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留学日記2 Udine WWOOF


留学中に必ずやろうとしていたことの一つにWWOOFを使って地方で働いて、ローカルな生活を知ろうというのがあった。観光をするだけでは分からないこと多い。実際に彼らが何を食べているのか、どんな生活を送っているのか、社会のあり方など。その上あまりお金をかけずに旅をして周りたいと考えている僕にとって、それは完璧だった。WWOOFを知ったきっかけは、昔にYouTubeで見た動画だった。その動画ではノルウェーの大自然の中の農園で摘んだ野菜を食べながら働く彼の姿がすごく印象的だった。休憩時間にはギターを弾いて、様々な国から来た人たちと生活する彼がとても羨ましかった。微かな記憶を頼りに彼の動画を改めて見るとWWOOFを使って旅をしていた。そもそもWWOOF とは、オーガニック農家とそこで働きたい人々をつなぐ組織で、ご飯と寝る場所をホストは提供しなければならない。登録料として一年間で30ユーロ加盟料がかかるものの、オーナーと条件で合意することができれば農園で働くことが可能だ。せっかくならスロベニアではなく違う国でと考えた時に、近い上にWWOO Fの登録ホストの数が多かったイタリアを選んだ。そしてリュブリャナに着いて2日で、イタリアの最も東に位置するU DI N Eという街に働きに来た。来るにあたってオーナーのアレッサンドロとは、Whatsupやり取りをしていて最寄りの駅に着いたら連絡し、迎えに来てもらうことになっていた。その為リュブリャナでヨーロッパ中どこでも使えるS I Mカードを契約した。当然イタリアでも使えるはずだ。しかし車でスロベニアからイタリアまで移動していると、イタリアに入った途端携帯が通じなくなった。まあいい駅で飛んでいるフリーW I FIを拾って連絡しようとその時は考えていた。UDINEというある程度の街の規模の町までバスで移動し、そこから電車に乗って彼の最寄りの駅まで移動したのだが家以外何もなく、無人の駅だった。連絡する手段はおろかひとっこ一人歩いていない。携帯が通じないため彼に連絡することも出来ない上に、Wi-Fiなんて一つも飛んでいない。とりあえず出来ることは人が来るのを待つことだ。焦っても仕方ないので、駅の前の木陰で、家から持ってきたまだ少し硬いバナナを頬張りギターを取り出す。歌う曲は歩いて帰ろうだ。最悪スロベニアまで歩いて帰るか。2,30十分時間を潰していると車で誰かがやってきた。彼は刺青だらけでひょろっと背が高い、トレインスポッティングの主演のユアンマクレガーにそっくりな男だ。ドラッグをやっていそうだ。僕にはマークレントンにしか見えなかった。勇気を振り絞って話しかけてみるが英語を理解している様子がまるでない。何かを吐き捨てながらどこかに行ってしまった。こんな片田舎に外国語を話す人などほとんどいないのだ。彼は相手をしてくれなかったため、またギターを弾きに戻ると、子連れのお父さんが自転車で通りかかった。テッシュ配りで培った経験がこんなところで生きるとは思わなかった。概して子連れはちゃんと対応してくれる確率が高いのだ。ティシュ配りのバイトを紹介してくれたバイト先のお客さんありがとう。こんなとこでティシュ配りの経験が生きるとは思わなかった。とにかく彼に訳を話すと大体理解している様子で、電話を貸してくれた。それでアレッサンドロに電話をするともう行くよーと言ってくれて、一件落着した。数十分後彼の妻であるアルゼンチン出身グラシエラが迎えに来てくれてなんとか彼の家に到着した。あたりを山に囲まれて斜面に芝生が広がる。視界には様々な種類の緑が映る。鮮やかな若草色の芝生、茹でたほうれん草の深緑、それらが夏の終わりの爽やかな風に揺れる。ヨーロッパの山の中と聞いてイメージする景色そのもだ。ハイジの世界をイメージしてくれればおおよそ違いない。そこにはロバ、ウサギ、犬、猫、羊、鶏がいる。あたりにはくま、キツネ、シカが生息しているようだ。彼らはそこでアグリツーリズムという観光と自然体験が可能な山小屋のようなものものを運営していた。4軒の独立した山小屋と、イタリアの家庭料理を提供するレストランがそこにはあり、それらの手伝いが僕たちの仕事だ。ある程度施設の説明を受けた後に、ここが君の部屋だと案内されたのは、ベニヤ板の壁にとたんの屋根の小屋みたいな所だった。そこに空気で膨らますエアーベッドに毛布をひいてそこで睡眠をとる。彼らはシンプルな生活が好きなんだという。聞いていますか、シンプルに生きると謳うが、一番複雑である承認欲求は捨てることの出来ない無印系インスタグラマーの皆さーん。そんな環境だが2日もすると慣れた。そこで寝ていると猫が布団に入ってくる。それはもうぬくぬくしていて、可愛くて仕方がなかった。みんな猫を飼うべきだよ絶対。夜はやることがないため毎日22時から23時の間には寝ていた。そして6時から7時の間には起きてゲストの朝ご飯の準備をする、それを食べ終えると農作業をする。具体的には、動物の餌のための草を刈り、動物にそれらを与えたり、野菜を収穫したり、切った木を集めたり、薪割りをしたりが主な仕事だった。それに加え、週末にはゲストが宿泊に来るため、ランチやディナーの手伝いをした。週末にはアレッサンドロのお母さんがお手伝いに来るのだが、彼女の作るご飯がとっても温かい。おばちゃんの作るご飯を食べると温かい気持ちになるのは何故だろう。特に印象に残っているのは、彼女が作ってくれたティラミスだ。本当にシンプルな材料なのに今まで食べたティラミスで一番美味しかった。彼女はいっつも使い終わったボウルやらの調理器具を舐めて綺麗ににしろと僕に無言で渡してきた。彼女はイタリア語しか喋らないため、言葉はお互い分からないけれど本当のおばあちゃんのような感じがした。そこでの生活では、イタリア語、スペイン語、英語、そしてドイツ語が飛び交いよく頭が混乱した。それでも自分の拙いスペイン語や英語を優しく待って聞いてくれる彼らのおかげいくらか上達した。彼らには本当によくしてもらった。第2の家族がイタリアに出来たような気がする。また帰国する前に必ずや彼らを訪ねたい。



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