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タイとフランスとトルティーヤ


今年の夏の1週間は、タイで過ごした。

台風が近づいていたらしいその日、
ドアのない乗合バスで向かった先は
タイ南部に位置するラサダ港。
そこからフェリーに乗って、
海が綺麗なことで有名なピピ島を目指す。

台風の影響で、帰りの便が運行するかはわからない。
けど、行きの便は問題なく乗れそう。
ここまで来たからには、と勢いで
往復のチケットを購入したはいいものの、
無事に帰りの便に乗れるか、不安な気持ちでいた。

フェリーの出航まで時間があったので、
その間に昼食を済ませる。
そこで食べたのが、トルティーヤだった。

たっぷりの野菜と鶏肉が巻かれたそれは
ちょっとチープな屋台の味がして、おいしくて、安心した。

どこかで似たものを食べたことがある、
と思いあたり、記憶をさかのぼる。

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それは19歳の夏、
南フランスの有機農家さん宅で
ファームステイをしていたときのこと。

当時は、自分自身、人として今よりも更に未熟だった。

加えて国籍と言語の壁から、
現地では孤独を感じることもしばしば。
予定よりも早く帰ろうかと考えるほどだったが、
ようやく前向きになりつつあったある日の昼食が、
トルティーヤだった。

同じくファームステイをしていたスペイン人の彼女は見事な手際で材料を混ぜてゆき、
あっという間にきれいなまんまるの生地を作りあげた。

生地をじゅうぶんに休ませている間に
どこかにいってしまった彼女に代わって、
居合わせた人たちと生地を焼いていくことに。

トルティーヤというものをよく知らなかったわたしは、
それがとても薄いクレープのようなものだと教えてもらいながら、
ときどき焦がしながら、何枚もの生地を焼いていった。

具材は畑で採れた野菜で作った炒め物や和えもの。
焼き上がったトルティーヤを、レシピも名前もない具材と一緒に、自由に巻いて食べていく。

そこで私は、食事のおいしさ、自然の豊かさ、人のエネルギーが合わさったパワーをたくさん吸収した。
そのおかげで、そこで過ごした日々は、
今でもきらきらとした残像をわたしに届けてくれている。

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帰国してからは、
タイで食べたのでも、フランスで食べたのでもない、わたしのトルティーヤをつくった。
手近な材料で、シンプルなレシピで、
それぞれの国で食べたときのことを思い出しながら。

トルティーヤひとつで、意識は時間と国を超え、わたしの体の代わりに遠くまで旅をした。

初めてトルティーヤを食べた19歳のわたしも、
タイでフェリーを待ちながらトルティーヤを食べた先月のわたしも、いまのわたしも、
まちがいなくわたし自身だけど、
感じることや考えることは少しずつ違う。

日々、いろんなことを感じ、考え、行動する。

過去のわたしは、もういない。
けど、今ここを生きているわたしは、そんなに悪くないと思う。

そう思えることが、ただ、ちょっと嬉しかったのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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