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ガムランボール 【短編小説】

都心にありながら新しさを競う周辺の景色には全く関知しないかのような古びた店構え。そしてどこを見たら店名が判るのかこちらから探しに行くほどにささやかな看板。
なんとなく以前から気になってはいたもののわざわざ中に入って見に行くこともなかった。
それよりも食事さえ済ませたら机に早く戻って、午前中に片づけ切れなかった残務を少しでも早くやっつけたかった。
しかし、その日は違った。
一緒に出た同僚に声を掛ける。
「先に戻っててくれないか。俺は少しそこの店覗いてから戻るよ」
同僚だって忙しい。少しくらいは自分もという素振りもないではなかったが「ああ、じゃあまた」と会社に戻る方になびいてまた足を進めた。

見たところはごく普通の骨董品店。
中には壷とか掛け軸とか日本の骨董品が雑然と積まれてあるものとずっと思いこんでいたが、今日ランチを取りに行く往路でたまたま入口が開けっ放してあったのをちらっと覗き見るとなかなかの洒落たランプや花瓶など洋物の調度品の類が整然と積まれてあって、そのなかなかのギャップにぐいと身体を持っていかれたのである。
店の間口はちょうど車一台の長さくらいであろうか。
しかし、それは間口のみであって変形土地になっていて店内はL字型に広くなっている。さらに奥行きも相当ある。
もっとも驚いたのは店を突き抜けた奥に中庭があることだ。
こんな風になっていたのか。別空間だ。ここが日本でないような気さえする。
「いらっしゃいませ」
店主であろう。七十歳代くらいと見える女性がやってきた。
「静かでびっくりしたでしょう。街の中じゃないみたいでしょう」
まさにその通りだ。鳥のさえずりが聞こえないのが不自然なくらいだ。
「主人がお店のデザインに凝りましてねえ。外にはおカネを掛けずに、いや、だからと言って店内にもおカネを掛けていないんですけどねえ。店内から見えるお庭の見映えばかり凝ってねえ。変わった人でしょう」
と言って笑う。
「ご夫婦で経営なさってるんですね」
「まあ、一応はそのつもりですけど。主人は半年前に仕事も人生も私に全部押し付けてあっちの世界にお引っ越ししちゃいましてね」
と言って天を指さす。
「その後が大変でねえ。私お店のこと何にも解らなくてね。主人は本当に凝り性で凝り性で店内の商品も国内買取じゃなくて自分が買い付けに行ったものや付き合いのある海外の業者さんから買ったものなんです。お客さんから訊ねられても私一切判らなくてね。まあ在庫ノートにいろいろメモはありますけどね。それにしても殴り書きで」
そりゃあ、困るだろう。
聞けばもともとは各国家具調度品の輸入会社を経営していたが、海外への調達出張の際のみの市周りをするうちにかなり細々としたものまで買いこんだものが倉庫に積まれていたのを売りに出したら評判がよく、それがきっかけで半ば道楽のこの店を出したということである。
家業を息子に託した後の半生はこの道楽人生を全うしたそうだ。
「自分はいいけど、私にひょいと投げてお任せにするんですからねえ、あの人ったら。。」
まるで今晩食卓で同じことを主人に切り出しそうなほどリアルに言う。
私は奥さんの話に耳を傾けつつ、店内をざっと見回る。
東洋西洋に加え、どこの国だろうかいかにも南国の民芸品もあって、骨董品店というよりミニ博物館を見て回っているようである。
これはとても昼休みの残り時間だけでは見きれない。
おや。
キュリオケースの中にペンダントやブローチなど小物アクセサリーの類が並べられており、その中に地味な方向でひときわ目立つ渋い銀色をした小柄な「玉」を見つけた。
ガムランボールだ。

行きつけのカフェ。
オーダーしたバリコーヒーがちょうど運ばれたタイミングで、バリ島の旅行から帰ってきたばかりの純江が、はい、こないだのお土産、と言って、現地新聞で何重にも巻かれた小さな包みを差し出す。
「焼き芋か?」
バカ、と言って、開けてみてよと何度か顔を上下に振り催促する。
新聞を葉物野菜のように一枚ずつ剥がし包みを開けると、中に木彫人形があった。
女性バリダンサーの胸像だ。石の様に固い木と見え精細に彫られている。
「へえ。随分ずっしりと重いな」
「紫檀よ。もうなかなかいいのは手に入らないと思うわ」
そう言えば、
「さっきから気になってるんだがそのペンダントもそうか」
胸元で揺れている銀色をした二センチ弱ほどの小柄な「玉」。
「そうよ。前からずっと欲しくてね」
と言いながら外して見せてくれた。
「ほう。音が鳴るんだ。鈴だな」
「そうよ。中に真鍮の玉が入っていてね。表面の銀のケースに当たって涼しい音を奏でてくれるの。元々は西洋のアクセサリーらしいけど、ある旅行者がバリ島の銀細工職人に特別オーダーしたのがきっかけで、ガムランボールというバリ特有の工芸品に形を変えたらしいの」
「西洋工芸と南国工芸の融合だな。ガムランか。うん、そう言えば鈴の音より少しへしゃげたような南国っぽいフレーバーがある。ナイスネーミングだな」
耳元で何度も揺らす。
バリフリークの純江から過去二回バリ島旅行を誘われているが仕事の関係ですっぽかし続けている。
今回もしびれを切らし彼女はバリフリーク仲間の女友達三人で行ってきたところである。
「ああ、いいなあ。早くバリ島に行きたい。。」
目を閉じて耳元で何度かガムランボールを揺らした。

