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自分を離れるということ

中国の賢人の名言に、
「山にとどまる者は、山を知らない」というのがある。

実際、遠くから眺めると、より美しく見えるだけでなく、より広範囲に見ることができる。

山の本当の大きさは、遠くからでないとわからない。

自分の国の場合も同じである。

住んでいるあいだは、国のことは、
あまり良くわからない。国の本当の
状況、すなわち大きな世界の一部として、その良いところ、悪いところ、
強みと弱みを理解するには、離れたところから見なければならない。
~内村鑑三「ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか」より~

15年前、ウガンダ国にて、内村鑑三と同じ思いを抱いていたのである。
そして、この帰国後の15年間は、ただひたすら自分という人間と向き合ってきたのである。

山にせよ、祖国にせよ、自分自身によ、それを知るための原理原則は、
同じである。

まず、対象物から、離れなければならないのである。

だから、自分自身を知るために、
まず、自分を離れ、家族の気持ちを
とことん考えたのである。

自分の気持ちや言い分は、無視して、親や兄弟の立場に立ち、自分という
人間を見つめ直したわけである。

いわゆる「内観」という行である。

ありのままの自分というものを
知ってゆくと、自分を愛するとか、
好きになるとか、自己肯定感とか。

そのような感覚は皆無となるので
ある。

なぜならば、自らの醜さ、卑怯さ、
自己中心的な考え方が露呈し、
強い罪悪感にさいなまれるからで
ある。

両親や家族に対する深い懺悔の
気持ちが、心を支配するからである。

家族の立場に立って見ると、
自分が世界一の愚か者だと
気づいてゆくのである。

自分には、生きる価値があるの
だろうか。

ついには、そのような心境に
陥るわけである。

ここに至り、ようやく家族より
注がれし無償の愛に気づく瞬間が
訪れるのである。

自分のような恩知らずの人間で
あっても、家族は、愛を与えて続けてくれた尊い存在である。

その事実に気づくのである。

「なぜに自分のような者に、
そこまで愛を与えてくれるのか」

自分という人間の本当の価値は、
この事実に証明されているわけで
ある。

「自分にとどまる者は、本当の意味で自分を知らない」

帰国後の時間の多くは、奇想天外に
思える家族問題に割いてきたわけで
ある。

結局は、自分を離れて、自分という
人間をとことん学びなさいということだったわけである。

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