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ナグプール旅行!佐々井秀嶺氏を訪ねて その1

こんにちは!
畑中です。

前回、ムンバイの旅行を終えた後、電車に揺られナグプールに向かいました。目的は、
・インド仏教徒の最高指導者である佐々井秀嶺氏にお会いする
・地理的に”インドの中央”にある都市、ナグプールを見る
という2点です。
いきなり、佐々井秀嶺氏にお会いしたことについて書いてもいいですが、
今回は、簡単にインド仏教について書きたいと思います。


歴史から消えていたインドの仏教

皆さんご存じの通り、仏教はインドで生まれた宗教です。
しかし、南インドのバンガロールで普段生活する私から見ると、バンガロールで仏教関連の物事を見聞きすることは、ほぼありません。
お寺と言えば、ヒンズー教の寺院、その他の宗教関連施設は、キリスト教の教会やイスラム教のモスクであり、仏教に関連する施設はほぼないです。
しかし、ナグプールでは違いました。
街中に仏旗がはためき、仏教の寺院も多く存在しており、ここがインド仏教の中心地であることを象徴しているようでした。
ただ、仏教の寺院といっても、日本人が想像するような数百年前から続く歴史ある寺院ではありません。比較的最近作られたコンクリート造りです。

ナグプール郊外の仏教系大学の大仏

要するにインドでは、一度仏教は没落し、最近再び再興しているという状況です。では、なぜ没落したインドの仏教が最近になり再興しているかといえば、ビームラーオ・アンベードカルという人物がいたからです。

アンベードカルによる仏教復興

インドには、カースト制度があると聞いたことがある方は多いと思います。
カースト制度は、要するに身分制度であり、ヒンズー教の考えです。
ただ、このカースト制度に入れない人々がいました。
ダリット(不可触民)と呼ばれる人々です。
彼らも、ヒンズー教徒であるにも関わらず、ヒンズー教寺院の立ち入り禁止や、”見たり声を聞くことさえも不浄”とされ、差別されてきた歴史があります。
そのような状況を打破したのが、ビームラーオ・アンベードカルという人物です。彼自身も、ダリット出身という圧倒的に不利な状況にかかわらず、
一生懸命勉学に励み、アメリカやイギリス留学を経てインドの法務大臣になり、インド憲法の草案を作成した人物です。

インド仏教徒の家に飾られる仏陀とアンベートカルの肖像画

自身もダリット出身ということもあり、アンベードカルはダリットの人々を救済する活動を積極的に実施しました。
その最たるものが、ダリット50万人とともに、1956年10月にナグプールで実施した、カースト制度がない仏教への大改宗です。この時から、一度はほぼ消滅したインドの仏教が再び大きく動き始めました。
ただ、アンベードカルは、改宗式の2か月後に急逝しました。
ちなみに大改宗式は、現在でも毎年10月に実施される一大イベントであり、インド中から数万人がナグプールに集まり、大勢の人々が仏教に改宗しています。

佐々井秀嶺氏

佐々井秀嶺氏がナグプールに来られたのは、アンベードカルが亡くなってから約10年後の1968年です。
当時インドの他の場所で修行されていた佐々井秀嶺氏が、龍樹という2世紀ごろのインド仏教の僧から「ナグプールに行け」というお告げを聞いたことがナグプールに来られた理由です。

龍樹によるお告げ

それからずっとナグプールで活動されており、今ではインド仏教の最高指導者の方です。
佐々井秀嶺氏の具体的な経歴や活動は、ここで簡単に書けないほど多く、動画や本でたくさん紹介されているので、具体的に知りたい方は、そちらを参照していただければと思います。
ちなみに、私のおすすめの本は、『佐々井秀嶺、インドに笑う』という白石あづささんが書かれた本です。佐々井秀嶺氏は、「その本は素人向けだ」とおっしゃっていましたが、佐々井氏がナグプールに来ることになった経緯や、僧になった経緯、活動内容など分かりやすい文章で書かれており、サクサクと頭に入ってきたので、非常におすすめです。

次回に続きます。

畑中


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