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人生の指南役

「人生の指南役になりたい」

我が子授かりし時に湧いてきた
思いである。

我が子が人生の岐路に立った時に、
精神的支柱となれる。

そのような父親でありたい。
そう思ったのである。

そして、「このままじゃいけない」
とも思ったのである。

今思えば、あの時のあの思いが、
その後の我が人生を決めたので
ある。

自分なりの波乱万丈や艱難辛苦を
人生で味わわねば、「人生の指南役」には、なれなかったのである。

そして、我が子の指南役は、
たいへん難しい役どころだと
気づいた次第である。

なぜならば、自らの見たくない
過去を咀嚼し、それを意味あるものと受け入れてゆかねばならない。

その義務と責任が、我が子の
指南役には、問われるからである。

それゆえ、我が子の指南役は、
他人に任せるのが一般的なわけで
ある。

ただそれでは、自分が、
深まらないのである。

なぜならば、我が子に生じる課題は、過去の自分の置き土産だからである。

未消化のままの自分の課題を、
我が子が苦悩する姿で、教えている
からである。

だから、我が子の指南役となるには、過去の自分を終わらせなければならないのである。

月日が経ち、人生の岐路に立つ我が子の話しを聴きながら、昔の自分に思いを馳せているわけである。

そして、自らの苦難が終わっていなかったことに気づくわけである。

そこに、親子関係を超えた尊いご縁
を感じるわけである。

我が子の指南役となりたいならば、
我が子を指南役としなければならない。

つまりは、そういうことである。

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