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ショートショート

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#ショートショート

卓上のメリークリスマス

見習い中のトシオは作業がひと段落ついたので手についた小麦粉を払って表に出た。 故郷の仲間たちが羨ましがる東京暮らしだが、実際にはこの小さな中華料理店の裏口からほんの休憩時間に都会の風景を見るだけの東京暮らしだった。 それでも十分に楽しい。都会のカレンダーの一周目はとにかく何もかもが新鮮だ。 そして今日はクリスマス。 いつもより一層きらびやかな服を来た歩行者たちのご機嫌な表情と上ずった話しぶりがおおよそ夢でしか見たことのない楽園の風景を作っている。 クリスマスツリーを模したネオ

時滑り

 大鏡に映る顔は今日も自信に満ち溢れている。  髭をあたりながら今日行うことを予定組みする。  てきぱき物事をこなす事が私は好きだ。  周囲の人間にもそれを要求する。私の周囲も同じスピードで回転しなければ私のこのパフォーマンスが無駄になるからだ。  私は軽やかに舞うように生きてきて成功した。こういう生き方に皆が憧れ皆がそれを果たせず一生を終えるのだ。  鏡を通してキッチンのデジタル時計を見たら19:30を指していた。  おや故障か。時計が時間を間違えてどうする。舌打ちしなが

喜びの意味は

 その昔、調べものをするに図書館に行くしかなかった。  バスと電車を乗り継いで行っても他の者がたまたまそれを借りていたのならまた出直すことになる。バスと電車に乗って。  急ぐ場合は書店に行って自分で買うしかない。ネット販売のない時代のことだ。見つかるまで書店に電話で在庫を確認することになる。  面倒な時代だが、当時の人たちはその制約の中で学習、仕事またレクリエーションをこなし、ささやかな充実感や幸福感を味わい暮らしていたのだ。  それから比較してインターネット社会は大変進化

 俳句部出身の妻に五七五調で行ってきますを伝えたら、妻は応援団出身の私に三三七拍子で行ってらっしゃいを返してくれた。

秋の味覚

 うちのクラスの徳井君がなかなかいい作文を書きましてねえ。  今度の市の作文コンクールに推薦しようかと思っているんですが、篠田先生、これ読んでもらえませんか? 秋の味覚 4年3組 徳井勘治  ぼくは鮭が好きです。ご飯の時には食卓に鮭が乗っていてほしいです。 夕方になるとどうしてもいっぱい欲しくなって体がふるえてきます。  お母さんはあなた子どもなんだからだから少しにしときなさいよ、といいます。  学校でもいろいろあるんだから家に帰ったときくらいは好きにさせて欲しいよ!

固いせんべい 【ショートショート】

固いせんべいを歯が折れないように気をつけて齧ったら顔が崩落した。

あの日 【ショートショート】

雨は先ほどよりは心持ち小降りになった。 私は香りを味わうにはぬるくなり過ぎたコーヒーを水を飲むかのように飲み干す。 そう言えば、あの日も雨が降っていた。。 そうそう、ちょうどこんな感じの店だった。歩道に面した部分は大きなガラス窓になっていてコーヒーを飲みながら道行く人の風景が見えた。 オープンキッチンがあの辺りにあって、あんな感じの髭の似合うマスターがいて、BGMも好きなナンバーだから覚えている。今掛かっているこの曲。 ! まったくあの日と同じだ。。 私はあの日をき

カレーなるごろごろライスカレー 【ショートショート】

山之内スミエ先生!先ほどはうちのスタッフが大変失礼いたしました! 今日の「ハロー!クッキング!」は先生の料理の回と知りながら他の料理番組の台本と入れ換わってMCに渡してしまいまして、しかも一番肝心な先生の紹介の時にイタリア人料理研究家名を大きな声で言ってしまいました。 Abramo Torisginoってよりによって先生に、油も摂り過ぎ~の、って洒落になりませんよね。 しかも男性名ですよ。MCは山之内先生をちゃんと見て言ったんですかねえ。仮に男っぽく見えてもイタリア人には見え

喜び 【ショートショート】

その昔、何か調べものをするには図書館に行くしかなかった。 多くの人はそのためにバスや電車を利用することになる。 しかし、知りたい情報が必ずそこに揃うとは限らない。また、目的とする情報の収まった本があったとしても他者がその本を借りているのであれば何日間か待つことになる。その間また何度か図書館の往復となる。 その場合は書店に行って自分で本を買う。もし、幸運にして家族や知人がその本を持っているならお願いして貸してもらうこともできる。ただし場合によってはお礼の菓子折りを準備する必要が

僕のビーナス 【ショートショート】

アパートの一人部屋。 タケシはメールチェックを終えて、さあぼちぼち寝るかと消灯のスイッチに手を伸ばした。 ちょうどその時スマホ画面がまた点って見知らぬ女性の顔が映った。 ん?誰? 女性は東洋人ともどこの国の人とも判断のつかない顔つきをしていた。 相手もどうやら同じ状況で思いがけないといった様子で画面をじろじろ見入っている様子であった。 タケシは、 「あの、あなたはどちらにお掛けでしょうか?」 「ごめんなさい、混線したようで。。今繋がっているのは、地球の日本国でしょうか」 「は

かくれんぼ 【ショートショート】

家族たちと田舎に帰る電車の中でふと「秘密基地」を覗いてみようと思いたった。 子どもたちがよく勝手に洞穴とか、工事現場に建てたプレハブの抜け殻とかを利用して作るあれだ。 あの時の秘密基地は今どうなっているのだろうか。一つはそれだ。 子どもの頃遊んだ思い出の広場や野原が駐車場やマンションになってしまったというのはよくある。 高度成長期の時にもう日本の隙間という隙間が全部埋まってしまった。 そして、もう一つは。。 「あの子」に悪いことしたな、というほろ苦い思い出にそれなりの始末をつ