「得意なこととか、ありますか」ー自分を再認識した日のこと
「得意なこととか、ありますか」
こう聞かれたら、どう答えますか。
好きなこと、ではなく、得意なこと。
実際にわたしが聞かれた時の文脈としては、
何か具体的なスキルについてだった。
例えば「作曲」「デザイン」みたいな。
考えたけど答えは浮かばず
ひとまずその場は濁してしまった。
それがずっと引っかかっていて、
思い出す度に考えてみるものの、答えは見つからない。
好きなことなら、ある。
なんとなくできることも、ある。
けどこれといって突き詰めた得意なことが、わたしにはない。
得意なことを聞かれたら、「とくにない」としか答えられない。
そんな自分に気づいてしまった、わけです。
そんなこと前から知っていたはずだけど、
改めてそれを直視して、思い知った。
へこんだ。
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数日後
偶然見つけた、ある動画をなんとなく見ていたとき。
欧州の田舎のお家で薪ストーブを焚くための小枝を拾うシーンがあった。
お家の裏手に広がる林、積もった枯葉の上に散らばった小枝を、ストーブに使いやすいものを選びながら、ひとつひとつ集めていく。
集めた小枝でストーブを炊き、近くで採れた野菜や魚をみんなで調理して、夕食を囲む。
なんて、美しいんだろう。
その光景の美しさと
それに魅了される自分に、はっとした。
こんな暮らしがしたい、
と気づいてしまった。
日本じゃないどこか別の国で
その文化や歴史、建物の中で
のびのびと、自然と一緒に生きていきたい。
はっきりと、こんな暮らしがしたいって気持ちが
りんかくを持った時、涙がこぼれた。
今まで見え隠れして、よく見つめられていなかった
自分の本当にやりたいことを、大きな実感とともに
改めて見つけてあげられた。
本当は前にも、こんな気持ちになったことはあった。
でも、転職とかいろいろな変化があったから
目の前の日々に精いっぱいで、その気持ちはずっと隠されたままだった。
いや、実現するには遠い道のりすぎて
それを直視するのがつらいから、
無意識のうちに考えないようにしていたのかもしれない。
そう、それは、今私がいるのとは別の世界線、ほんとうに遠くにある。
実現したいっていう大きすぎる希望と、
その前に横たわる、希望よりもずっと大きな壁。
この気持ちの昂りさえ収まってしまえば、
またもとの日常を平気でこなすことだってできる。
咲き始めた桜に不似合いなほどの寒さがこたえる日の夕方、
目頭だけが、ずっとあつかった。
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数日前のあの質問を思い出す。
「得意なこととか、ありますか」
ないものは、ない。
当たり前だけど、ゼロがいきなりイチになることはない。
だから、今は、ない。
そのことを認めなければいけない。
わたしには何もないと、劣っていると、
思ってしまう。
でも、
泣きたくなるくらい美しい瞬間に出会うことがある。
動画で見た、枝を拾ったり夕食を囲んだりしている光景も、
夜道を照らす月が折り紙みたいに光っていた夜も、
落ちこんでいた友人が、目をきらきらさせて笑っている姿も。
ぜんぶ、こころを豊かにしてくれた。
自分には何もなくても
生きるために必要なパワーはちゃんと、すぐそばにあるんだ。
世界ってこんなに美しいじゃんか。
いまはゼロでも
自分の望む生き方をしたい、という
思いに向けて、動きを0.1ずつでも積み重ねて、
すくそばの小さいものを見つけて、
美しいものを美しいと思える、
この目とこころを育てていけたら。
いとおしい世界のおかげで
きょうも健やかに生きれています、ありがとう。
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