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僕のビーナス 【ショートショート】

アパートの一人部屋。
タケシはメールチェックを終えて、さあぼちぼち寝るかと消灯のスイッチに手を伸ばした。
ちょうどその時スマホ画面がまた点って見知らぬ女性の顔が映った。
ん?誰?
女性は東洋人ともどこの国の人とも判断のつかない顔つきをしていた。
相手もどうやら同じ状況で思いがけないといった様子で画面をじろじろ見入っている様子であった。
タケシは、
「あの、あなたはどちらにお掛けでしょうか?」
「ごめんなさい、混線したようで。。今繋がっているのは、地球の日本国でしょうか」
「はい、地球の日本国です」
タケシはおうむ返しに言った。
「私は太陽系外のとある惑星からまいりましたユリアといいます。わけあって銀河名も惑星名も申し上げることができませんが、今太陽系マップ検索と携帯自動翻訳機をリンクしてそちらの言語で話しています。」
「はあ」
「私はある星の宇宙局の局員で、今そのミッションで有人探査機に乗り太陽系に入っています。母艦から離れ太陽系を数機の探査機で分担して回遊し、この探査機には私一人です」
「はあ」
とりあえず何か一つ現実感にすがりたくなり、タケシはポップコーンの袋の封を開けた。
あまりの現実離れ感にふらつきそうになるのを開封口に鼻をつけて大きく吸うことでなんとか正常を保つことが出来た。1人暮らしだからできることである。
「どうやら何か通信障害が発生したようであなたの回線に干渉してしまったようです」
(つまりは彼女は宇宙人というわけだ。よし翻訳機をオレも使わせてもらおう)
「僕の名前はタケシです。ユリアはあと何日間太陽系に滞在しますか」
「タケシさん。私は今日を含めて三日間太陽系にいます」
「では、三日間はユリアと話せるのですね」
「回線が今のように繋がっていれば大丈夫です」
タケシは頬をつねりました。
まあ、夢でもいいわ。これは面白い。
「タケシさん、夢ではありません。私も先ほどつねって確かめました」

「タケシさん。私は今、金星の近くを回っています」
金星というとビーナスだな。
タケシはユリアを愛の女神ビーナスのイメージと重ねた。
最初やや固い感じの印象もあったユリアを少しリラックスさせるため、タケシはいくつかの冗談を教えた。
すると、彼女は飲み込みが早く、たちまち師匠のタケシより気の利いたネタを連射するまでになった。
「私はとてもバランスがいいのよ!「均整」だけに」
「私は中級の夏野菜よ!「Bナス」だけに」
「ワクワクせーよ!「惑星」だけに」
「足がピリピリ痺れまっせ!「正座」だけに」
「わかった、わかった、ユリアもういいよ。さあ仕事に戻ろう。僕ももう出勤時間だ」
「はい、わかったわ。言ってらっしゃい。気をつけてね」
人生初めての女性からの出勤見送りを宇宙人から受けるとは思ってもみなかった。

一応冗談を言い合える仲になると次にタケシは日常の卑近な悩みをユリアにこぼす様になった。
これも不思議なことであるがそれぞれ全く異なった社会環境であるはずなのに、彼女の反応はタケシにしっくりくるものであった。
いくら何でも翻訳機に人生相談の答えが全て収まっているとは思えないので、やはりユリアが自分の言葉でタケシに語りかけたのである。

彼女と知り合って二日目にタケシは思い切って彼女に一つ頼みごとを告げようと思った。
「ユリア、君からみたら金星から地球は遠くないだろう。お醤油を借りにいくくらいのもんだろう」
「そうね、スープの冷めない距離ね」
これもまたユリアの表現の方がずっとグレード感があった。
「君が自分の星に帰還する前に僕たち直接会えないだろうか」
ぽんと反応が返ってくるのを期待したが、ユリアは黙り込んでうつむいてしまった。
「何か問題はあるのかい」
「いや、それは、、」
あきらかに言いにくそうにしていたが、やがて観念したように承諾した。
「わかりました。明日タケシさんのところにまいります」
彼女は大気圏に入ったら今の回線が途絶えるから、時間と場所をお互い厳密に決めておこうと言い、タケシは早朝の誰もいない時間帯のアパートの裏の駐車場を指定した。
画面にはうつむいて一生懸命赤い色のペンでメモを取っているユリアの姿が映っていてこれもまた地球の女性と同じだなと思った。

