。過剰適応から抜け出して自分の生活や人生を生きるためにこそ,“ライフデザインを描く”ことが必要となるわけです。

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5.自分の人生を取り戻すために

では,どうしたらよいのでしょうか。そこで参考となるのが“アダルト・チルドレン”の概念です。日本では,1990年代後半に“アダルト・チルドレン”という言葉が広く知られるようになりました。

多くの人々がそれをきっかけに自分の問題に気づき,心理相談を求めるようになりました。その“アダルト・チルドレン”の,日本における提唱者である信田さよ子先生が,今年,改めて『アダルト・チルドレン』※)という書籍を出版されました。そして,その副題は「自己責任の罠を抜けだし,私の人生を取り戻す」となっています。

※)『アダルト・チルドレン──自己責任の罠を抜けだし,私の人生を取り戻す』(信田さよ子,2021,学芸みらい社)
https://gakugeimirai.theshop.jp/items/48766173

同書において“アダルト・チルドレン”は「自分の生きづらさが,親との関係に起因すると認めたひと」という広めの定義となっています。しかも,それは,御本人がそのように感じたという“主観性”を大切にすることが前提となっています。まさに,アダルト・チルドレンは,問題を抱える当事者が自己の問題に気づき,それに対処しようとするのを支援するための概念なのです。

このアダルト・チルドレンと関連する問題には,現在,俄に注目されるようになった複雑性PTSDも含まれており,非常に先見性のあった概念です。心的外傷体験と関連する問題状況を当事者が意識化し,それに医学モデルではない仕方で対処することを支援するための機能がアダルト・チルドレンにあります。

そこで臨床心理iNEXTでは,自分を見失いがちな日本のユーザーとつながり,そのユーザーがライフデザインを描くのを支援するために「アダルト・チルドレンに学ぶ」ことが役立つと考えました。そして,それを目的として,冒頭に示した研修会を企画しました。併せて同書の出版を記念しての研修会ともなっています。

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6.メンタライジングの観点

アダルト・チルドレンは,日本の心理支援サービスのユーザーが自分の問題を意識し,対処するための概念として非常に先駆的意味をもっているものです。しかし,その意義について理論的な観点からの分析が充分になされていないということがあります。そこで,本研修会では,メンタライジングの観点からアダルト・チルドレンの臨床的意義について検討することも併せて行うことにしました。

メンタライジングは,メンタライズ(mentalize:~に心的意味を付与する)という動詞に由来する用語です。具体的には,「自己や他者の言動や行為を,その背後にある心理状態(考え,感情,欲求,信念など)に基づいた,意味のあるものとして理解する能力」といえます※)。

※)『メンタライジング・アプローチ入門──愛着理論を生かす心理療法』(上地雄一郎,2015,北大路書房)
https://www.kitaohji.com/book/b580082.html

「アダルト・チルドレン」と「メンタライジング」は,かなり近い概念であると考えられます。メンタライジングをテーマとする書籍※)では,BPDと複雑性PTSDとアダルト・チルドレンを「外傷的育ち」として取り上げ,外傷的育ちの生きづらさを説明する中核的要因として,メンタライジングの発達不全を指摘しています。

※2)『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服:〈心を見わたす心〉と〈自他境界の感覚〉をはぐくむアプローチ』(崔炯仁,2016,星和書店)
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn892.html

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7.メンタライジングとアダルト・チルドレン

メンタライジングの能力は,安定した愛着関係の中で育まれます。その発達には,養育者からの感情の映し返し(ミラーリング)が不可欠なためです。ところが,アダルト・チルドレンは,親から適切なミラーリングが与えられないばかりか,幼少期から親の愛着欲求を満たす役割を背負います。やがて親の態度が全ての行動規範となり,メンタライジングはますます発達しなくなります。

メンタライジングの視点が入ると,「感情を抱えられない」の意味がよりわかるようになり,感情の自覚や調整困難,怒りの抑制,ひいてはアダルト・チルドレンに見られるような,過度な自己犠牲的行動,見捨てられ不安への囚われ,共依存,親密性の回避といった幅広い臨床像の理解が進みます。メンタライジング理論については,近年では,さらに愛着トラウマの観点から発展しています。

そこで,冒頭で紹介した研修会では,メンタライジングの観点も含めて,過剰適応になって自分を見失う日本人のライフデザインを支援するためにアダルト・チルドレンの意義を検討することにしました。

