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最後はいつもサイコパス。


久しぶりに投稿する。と言っても何を書くかをたった今忘れてしまったのである。何か思う事があったからnoteを開いたはずなのに、過去の記事を漁って見ていたら完全に忘れてしまった。情けない。

ああ思い出した、普通の人に溶け込みたいと思ってるのにいつまでもそれができないという、嫌味にしか聞こえないような悩みを昔から持っていたことを。その前に自分史を少しさせてほしい。小学は家が厳しく外で友達と遊ぶことも禁止されていたため勉強だけをしてきた。中高では周りと違う事を無意識的にしていくうちに、それがカッコいいと思うようになり、自分を目立たせるために作為的にするようになった。また高校で配属された部活クラスには馴染めなかった。なので自分から周りに距離を置くことにした。距離を置くと言っても、幼稚でドジな私は所々それが漏れていたため、一見一匹狼っぽいけどなんかよく分からないゆるキャラみたいな認識を周りに与えたと思う。でもそうしているうちに今まで仲良かった人も少しずつ離れていった。最初は気にしないようにしていたがようやく我に返る時が来て、孤高と孤立の意味を履き違えていた自分の愚かさを呪った。
だから大学に入った当初はなるべくウェイの人を好んでよく遊ぶようになった。高校では密かに羨ましいと思っていたような仲間ノリに混じる事ができて嬉しかった。でも遊んでくうちにやっぱり私の居場所はここじゃないと感じた。そして軽音サークルに入部した。当時の体感で言うと、気がづいたら軽音サークルの部会にいたみたいな感覚だった。どうしてそこに行ったのかいまいち覚えていない。多分昔から歌うのが好きでボカロ曲をよく歌ってたのと、カワグチジンさんがライブしてた時の写真が凄い印象に残ってたのがきっかけだったのかなと思うけど。

話はだいぶそれたけどとりあえず小学から大学でサークルに入るまでを振り返ってみた。
ここで本題に戻すと、普通な人になりたいというわたしの願いは、今でも叶えられていない。高校までは論外だったので置いといて、軽音に入ってからはなるべく周りに溶け込もうと努力したと自信もって言える。本来喋るのが得意じゃない自分でも明るく振る舞おうと頑張った時期もあった。お陰でかっけえええと思ってた先輩達とはすぐ仲良くなれたし、同期と後輩とも普通に話せる仲にはなれた。少なくとも嫌われてはいないと思いたいけど。でも本当の意味で馴染めていないと今でも思ってしまう。それはきっとわたしの性格の問題だし何とも言えないけど、とにかく違和感や壁みたいなのを最後まで感じていた。
(馴染むという意味を波長が合う、自然な状態で話せると捉えていただければ^ ^)

ここまで来ると答えは少し見えてくると、これを書いているうちに脳内がそう語ってきた。馴染むと言う理想に向けてできる限り努力はした、でもできなかった。それならその価値観で言う「馴染む」という理想を追い求めるのを止めれば良いんじゃないかと。4年もかけてそれに到達できなかったのなら、もうそこは自分の領域じゃないと認めるべきだと。その通りだと思う。それにいつまでも囚われてても幸せになれないし、だったら他のことに注視していったほうが人生豊かになれる気がする。それか身を置く環境ごと変えてやるか。それも手の一つだろう。


※これで言いたい事は、人と仲良くする事を放棄すると言うわけではなく(それだと高校と同じだから)、あくまで自分の理想を自分に押し付けすぎないこと。
誤解される言い回しを使ってるので最後に一応おおざっぱにまとめをつけときました。笑

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