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インドに着任したらどうするか 『着任の手引き(生活編-③)』

(今回の投稿は、「着任の手引き」生活編②の続きですが、こちらの記事単体だけでもお楽しみいただけます。)

前回までの投稿で、インドで生活するための心得とインドの「医食住」の「医」を説明した。今回はシリーズの最後として「食」・「住」に関してインドの実態に触れながら、日本人がインド生活をできるだけ快適に過ごすためのポイントを紹介していく。


インドの食生活と生活リズム

インドの「食」を考える時の一番の勘違いは、「インドの人々もその食事で生きているだから、日本人も同じような食事で問題ないはずだ」ということである。これは食生活というものを単に食べるものの違いだけと誤解していることによって発生する勘違いである。食生活は、生活リズム・家族の単位・許容する健康リスク・仕事のやり方など生活すべてに密接にリンクしており、食べ物だけ切り出して現地化することはできない。食生活を現地化しようとすると、それ以外の部分もインド民に「同化」しなければならない。

なぜ「食」を変えることが「同化」を意味するのか。インドの食と生活の繋がりを、北インドの食事を例にもう少し具体的に見ていく。北インド料理は全般的に消化に良くない油と塩分と糖質を多く含んでいる。作り置きをすると極端に味が落ちる料理も多く、家族全員が揃って食べる必要があるため、全ての家族が確実に揃う8時~9時頃が晩飯の時間になる。その時間に油と糖質の多い料理を食べるので、結果的に朝起きて朝飯を食べる気にはならない。よって、彼らはオフィスに食べ物を持ってきて出社後にそれを食べている光景を見かける。当然昼の時間も遅くなり、ランチタイムは1時や2時になる。前述の通り家族揃って晩飯を食べる必要があるので残業を非常に嫌がり、仕事が残っていても帰ることが至上命題になりがちだ。このように、食べ物が仕事と生活のリズムを構成している。北インド料理は調理の時間が長くかかるので、インドの中流以上の家庭はメイドを雇って料理を作らせる。特にインドの北部はベジタリアンが多いにも関わらず新鮮で安全な野菜を安価で調達することのが難しいので、栄養も偏りがちでビタミンも不足している。これらの生活習慣によって、インドには糖尿病と高血圧の患者が極めて多く、インド人の平均余命は67歳と短い。

これらの生活リズムと健康リスクを許容して彼らに「同化」すれば、インド民と同じ食生活をできるかもしれないが、おそらくほぼ全ての駐在員にとってこれだけのコストを払ってインド民と同じ食生活を実践する理由もないだろう。そもそも彼らと日本人では遺伝的な体の形質も異なるため前提条件が全く違っている。私自身も、インド料理を中心とした生活にトライしたが、結果的に日本食をメインとした食生活を送ることが最も安定的で健康的な方法ということを学んだ。もちろんこれらの食事はインド民の日常の食文化と異なるので食材やレストランへのアクセスは限定的であり、日本人にとっての「食」の難しさを引き起こしている。