ああ、もう時間だ。
「済みません。もう会社に戻らないと。明日また来ます」
「平日は夕方の六時まで開けていますから。いつでも来てね」
手を振りながら店を出て、会社まで小走りで戻る。

翌日の昼休み。
今度は店に入るなり奥さんにお願いしてキュリオケースから昨日のガムランボールを出して見せてもらう。
とにかく音を聞いてみたかった。
その音は爽やかで上へ上へと直線的に突き抜けてきれいに消える音がした。

まだ見ぬクタビーチのヤシの木陰で純江と二人この音を聞いている情景を描いたあと目を開けて、
「純江、初めて聞いたが、いい音がするなあ」
「うん、、ただ、後から思うともっと澄んで繊細が音のするのがいいなあって。いろいろ見たんだけどね。今回は勉強だね」
全体のデザイン、ケースのサイズと材質、厚さ加減と精度、そして表面の模様の作り込みで音の大小、高さ、澄み具合、余韻が全く違うと言う。
「十分キレイに聞こえるけど」
「次に行く時はまたいろいろ探しに行くからね。とことん付き合ってよ!」
テーブル上で純江の熱の入ったバリ島話に忍耐強く私と一緒に付き合ってもらった木彫人形を再度新聞紙にくるんで店を出る。
別れ際、純江はいつもと同じように胸の前で小さく手を振る。
「またね」
ガムランボールがそれに合わせて胸元でゆらゆらと揺れるのが見えた。

「うん、いい音ですね。ご主人さん相当あれこれ聞き比べてこの一つを選び抜かれたと思いますよ」
「そうですかねえ。それってどこの国のお飾りでしょうか」
「インドネシアのバリ島ですよ。多分あそこにある紫檀の木彫もそうですよ」
奥さんが少し背伸びをしてその木彫を取る。
純江に仕込まれるうちバリダンサーの木彫だけは見分けがつくようになった。世界中の木彫人形をずらっと並べて、バリダンサーとそれ以外、に分けることができる。
「そうそう、主人がいつも言ってましたよ」
埃を払いながら、
「もうなかなかいいのは手に入らないって」

店を出た。
木彫はもう一つあるのと二つを取っておいてもらった。
今週は出張が入っている。来週また来よう。
ガムランボールはキュリオケースに戻した。
これは特に取っておいてもらうことはなかった。

翌週やっと時間を作ることができたのは金曜日になってからのことだった。
「いらっしゃいませ。ああ、お待ちしていましたよ」
「なかなか来れなくて。。こないだの木彫人形をもう一度見せてもらえますか」
いつ私が来てもいいように中庭に近い明るいところに二つ揃えて並べてくれていた。
一つは最初に見た方の紫檀のやはりバリダンサーの木彫胸像。
そしてもう一つは神鳥ガルーダの頭部木彫。こちらは黒檀だ。なかなかに大きく重い。
「ああ、ここに置いたら緑に映えて昨日より魅力的に見える。うぅん、どうしようか」
頭の中でしばし財布と相談した後、
「二つとももらっときます」
「その銀の丸い。。えーと。。」
「ガムランボールですか」
「そう、そのガムランボールはどうなさいますか。いつも気にしてご覧になってたでしょう」
「ええ、済みません。ガムランボールは止めておきます」
特にその理由を訊くでもなく、端数と言えない端数まで切っておきますね、と言いながら奥さんは領収書を書き始めた。

私と純江に別れが来るなんてまず当人同士がまったく予期していなかった。
しかし考えてみたら、出会いの運命だって当人の予期なしに瞬時フラッシュして現れるのだから、別れだって同じようにやってきて当然と言えば当然だ。
二人を知る仲間たちの方が大騒ぎであったが、当人同士はよく話し合って納得して決めたことだ。それで十分だ。
あとあと切ないことが浮かんでは来るがみっともない姿は見せたくない。
ヤシの木陰で純江と二人肩を並べることはもうない。

奥さんは領収書を書き終えると、
「あなたのお蔭さまでね、このところ主人のことを思い出すことが増えました。惚れなおすって言いますか」
とぽつっと言った。
そして、
「そのガムランボールですか。あなたが言われたように主人がいろいろ音を吟味して選ぶ横顔が思い浮かびましてね。あなたが買われないなら私が買い取ってこの音をじいさんの言葉と思い大切にしようかなと思っています」
なんとなく、なぜ奥さんがこの店を畳まずに昼間ずっとここに一人でいるのか判った。

その店にはその後も何度か立ち寄っている。
奥さんがガムランボールのペンダントを身につけてにこっと微笑む姿が見たかったのだ。
しかし、ずっとシャッターが閉じられたままになっていて手書きの張り紙があった。領収書の筆跡と同じである。
「●月●日まで店主事情により休業させていただきます」
その日付を過ぎてからまた訪問すると今度は、
「当面店主事情により休業させていただきます」
となっていた。こないだのと同じ筆跡で書かれていた。
その後、さらに一週間くらいが経過した頃、通りすがりに張り紙がまた変わっているのが見えた。
「諸事情により閉店させていただきます。突然のことで申し訳ございません。これまで長い間ご愛顧をいただき有難うございました」
その後ろにおそらくご主人と奥さんのであろう名前が並べて書かれていた。
そしてそれは手書きでなく印字打ち出しであった。

私はマフラーを巻き直し、コートのポケットに手を入れて歩き出す。
そして少し歩いたあと振り返って店を遠景で眺める。
私もこのところ純江のことを思い出すことが増えたがそれも今日で終わり。
純江は胸の前で小さく手を振る。
「さよなら」
ガムランボールがそれに合わせて胸元でゆらゆらと揺れるのが見えた。