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インドに着任したらどうするか 『着任の手引き(生活編-①)』

インドでの生活は日本で生まれ育った一般的な日本人にとって、不便さや不快さが他の国での生活と比べて激しい。日本を含めた外資企業のインド駐在員に対して支給されるハードシップ手当も他の国・地域と比べて非常に高いランクに位置しており、簡潔に言えば、「お金を積まれない限り住みたくない国」と評価されている。インドに着任してインドが持つ不便さや不快さに対してゼロから取り組むとすれば、それは単なるお金と不快さ・不便さの交換であるばかりか、日本企業が支給している手当と、駐在員が直面するインドの不快さ・不便さは全く釣り合わないのが現実だ。そのため、インドに着任する駐在員や帯同者としてどのような点に気に付けて生活すれば、できるだけ損せず快適に生活を送れるのかを、『着任の手引き(プライベート編)』として纏めた。尚、(仕事編)については、こちらに別途纏めている。

インドは経済発展が著しいので、毎月新しい店やサービスが現れては消え、瞬く間に生活が進化している。今回纏めたことが過去のものになる日がいずれは来る。ただ、インドの社会構造や文化に根差した課題については早晩解決されるようなものではない。仕事をする、しないに関わらず、外国人がインドで日々の生活を送るためには、インドの社会構造やインド民の性質についての基本を押さえておく必要がある。これまでも、「インドを見る視座」「インド民の代表的言い訳とその対応」「インド的下請け文化」を通して考察してきたが、今回は構造的な分析から少し離れ、日常で意識しておきたい基本的な心構えを列挙する。第一回目の投稿では一般的な心構えを列挙し、第二回、三回の投稿で衣食住を中心にインドの日常生活の中で着任者や帯同者が気を付けたい点を、かなり具体的な個別論点に踏み込んで整理していく。
 


・何をするにもインドは日本の3倍時間がかかる

インドに着任して生活を送るに当たって、まず、インドでは物事が何一つ思った通りに進まないと覚悟しておいたほうがよい。最初に空港に降り立った時から離任するその日までこの状態が続くので、日本にいた時のように、「しっかり準備しておけばトラブルは防げる」というマインドセットは捨てたほうがよい。このマインドセットがあると、日々の全ての生活や仕事がままならぬ状況が非常にストレスになる。駐在員個人としての目標や野望は心に持ちつつも、インドやインド民という他者に対しては期待を高く持ってはいけない。何か自分が進めようと思ったことは、日本の3倍の時間がかかると思っておいたほうがよい。自分が十分に準備をしたと思っても、ばかばかしい事象が連続して影響しあうことで、どうしても避けられない不確実性が発現する。
イメージとしては次のような状況が至る所で発生していると思えばよい。
 


部屋のエアコンが壊れたので、私はメンテナンス会社に修理を依頼した。
しかし修理当日、作業員は約束の時間に遅刻。
やっと到着した時、アパートのゲートを管理している門番は昼飯時で誰もいなかったので、作業員は立ち往生。彼は私に電話をかけたらしいが、アパートの前は携帯圏外で電波が通じない。しかたなく作業員はアパートの前で門番が戻るのを一時間も「ただ待った」。やっと門番が帰ってくる頃には作業員は次の場所に向かう時間になっており、予定していた作業はできなかった。私は来週末に再度来るように依頼したが、来週は謎の宗教行事と重なり作業はできないため、結局修理は再来週になった。

 
これはあくまで偶然の個別トラブルのように見えるが、トラブルの原因を分解すると、「時間意識の低さ」、「ホンレンソウと他者配慮の欠如」、「インフラの未整備」、「バックアップ体制の欠如」、「無数の宗教行事」、「責任回避優先のメンタリティ」というインドに共通する複合的な要因が連携しながらトラブルを起こしており、偶然のトラブルではない。同じようなことがインドという空間で際限なく繰り返され、物事が全く前に進まない。エアコンを修理するという単純なことでさえこのようになっている理解すれば、それよりも複雑な事象がスムーズに進まないことが想像できるだろう。自分の心がインドに病んでしまわないように、まずは、何事もままならないという事実を受け止める心を持つ必要がある。