自炊が「食」の基本解

インドに於いてインド料理以外を日々の食事のベースにする場合、どのようすれば効果的にそれらを摂ることができるかが次の課題となる。首都デリーですら、日常使いできるような日本食提供する店は非常に少なく、全ての店の名前を覚えられるくらいしか選択肢がない。もちろんホテルの中に入っている寿司屋や中華料理店もあるが、夕食の度に毎日そこに行くわけにはいかない。よって、インド料理以外を日々の食事の中心に据えようと思えば自炊が基本的な選択になる。食の安全という側面からしても自分で全て管理できる自炊が一番安全である。自炊が得意だったり、幸運にも配偶者が料理を作ってくれるような場合、自炊で日本料理を食べるのが一番である。但し、残念ながら牛肉・豚肉は宗教上の理由でインド人の大半が日常食としていないため、インド全土で共通してまともに調達できるのは鶏肉と羊肉のみだ(一部牛肉が食べられる地域あり)。醤油、酒、みりんなどの日本の調味料も外国人向けのスーパーにそれぞれ各1,2種類しか売っておらず、店頭の商品の賞味期限が切れていたりするので、日本への一時帰国や出張のタイミングで調達して、なんとかストックを切らさないようにしなければならない。そのような厳しい調達状況をサポートするために食料や日常品を纏めて日本から購入・運搬してくれるサービスを契約している会社もある。日本人向けの食事付サービスアパートメントに住めば、本格的な日本食を楽に安定的に食べることができる。自炊が難しい単身赴任者にとってはこれが最適なソリューションだと思う。高級ホテルのレジデンスに憧れるかもしれないが、やはりこれらの外資系ホテルは「食」の部分の強みが薄い。短期的な滞在であればホテルの食事で対応できるかもしれないが、何年も駐在することを考えるとバランスの悪い食事は単身者の体にじわじわとダメージを与えるのでお勧めはできない。


住居に関する三つの選択肢

駐在員にとってのインドの住宅は、憩いの場であると同時に厄介の種である。住宅に纏わる不快さや不便さを減らすことは、駐在生活で重要な課題だ。日本人駐在員は、大きく分けて三通りの形態の住居に住むことになる。一つは高層住宅(いわゆるタワマン)、もう一つは個人所有の低層のアパートメント、三つ目は食事や身の回りのサービスがついたサービスアパート・ホテルのレジデンス棟だ。インドの住宅は家族の人数が多いことが前提に設計されているので、タワマンや低層アパートメントの一般的な部屋の間取りは日本の3LDK、4LDKが多く、平米としては100平米を超えるところがほとんどである。これよりも小さな間取りの家は外国人が住めるようなクオリティの家としてはあまり見かけない。サービスアパートメント及びホテルのレジデンス棟を利用している駐在員もいるが、彼らは単身者が中心で、家族がいればそれ以外の二つの形態を選択することになる。

具体的な家選びのコツの前に、インドの住宅で直面する代表的な問題をいくつか紹介する。まず、低層アパートメントの場合、当然周囲はインド人ばかり住んでいることになるので、昼夜通して周囲が静かになることはなく、至る所から騒音が聞こえる。ゴミの収集やもの売りのおっさんが絶叫しながら毎朝道を行ったり来たりするし、誰の叫び声か分からない奇声や犬の鳴き声が夜中も聞こえる。お祭りシーズンやホームパーティをするときも日本では警察を呼ばれるほどのけたたましい騒音で騒いでいる。近隣に結婚式を開催するようなコミュニティセンターがあった場合は、結婚式やら誕生日やらの大騒音に年中悩まされることになる。そして最もたちが悪いのは工事だ。インドの家は耐用年数15年から20年程度の前提で運用されていて、使い古したうえで解体してゼロからまた立てるということを短いサイクルで繰り返している。つまり近所に15件か20件家があれば、その年1件は工事中というわけだ。もちろん日本のような近隣への挨拶もなく工事は始まる。家の付近だけでなく隣や上下階の住人も頻繁に何かしらの工事を行っている。インドは賃貸物件であろうがお構いなしで壁に穴をあけて家具や絵画を飾ったりするので、ドリルの音や工事の音がけたたましく鳴り響く。

悪臭も問題の一つである。タワマンも低層アパートもインドの家は扉や窓の密閉度が悪いため、階下や同じフロアの住人が作った料理の匂いが家の中に立ち込めることがある。排気ダクトも賢く作られていない家も多く、階下の人間が作った料理の匂いはそのまま上の階に届いてしまう。何を作っているか不明だが、インド人が作る謎の料理の悪臭が家の中に立ち込める。
断水と停電もインドの家で珍しくないことだ。あまりに日常のことなので、日本人が住めるようなレベルのインドの家には必ず非常用バッテリーかディーゼル発電装置がついているほどだ(この点は必ず入居前に確認してほしい)。タワマンであれば全館の非常用電源が配備されている。理由もなく水が止まることもあるし、修理を依頼してもその場限りの対応をしただけで根本解決を行わない場合が多い。特にポンプのような値段の張る機械が故障している場合は致命的で、インド民オーナーは修理のための出費を嫌がり、騙しだまし言い訳をしながら誤魔化そうとするインセンティブが強く働くので、いつまでも問題が解決しない。

