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社会が悪いと言ってるわけではない、合わないのだ

今日は会社説明会を受けました。

その感想はというと
良い反面教師になった、と言ったらポジティブになるのかな。
でも自分の思想と照らし合わせながら受けてたので確かに良い機会にはなった。
でもどうしてそう思ったのか、それについてじっくり話せたらなと思ってます、ヨロシクッス。


ちなみに本投稿の画像はanoというアーティストのデリートというSingleアルバムのジャケ写です。最近あのちゃんブームきてる、好き。


早速本題に入ります。
まずそう思った理由は、やはり社会が作り上げる作為的なモノに対して気持ち良くないと感じるからだと思う。

まず会社のアピールしている所に、自分はいちいち違和感を覚える。
部署はみんな仲が良い、社長との距離が近い、先輩にも質問がしやすい環境。
確かに一見良さそうな雰囲気に思えるけど、
そういう所に居た経験がある私からしたら全くプラスポイントにはならない。
そこに作為的な何かを感じてしまってどうもスッキリしない。
アットホームな会社です!と外部からそう思ってもらえる、思わせるという目的が隠されている感じがする。
だって本物はきっと自分からそういうことを語りたがらないから。
語るということは、その前に何かしらの意図があるんだと考えてしまう。
そしてそれはあまり健康的では無いと思ってしまうわたしはきっと社会不適合な人である。

こういった考え方を持つ人はおそらく一般社会に溶け込めない類いであるとは一応自覚している。
でもどうしてもそこが気になってしまう、気にしないように言い聞かせてもなってしまうものだから仕方がない。だからこれは自分の個性だと受け入れるしか無かった。

会社が必要とする人材は、自分から積極的に行動して、どんどん挑戦していって、周りに働きかけて巻き込める人で、
どこの会社でもそういう人が欲しいと思う。
一方私のような他人に遠慮ばかりしてガツガツさがない人はきっと需要がない。
そして苦い思いをしながらこう生きるしかないんだと自分に言い聞かせて、いつまでも抜け出せなくなる未来が見えてくるし、でもそういうふうに搾取されるのはまっぴらごめんだと思ってる。
積み上げできたものを放り投げるのはみんな怖いもんね。


最後にちょっと余談ですが、
私は昔から、周りからあまり好かれないムスッとした人と逆に気が合うことがよくある。むしろその人とは話しやすかったりする。
そういう人は実は元々心優しい人なのではないか。
でも他人の気持ちに敏感になりやすいからこそ、自分を守るためにむすっとした態度をとって自分を隠そうとする。
だからよく、初めは怖い人かと思ってたけど関わってみたら良い人だったというパターンが多いんじゃないかな。
まあ独自の世界観を持ってて元からムスッとした人もいるけどね。笑
でもそういう人はいずれそれだと生きづらいと気づいたら愛想よくするようになるんじゃないかな。きっとそうだと思う。(勝手な決めつけ)

そんじゃ、余談が長くなって申し訳ない。
今日はここまでにします。
明日もご機嫌なバイブスになれますように^_^

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