・インド民の10人に9人は「嘘つき」か「泥棒」と思え

これは何の根拠もない数字で、全く事実ではない失礼な方便であるということを前置きとしつつも、インドで生活をして身を守り、生き抜く中で一番しっくりくる心がまえである。日本という平和な島で温室栽培された海外在住経験もない日本人ならば、これくらいの意識でインド民と接するくらいがちょうどいい。なぜなら、実際に嘘つきと泥棒を広義の意味でとらえれば10人に9人と言わないまでも、それと同じくらいの頻度で嘘と泥棒に直面するからだ。
一番簡単な例は「時間や締め切りを守らないこと」である。「明日来る」と言って来ない。「週末には完成する」と言って完成しない。このような時間や締め切りの約束を破ることも広義の意味での嘘といえよう。さらに、何かを説明するときに都合の悪い重要な点を言わず、後になってそれを公表するようなことも嘘の一部と言える。「泥棒」も、広くとらえれば他人の時間を奪うという意味での時間泥棒がそこら中にいる。もちろん、強盗や窃盗という明らかな泥棒も発生する。正規の値段とは異なる値段をふっかけて不当に金銭をせしめる行為も「泥棒」に該当する。もちろん素晴らしく正直で人格者のインド民も沢山いるが、接するインド民の10人に9人がこのような人々だという感覚を持って相手の言っていることや意図を捉えて接しないと、結局損をして自分や家族が不快な思いをする被害者になってしまう。
 

・自分の目で見たもの以外は信じてはいけない

インドでは自分で実際に見たもの以外は信じてはいけない。「あなたの指示通りやっておきました」、「〇〇には××と書いてありました」、「〇〇が××と言っていました」など、インド民の口からただ聞いただけの事実はこの地域では安易に信じてはいけない。とにかく現地・現場・現物を自ら見ることが大切である。これは一つ前の「10人に9人が嘘つきか泥棒と思え」に通じる点である。この視点は決して外国人として彼らを色眼鏡で見ているから出てきた感覚ではない。実はインド民同士も互いに相手の言っていることを容易に信じないように気を付けながら日常を送っている。例えば先の例のようにメンテナンスの作業員が何かの修理を完了した時、作業員は上司に作業完了した現場の写真を撮って完了報告を行う。インド民上司もインド民部下が「できました」と言うだけでは到底信じることができないためだ。最初はなぜテキストメッセージで完了報告せずにいちいち写真を送るのか疑問だったが、監督者からすると自分の目で見たいのである。

インドで現在でも横行している詐欺で一つ有名なものがある。「予約していたホテルが閉鎖されている」、「この道から先は通れない」、「今日は博物館は閉館している」、などの嘘を言って高額なホテルやツアーに誘導するケースである。これも「自分の目で見たもの以外は信じるな」というルールを心に置いておけばある程度防げる。彼らが口から話すだけの情報は自分の目で見るまで信じてはいけない。もう一度繰り返すが、「自分の」、「目で見る」まで信じてはいけない。つまり、「他人の」目で見たことは信じてはいけない。そしてあなたが自分で「聞いた」としても不十分で、「目で見ない」といけない。言葉などというものはいくらでも嘘をつけるし、その後にはインド民得意の怒涛の言い訳ができる。なお、生成AIが進化した世界が到来すると、せっかくデジタル化と経済発展とともに混沌が整理されてきたインドに再び混沌をもたらすのではないかと個人的に心配である。AIにより生成された嘘の画像などを見せて相手を信用させるような高等な詐欺師も出てくるだろう。そういう点も踏まえると、現地・現場・現物を大事にして、「自分の目で見た」ものしか信じないという原則はデジタルの時代だからこそさらに推奨すべき原則になっていくと思う。

・インド民の心は個人の短期的損得勘定で動く

インドは混沌としている世界で煮ても焼いても食えぬ人々がうごめいているように思えるが、彼らを観察していると、それぞれの個人は非常にクリアな力学で動いていることが分かる。大多数のインド民の行動原理は非常に単純で、個人のそろばんで短期目線の損得を計算し、それが得ならやるし、損ならやらない。よく分からない恥や外聞や倫理などというものの介在は極端に小さい。中には突然変異的に利他的な者もいるが、そんな人に巡り合ったら幸運と思っておけばよく、普段接するインド民は短期的損得勘定が全てという行動原理だ。これは最初の内は憤りを感じるかもしれないが、あまりにも単純明快な行動原理なので、彼らに何かやってほしいと思ったときは、どのようにすれば損得勘定のチャネルにうまくアクセスできるかを考えればよい。
彼らと比較すると日本人のほうが複雑でとらえどころのない意思決定メカニズムと行動原理を持っており、行動を予想したり促したりするのは容易ではない。色々な習慣や心理的なバリアでがんじがらめになっており、複雑な計算の結果、よく分からない結論に至ることもある。どこにやる気スイッチがあるか分からないし、一体何をモチベーションに働いているのかもよく分からない場合がある。それと比較するとインド民は明確に自分の経済的な損得計算で動くので、その点はぶれない。