以下に発表者からのメッセージを記載します。なお,発表者の一人である下山のメッセージについては,本記事でこれまで記載した内容で代替させていただきます。

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8.信田さよ子先生からのメッセージ

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撮影:上平庸文

“アダルト・チルドレン”という言葉は誕生からして独特なものがありました。ベトナム戦争後のアメリカで1970年代末に深刻化したアルコール・薬物問題,その治療現場で非医師たちが診断とは別個に草の根的に生み出したという出自,80年代のアメリカで心理学の大衆化の一翼を担ったという事実,などです。

「自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めたひと」という定義は,アメリカ由来の言葉を1995年に私が再定義したものです。当時の私がそこに込めたものは,「脱医療モデル」「脱診断的営為」でした。つまり専門家・援助者が対象を病理化してラベリングするのではなく,当事者が自らを名づけるという主格の転倒を意図しました。

もうひとつは「親との関係」です。周到に因果関係を回避するために「起因」と表現していますが,親からの被害を生きづらさとつなげる,つまり「親のせいだ」とすることを肯定しています。被害者である子どもに責任はなくイノセントであることを明言した言葉は,歴史上存在しませんでした。

子ども家庭庁構想に見られるように,「家庭はよきもの」とする国家の駒としての家族観はマジョリティであり続けていますが,子どもは親の被害者たりうることを明確にしたACという言葉は,狭義の精神医学・臨床心理学の枠を超えて,「家族愛」の難民である多くの人々の自己定義の言葉として機能しつづけるでしょう。

当日はそんなことをお伝えしたいと思います。

9.東畑開人先生からのメッセージ

朝日新聞社提供と記載

©朝日新聞社提供

“アダルト・チルドレン”。専門家のための言葉ではなく,当事者のための言葉。自分で自分を名指し,宣言するための言葉です。これについて専門家がどのような議論を行うことができるのでしょうか。なかなか難題のように思えます。

なぜならここでは,専門家がどうこう言うことそのものに対して,オブジェクションが立ちあげられているからです。ですから,「アダルト・チルドレン」について考え始めると,この20年で起こってきた社会や文化の変化について考えざるを得なくなります。専門家と当事者の関係性が決定的に変わっていったこの20年のことを,です。

すると,思います。かつて河合隼雄が「飲み込む母親」と言い,「グレートマザー」と言っていたこと,あるいは土居健朗が「甘え」という言葉で言おうとしていたこと,それらには暴力が潜んでいたのではないか。

そういうことについて考えてみようと思います。

10.上地雄一郎先生からのメッセージ

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メンタライジング(mentalizing)とは,「とくに人の行為の意味を説明する際の,自分と他者における心理状態の認識」(Bateman & Fonagy, 2019)と定義されます。わかりやすくいうと,私たちの行動をその背後にある心理状態という観点から考えることです。心理状態とは,哲学者ブレンターノの概念であり,「何かについて;何かに向けられている」という性質を持つ心の状態で,具体的には「考え,感情,欲求,願望,確信」などのことです。

※)Bateman, AW & Fonagy, P:Handbook of Mentalizing in Mental Health Practice. APA,2019.

よりくわしく説明すると,自己の心理状態のメンタライジングとは,自己の心理状態(体験)を評価したり何かの基準で分析したりするのでなく,ありのままに感じ,考えることで,マインドフルネスとも重なっています。同様に,他者の心理状態のメンタライジングとは,他者の心理状態(体験)を他者が体験しているとおりに追体験することです。

ただ,メンタライジングは,心理状態の原因や自己の心理状態が他者にどういう影響を与えているのかについて考えることを含みますし,ありうる別の見方を考えることも含んでいます。

このような心の働きが日常生活において,また誰かを支援する関係においてどうして重要なのかという観点から,アダルト・チルドレンという概念の臨床的意義について考えたいと思います。

【募集中のオンライン研修会のお知らせ】

『健康経営デザインスクール』レクチャーシリーズ

【プログラム】
https://www.utokyo-ext.co.jp/wp-content/uploads/2021/11/hms_a4_flyer.pdf

【申込み】
https://www.utokyo-ext.co.jp/hms/symposium/hms

■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)

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Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.25


◇編集長・発行人:下山晴彦
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