さて、翌朝、タケシはユリアに指定した時刻の三十分前にアパート裏の駐車場に来て不審者のようにうろうろしていた。
場合によっては部屋まで招き入れてお茶でも飲んでもらおうかとも考えて何種類かケーキを揃えていた。
時間は約束の時間ちょうどを差したが、空のどの方向を見上げても鳥一羽飛んでこない。
いつもと同じ穏やかな早朝の空を見上げているとなんとなく、この三日間のこと全てが夢か幻だったのかと思えてくるのであった。
いやむしろその可能性の方がどう考えても高い。それほどに現実の匂いのまったくしない出来事であった。
そこまで考えた時、ユリアの声が聞こえてきた。
「タケシさん!タケシさん!私もう到着したよ!」
「え、、」
周りを見回すが、ユリアの姿も探査機も見当たらない。
「ここよここよ。タケシさんの足元!」
「?」
「白い花の上!」
白い花の、、
「!」
花びらの上には確かに探査機の形をしたものが、虫かと見間違うような小さな丸い物体が、そしてその横に確かにユリアが。
タケシの身長は170センチ。
ユリアの身長は地球の単位換算で7ミリ。
この時タケシはやっと判ったのだ。なぜユリアが自分と会う事に躊躇したのかを。
「そういうことか、ユリア。。」
この現実を見て少なからずの落胆は確かにあったが、次にタケシに不思議にも明るく穏やかな感覚が湧いたのである。
身体の大きさがこんなに違うのに、お互いの心はまったく同じ大きさをしてぴったり寄り添うことが出来たのだ。
「心って不思議だね」
「本当にそうね」
ユリアの顔は小さすぎて見えない。いつものようにスマートフォンの画面で見た方がはっきり見えるに決まっている。
でも見えなくたっていいのだ。今そこにユリアがいることがタケシには重要なのだ。
握手もキスも抱擁もありえない二人はしばらく向かい合ってお互いを見つめていた。
ユリアは元々が通信障害だから大気圏で切れた互いの通信ラインはもう復元できないと言う。
「ならユリアは次いつ太陽系探査に来るんだい?」
「111年後よ」
「そりゃ、こっちがお星さまになってるわ」
ユリアが首を少し傾げて笑ったように見えた。
その時、二人の間に秋のそよ風がさらっと吹いて、花びらが揺れた。
そよ風にあおられてユリアがずっこけそうになる。
「タケシさん、では私母艦に戻ります。あまり風が強くなると離陸ができませんから」
「ああ、気をつけて帰るんだよ!そして良い人生を!」
「はい、タケシさんも。。」
秋のそよ風が邪魔をして、その後何を言ったのか聞こえなかった。
一生懸命目を凝らしてユリアの表情がやっと見てとれたからタケシにはそれで十分だった。
しかし、タケシは搭乗間際にユリアの流した一筋の涙に気付かなかった。

タケシにまた日常が戻った。
アパート自室の机の上にはシンプルなデザインの指輪が見える。
あの日ユリアにプレゼントしようと用意していた指輪だ。
結局、彼女の指にはめてあげることはできなかったけれど、これはあの三日間が夢ではなく実際にあったという証なのだ。
そしてそれは遠く何十万光年も離れたところのユリアも同じであった。
タケシに教えてもらった冗談のオチを時折思い出し笑いしては、あの青い色をした美しい星のことを思い出すのであった。