・正規ルートにこだわらない。下が動かないなら上を動かす。

インドは、その異常な人口の過密度と、非効率かつ恣意的な行政機構が故に様々な手続きやサービスを受けるための正規のルートの前には無数の人が並んでいる。よって、正規のルートに正面から並んでいても一向に物事は進まない。しかし、正規のルートではない特別なルートを見つけると関係者の決断や行動が段違いに早く進む場合がある。行政手続きがスタックしていたが、役人の友達にかけあったら一瞬で進んだという話や、交通切符を切られても警察署の知り合いに電話して解決してもらったなどの話はインド民から非常によく聞く。民間でもこの構造は同じで、ヘルプデスクにいくら電話しても解決しない問題がその会社のマネージャーの友人に言うと一瞬で解決することもある。
インドにおいては、正規のルートを一旦忘れて、自分が持っているリソースやコネクションを利用してどのルートが問題解決の最短ルートなのかを考える必要がある。皆が正規のルートではない最短距離をトライするので、結果的に全体に混乱と非効率が生まれる。ちょうど道路の車線や交通法規を無視してインドの車が走っているのと同じである。皆が、前に前に行こうとするのでその行為が囚人のジレンマのように渋滞の原因になっている。
一人の力で社会構造を変えることができるなどというおごった気持ちを捨てて、このインドのカオスの一つを引き起こす自覚を持ちつつ、自らの利害を追求しなければならない。そうでもしないと極端なことを言えば戦後の日本で闇米に手を付けずに栄養失調で死んだ裁判官のようなことになる。それは家族も会社も求めていないし、インド社会すらもそのような人間を清廉潔白で立派な人物とは評価しない。

・日本人としての矜持を忘れない

インド在住期間が長くなると、だんだんとインドの不便、不快な点にも慣れてくる。騒音を出す隣人にも慣れるし、路上の犬や大気汚染にも慣れる。インド民の嘘や悪癖にもある程度慣れる。この現象について自分のメンタルがタフになったと捉える人も多い。しかし、実際は自分が持つ倫理感や他者への配慮や衛生観念の基準が下がってしまって、インドへの「同化」の一つであり、‘‘日本人としては‘‘進化に見せかけた退化であるという危険性を認識しておかねばならない。あくまでもインドの常識と最適化は、この限定された特殊地域へのサバイバル対応であり、そこに向けて同化することは、日本から見ても、他の国から見ても尊敬される人間性とは乖離したものである。
意外な事実かもしれないが、実際にインド駐在期間が5年を超えてきたあたりから、本社とのコミュニケーションや仕事の進め方、他人との接し方がインドナイズされてしまい、まるでインド民とやりとりしているような非常に雑な人間性になってしまっているケースが多い。多少時間にルーズになるくらいならまだしも、約束を守ることや他人に対する礼儀や思いやりなど、インド在住を経てだらしなくなってくる駐在員や帯同者もいる。計画や段取りに関する感覚が鈍くなり、「どうにかなる」という感覚で仕事や生活をしてしまう。これは生活していると気づかないうちに陥る罠なので、意識的に日本人としての矜持を忘れないようにしておきたい。部活や仕事場に初めて入ったときのことを思い出してみると、自分の倫理観や仕事の基準というものは周囲の人間に影響される。周囲の判断や感覚を肌で感じながら自分もそれに徐々に慣れ、時間をかけて成長していく。インドではこれと逆のことが起きるので感覚が自然と退化する。周囲のインド民がインドスタイルで生活・仕事をしているので、その影響を受けずに自分が長年過ごすことは難しい。よい仕事や習慣を自然に学んできたのと同じように、悪い仕事や習慣も人間は自然と吸収していってしまう。

ここまでで、インドでの生活に必要な心構えの中で重要なものを紹介しました。次は更に具体的なインド生活の「衣食住」について、インド着任者及びその家族が知っておきたい論点を解説していきます。
 

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