ここまで説明すると、騒音・悪臭・断水・停電などの不快な事象を最小化できる選択は、低層アパートではなくタワマンかのように感じ始めるだろう。しかし、皆が同じことを考えるので、特にコロナが終わったころからムンバイやデリー近隣の多くの日本人住居歴があるタワマンは家賃が高騰してしまい、会社指定の予算の中で住むことができないケースも頻発するようになった。タワマンのオーナーも借り手が日本人と分かると対インド人価格よりも非常に高い価格を提示してくる。デリー近郊やムンバイの中で多くのタワマンがあるため、選択肢は山ほどあるかといえばそうではない。日本の食材を売っているスーパーの場所、子供の学校の場所、その迎えのバスが止まる場所、日本食レストランの場所、外国人の居住を承諾してくれるオーナー、そして当然のことながら会社の所在地とそこまでの渋滞等のファクターを考慮すると驚くほど選択肢は少なく、デリー近郊では両手があれば十分足りる程度の数の特定のタワマンしか選択の候補にならない。結果的に、予算に余裕があれば上記生活条件を満たす数少ないタワマンが選好され、足りなければ低層アパートメントから住居を選んでいく傾向にある。低層アパートは物件によって当たり外れが激しいが、上手く物件を選ぶことができれば、タワマンと同じくらいの快適さを追求できる。(尚、前任者が居住していたところに自動的に入居する慣習となっている企業もある)
 
タワマン・低層アパートに共通する家探しのコツは、内見に行く前に他の駐在員の家にお邪魔して、皆がどのような家に住んでいるのか把握しておくことである。そして、実際の内見の際はインドに住んで1年以上の他の駐在員またはその家族と一緒に行くのがよい。インドの家の一般的な汚さや古さや部屋の大きさ、設備の充実度などはインドの家を知らない者にとっては想像しにくいので、コスパが悪い賃貸を掴まされる可能性がある。インドの賃貸契約の多くにはロックインピリオドがあり、1年ほどの間は解約できないことになっている。仲介業者にとっては、契約に漕ぎつけばその期間の収入が補償されるため、顧客満足度とは別にさっさと契約してしまいたい。内見の際に仲介業者が細かなところをアドバイスしてくれればよいのだが、利害関係が一致していないので、インドの生活経験がないと気づかないレベルの細かい問題があってもスルーされる場合がある。例えばインドはシャワーを浴びるために‘‘ギザ‘‘という電気湯沸かし器でお湯を沸かすが、この容量が小さすぎると途中でお湯が足りなくなるという不便が起きる。他にもやたらに玄関や扉の隙間が大きかったり、家の目の前を多くの車が行きかっていたりするのも不快である。先に紹介した排気口の作りも言われないと深刻度に気付かない。このような地味な問題は、やはり現地に住んでいる駐在員の目が一番頼りになる。

勤務する会社の総務部や人事部が、家探しのお膳立てや契約のサポートをする役割を担っているかもしれないが、彼らインド民スタッフも信じてはいけない。冷静に考えれば、彼らには駐在員が良い住処を見つけることを追求するインセンティブは全くない。彼らとしてはどんな家でもいいのでさっさと決めてもらって自分の仕事を終わらせたいだけである。しかも、コンプラ意識が希薄なインドにおいては、彼らが業者からキックバックをもらっている可能性もある。インドではこの手のキックバックは半ば公然の秘密かのようになっており、会社の担当者が特定の仲介業者しか使っていなかったり、仲介業者間で出来レースをしたり、いくらでも見えないところで操作ができる。インドで賃貸を借りる際はレンタル家具付きの賃貸契約を結ぶことが多いが、家具の選択や交渉も彼らに任せておくとろくなことはない。第一回の投稿で述べた通り、インド民の行動基準は「短期的な個人的利益」というクリアな計算式であり、頑張っても頑張らなくても自分が痛くもかゆくもないこの手の仕事に必死になる合理性がない。住居は一回間違えると駐在期間の貴重な一年を不快な場所で過ごすことになるので、自分の身は自分で守る意識を持って執拗に10件も20軒も物件を回る覚悟で臨みたい。
 


