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母の存在感

幼い頃から「父親似」の顔立ちだと言われてきたし、自分自身でもそう思っていた。母と結婚した頃の父親(30歳ごろ)を写した白黒写真は自分の写真かと思うくらいにそっくりだった。
ちなみに高校生の息子は僕の高校卒業アルバムの写真とそっくりだ。恐るべしDNA、である。
幼稚園の頃だったかもっと前だったか、母親が冗談で僕に言ったことがある「普通の子供はお母さんから生まれてくるんだけど、◯◯ちゃん(僕)はお父さんが産んだのよ、だから顔が似てるでしょ」
母は他愛もない冗談のつもりで言ったのだろうし、随分経ってからこの件に触れた時も母は全く覚えていなかったのだが、当時の僕は「誰にも言えない恐ろしい事実(世界中で僕だけが父親から生まれた)」に怯えていたのである。
母親はそんな恐ろしい冗談を言い放ったことも気にせず(そもそも覚えていないし)、「でも前髪の生え際はお母さんに似てるわね」なんて呑気なことを言っていたのをよく覚えている。幼かった僕は「前髪の生え際」のみが「自分が母の子供である」ことの証拠だと思っていたのかもしれない。
自分の年齢がその頃の父や母のそれを通り越し、50歳を目前にしている最近、急に「母親に似てきたな、と思うことが増えた。自分の顔面に母の面影が急速に出てきたのである。
認知症を患い、今となっては僕のことも父のことも分からなくなってしまった母。
「お父さんが産んだのよ」の冗談を笑い話にすることもできなくなってしまった。コロナ禍以降は見舞いに行ってもガラス越しに面談するのみで、視点の定まらない母親に、ガラス越しに届かない声を掛けることしかできない日々。

若い頃には心配ばかりかけたので、親孝行でもしようかなと思った頃にはそれさえも許されない状況になってしまい、母親への気持ちはずっと置いてけぼりのまま。
と思ったらここに来て毎日鏡を見るたびに母に似てきた目元や眉の形、そして前髪の生え際で母親と向かい合う日が来るとはね。

さすが僕の母上である。


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