フィルムメーカーから見たホームメーキング

ホームメーカーとは

 先日介護保険のセミナー(アメリカの日系保険会社主催)を聞いていた時、初めて「Homemaker/ホームメーカー」という言葉を知りました。ホームメーカーは家事一般を担う人のことですが、日本の多くの家庭ではその役目が主婦に当たるようです(もちろん主夫も該当します)。ちなみに、「Home Health Care/ホームヘルスケア」はホームメーキングと異なり、人と直接接触する仕事で、例えば、介護の必要な人が寝床から食卓、あるいは便所や浴室などに移動する時の介添えがあります。また、リハビリなど運動療法の介助もその仕事に入るようです。

 妻が以上のような介護が必要になって以来、私は家事と介護を担っていますが、週に何回か外来のホームヘルスケア・ワーカーと一緒に仕事をすることになって、いろいろ学び知ったことがあります。

 家長制度の残る日本の家庭では、家事は女性、強いて言えば主婦の仕事となるケースが多々ありますが、共働きの夫婦の在り方を考えると女性だけにそれらの負担を強いるのは現実的ではありません。もちろん、育児が加わる家庭も多いでしょう。家事はそもそも生活環境の管理ですから、状況によっては家庭内で各自が責任を持って取り掛からないといけないものです。例えば、ごみを家の中にずっと置いていられますか? 不衛生ですよね。散らかした衣類や書類をどうしますか? 片付けが後手後手になると、もっと厄介になることを想像してみてください。

 具体的に家事の内容を、朝から夜の就寝時間まで順に列記してみると分かりやすいかもしれません。

 まずは起床。独りで寝起きしているなら、外に出る時間に合わせて朝食を用意し、(シャワーを浴びて)着替えて外出ということになりますが、朝食を用意するのに数分もかからない、あるいはかけたくない人もいるでしょうから、その場合は食器を片付けることが主な家事だと考えられます。これが夫婦世帯や子供のいる家庭なら当然変わってくるわけで、食器や朝食の準備に加え、外に出て行った家族が残した衣服や食器の片付けが必要になるでしょう。奇麗好きな人なら使った部屋を掃除して、衣服を洗濯するかもしれません。家族が帰宅するまでは、自分用に昼飯の支度と後片付け、終われば買い物に加えて配偶者から頼まれた事があったりして、全くの暇ということにはならないでしょう。そうして、家族が帰宅する頃からは矢継ぎ早に忙しくなるはずです。晩食の準備から後片付け、就寝まで数時間。家事を手伝うということは、これらを手伝うことになります。就寝も常備のベッドではなく布団ということなら、家族の分も布団を敷かなければいけないこともあるでしょう。

 最近の日本映画で家族の食事場面を見ていると、女性が食卓と台所を行き来している間、家族の誰も手伝おうとしない、もちろん後片付けもしないケースがいまだにあります。家事は誰が担うものなのかを既に決められているように見えて仕方がありません。家事こそ人間の生活の一部であり、環境を維持する活動なのに、その家事を主婦だけに負担させ、その大切さを無視しているような気がします。

 家事は日常生活で自分に必要なことを示唆しているとも思うことがあります。一度家事を投げ出してみるとそれが分かります。環境がどんどん不衛生になるのは明白ですが、ホームメーカーが全くそれに気がつかない、あるいは諦めているような場合、家がやがてごみ屋敷に化けていきます。

 食材の買い物から食事の支度、献立、そして後片付け、食器洗いなど以外にも日常の生活環境を整える作業はたくさんあり、食事以外の家事こそきちんと認識していかないといけません。食事の世話だけならコンビニで買い物し、それを食卓に並べ、食べ終えたらごみとして処理するだけで事足ります。健康を考えた食事のバランスという課題は残りますが、このコンビニに頼る食生活以外にも、家事は存在するのです。前述のように、衣服、寝具などの洗濯と整頓や部屋、浴室、便所などの掃除に加え、支出経費を含む家計の管理も含まれるでしょう。

ホームヘルスケアとは

 独り身になって、しかも家で介護が必要な状態になると、普段の家事を請け負ってくれる人を外部から頼んだりすることになります。それらも総じてホームヘルスケアの守備範囲と言えます。もちろん、あなたが障害者と認定される前提でしかこういったサービスが得られないのは承知のことと思いますが。

 ここで言いたいのは、一度自分の体の不自由を経験すると身障者の生活の一部が分かるということなのですが、一般の家事と共に、この介護が実は当事者が日常生活で特別な意識をせず行っている動作・行動なのです。家事と同様に、介護の世界では最初の状態や位置から出発し、最後には同じ状態・位置に戻って来るまでの過程が毎日繰り返されます。例えば、棚にある食器類が移動し、食卓、人の手、そして食器洗いなどを経て元の棚に戻って来るのに似ています。介護では、介護人の手によって寝床から車椅子、そしてトイレ、あるいは、食卓や別の椅子、さもなければ元の寝床に戻ります。これらの移動を毎日、毎回介護が担うのです。