メイドは雇う?雇わない?

メイドを雇うことに抵抗がある日本人も少なくない。人を下僕のように使うことに抵抗を覚えるのは先進国で教育を受けて育ってきた我々からすると自然な感情である。しかし、良いか悪いかの価値判断は別として、世界にはメイドを含む使用人が存在する前提で設計された社会があることを認識する必要がある。インドの家には文字通り「サーバントル―ム」と呼ばれるメイドや下男のための部屋がついており、彼らを雇用することが普通の家の作りにも反映されている。インドの家は停電や断水などのトラブルの他にも、少し手広な部屋や各部屋に必ずついているトイレやシャワー室、自然と入ってくる砂埃やバルコニーの鳥の糞、排水性能の弱い排水溝やモップ掛けが必要な大理石の床など、それを世話する人間がいないと維持できないファシリティーで構成されている。早朝に家の周りを歩けば、各アパートの前で車や玄関の掃除に勤しむドライバーや下男の姿を見ることができる。私自身もメイドを雇うことに心理的葛藤があったのでしばらく雇わない生活をしていたが、みるみる家は汚れていくし物も壊れるので、これらを全て自分で対応するのは無理があるということが分かった。コストの面で心配になるもしれないが、経済が発展しているとはいえ、貧富の格差がすごいため、週三で掃除をお願いしたところで月額1万円よりずっと安い。中にはメイドに子供の世話や食事まで準備させる駐在員家族もいるが、例え掃除だけでも週に数回雇えば、随分住環境を快適に保てる。
 

意外と子育てに便利なインドの環境

インドはとにかく子供に甘い。インドの街中ではインド民の親が子供を甘やかしている光景をいたるところで目にする。公共の場で泣いたり暴れたりしても大して注意する素振りもないし、子供が欲するものがあれば親はすぐに与えようとする。インドには、「子供は家庭のランタン」という言葉があり、日本のように敢えて子供を作らない家庭など想像もできない。親のみならず社会全体も子供が行うことに対して非常に寛容なので、子供が起こす迷惑行為に対して親自身が周囲を気遣って気に病む必要がない。駐在員はほとんどがドライバー付の車が会社から支給されているので、この点も子育て世帯にはとても便利だ。メイドの他にもナニーを雇うことが中流以上のインド社会では当たり前になっているので、日本のようなうしろめたさもなく子育ての大変な部分から解放される。もちろんこれまで説明してきたようなインド独自の不便さや不快さはあるが、親にとっての子育て環境としては、インド社会はいくつもポジティブな部分がある。
ただし、インドで行う出産は心理的な負担が大きい。インドの医療の実態については、インドの下請け文化に関するこちらの投稿で少し触れているが医者のクオリティ以外の部分にも不安要素が隠れている。例えば、交通事情の問題もあり、切迫する事態が起こったときに助からない危険性があるという点は妊婦としては恐ろしい環境だ。ドライバーも24時間自宅にいるわけではないので移動の自由も制限されており、緊急時の対応が後手に回る可能性もある。気丈にもインドで出産を行う日本人妊婦もいるが、ある程度お腹の子供が大きくなると日本に帰国して出産をする場合も多い。
 

(以上で今回のタイトルのシリーズ投稿は終わりです。お付き合いいただきありがとうございました。)

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