 プロの介護人は、世話をする人がどういう状態かを知ります。例えば、トイレまで自分で歩ける、あるいは車椅子からトイレの便器に移動できるかどうかなど、日常生活上の行動でどの程度の介護が必要かを把握します。

 この介護人、ホームヘルスケアに携わる人には特殊な技術があり、それは医療介護の世界で認定されています。それは人を扱うという繊細な所作、つまり人の体のことが分かる知識と技術に裏付けされているということです。彼らは医療に付帯したマッサージや理学療法の分野にも応えられます。ここが家事を担うホームメーカーと違うところです。プロのホームメーカー、家事代行は人、患者、介護対象者の身体に触れず、その人が必要なこと、その人ができないこと、あるいは届かない物を手に入れるなどに応えるだけなのです。ただし、米国ではホームヘルスケアの介護人が当然のように家事の一部を担うことはあります。

 ホームヘルスケアにも日米の違いがあるでしょうが、介護や家事を必要とする人の生活環境を整え、日常生活を助けるのがこの仕事の根本思想だと思います。

 配偶者が介護の必要な状態になった時に、この家事と介護の両方の負担を担うことになる場合が多くあります。これが家族による家庭介護です。

介護と家事の両立

 私自身、家庭介護の世界に入ったのは、ほんの数年前でした。それまでつえを使って歩いていた妻が小型の電動スクーターで家の中を移動するようになり、旅行にそれを持って行く必要性も出てきてからです。伴侶が自分の日常生活上の行動を独力でできなくなりつつある時に、介護の必要性が出てきたわけです。

 気がつくと、電動スクーターの行き先を注意して見たり、レストランなどの施設に行く際には、先に障害者用のトイレがあるかどうか、そこまで段差があるかどうかも確かめたりするようになりました。

 随分経って私がついに短編映画を制作した頃は、妻は外来介護の必要性もあり、撮影期間は24時間体制の介護の予定を立てました。というのは、私が完全に介護できないからです。それでも、そういう準備が可能になって私自身が撮影に入れたのは良かったです。そういう環境を作り、家事と介護の両輪を回すのが積極的な生活だと思います。日本での労働環境、特に映画撮影の過酷さを耳にすると、私の経験したことが日本でも可能かどうか、日本でそのような環境を作り撮影ができるのかどうかも気になり、できれば同じような準備、設定が容易にできればと期待します。

 映画撮影の現場は、特に制作アシスタントの視点から見ると、前述した家事の内容に実に似ています。つまり、家族のため、映画の撮影クルーや出演者のために、食事の準備、送り出し、必要な手配事から撮影で使った物や場所を元の位置に戻す、掃除をする、また仮に不備があったりしたら修繕するくらいのことを担っているからです。しかし、家事そのものがいまだに一定の労働としてのきちんとした評価を得られていないように、映画制作アシスタントも他の担当、つまり監督、演出部や技術パートに比べて、極めて低い評価の下で労働しているように思うのです。

 家事に携わる人たちの労働評価が低かったり、映画の制作部の仕事が過酷な割には正当な賃金を得られていなかったりするのは、全て日常生活上にある仕事、つまり特殊な技能や養成を経て得た仕事ではないという、家事に対する伝統的な捉え方や意識が支配しているからではないかと思っています。

フィルムメーキングもホームメーキングから始まる

 私自身は家事と妻の介護を担っていますが、食事や部屋の掃除、寝具の取り替えなどを外来のヘルパーさんや食事の配達などで日々助けてもらっています。それでも私の仕事がずっと楽になるわけではありませんが、私が地元で短編映画の制作、撮影に入る際は、撮影日のみ時間外まで外来の介護体制を整え、食事や他の家事も支障のないようにできました。また、撮影現場では、制作アシスタントらによる食事の面倒や飲料水、スナック類の常備を心掛けました。我が撮影チームが少人数態勢だったので現場のプロデューサーが撮影、照明、美術の各部でアシストしてくれ、しかも技術部と制作アシスタントとのすみ分けをうまく作ってくれたのも助けになりました。ややもすれば、制作アシスタントの労働は朝から晩まで切りがなく、技術部らもひっきりなしに彼らに応援を期待したりして、それに応えるべく、あるいは同調圧力から彼らの過剰な労働が生まれたりします。しかし、超低予算の撮影編成では車の運転も担う制作アシスタントや助監督らに過重な負担をさせずに進めるのが良い労働環境だと思うのです。家庭で言えば、食事の支度や後片付けくらいは各自が責任を負うことで、主婦や主夫、あるいはお互いの負担が随分減るわけです。

 私が近い将来日本で映画の撮影をする際には、その労働環境にこだわり、無理をしない、させないような制作体制を作れればと考えていますし、また、撮影期間には妻の介護体制を整えられるようにしたく思っています。それを実際に遂行していってこそいろいろな課題に立ち向かい、さらに既成事実を積み重ねていくことになるかと思っています。やはり、映画生活も日常の生活環境から変えていきましょう。映画作りに関わる人がそれぞれどんな生活環境を持っていようと、皆んなが溶け込めるような労働環境作りを目指して欲しいです。


 


 

 

 

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