短編小説「外出禁止令」

 俺は、家の外に出たことがなかった。

 うるさい母からは〝外へは絶対に出るな〟と口癖のように言われて育った。
 同義の内容を難しい言葉で長々と引き伸ばした政府通達も、毎日のように届く。
 出ようもなにも、家には入口も出口もないのに。
 食料や生活に必要なものは一日一回、配達網経由で届くし、配達網で運べない物は3Dプリンターで出力することもできる。具合が悪くなったらAIドクターが診断してくれる。日常に物足りなさを感じたらバーチャルで発散する。
 バーチャルへは、全国民に支給されている腕輪型端末を操作することで行くことができる。母はバーチャル上で父と出逢ったそうだが、現実世界で顔を合わせたことはないらしい。配達網経由で何らかのやり取りをした結果、母は一人で俺を産んだ。
 俺も父とは直接会ったことがなく、たまに催されるバーチャル上での食事会で、他人のように挨拶を交わす程度の付き合いしかない(しかも食事会と言っても、雰囲気を楽しむためだけのもので、味覚や嗅覚、適度な酩酊感はあるものの、美味しい料理は現実の俺の口に入らない)。
 それでも俺は現状に十分満足していたし、外に何があるかなんて微塵の興味も湧かなかった。


 映像系専門学校の授業をのほほんとバーチャルで受け、余裕で卒業し、何の苦もなく就職した。バーチャル上の広告動画を作成する仕事だ──人間の欲望に訴えかける内容の多いこと多いこと。家でもバーチャルでもできる仕事で、自分のリズムでできるところが気に入っていた。
 俺は短期間でノルマ以上の本数をあげてボーナスをもらい、そのお金を使って南の島へ旅行へ出た。と言っても、幻影の島だ。俺の身体は相変わらず家にあって、筋肉なんて皆無なだるんだるんの腹を晒し、惰眠を貪っていた。
 そこで、ニーナに出逢った。褐色の肌をした、笑顔が眩しい人。
〝バーチャル上の付き合いは人間の心を開放的にする〟と、何かの記事で読んだことがある。それもそのはず、バーチャル上で現実世界の姿になる者は誰もいなかった。
 俺だって、筋肉隆々でハンサムな男性のルックスを設定していたから自信たっぷりで、〝Hi!〟と女たらしのようにニーナに声をかけ、無事、一緒にお茶を飲むほど懇意になったわけだが……。
 彼女はどこか変わっていた。若々しく見えるようで、たまに見せる素振りにどことなく落ち着きがあった。20歳だと言っていたが後々、実はサバを読んでいて、現実世界では30歳を越えていると教えてくれた。
 砂浜沿いの休所で、彼女は島のことを色々教えてくれた。
 この島は現実世界にある〝サイパン〟という島をモデルに創られているとか、そのサイパンではかつて第二次世界大戦があって大勢の犠牲者を出したとか、色々な国に統治されたけど、先住民のチャモロ人とカロリン人が伝統を守っていた──とか。
「サイパン……? 第二次世界大戦……? なんだそれ」
「地理〈Geography〉とか歴史〈History〉の授業で習わなかったの?」
「Geography? History? そんな授業なかったぞ。物理学〈Physics〉とか、数学〈Mathematics〉はあったけど」
「………………ああ、そっか」
 ニーナはなにかに納得したように、ゆるく頷いた。全く納得できない俺はさらに質問を繰り出す。
「君、物知りみたいだから聞くけど、もしかして〝なんで外に出ちゃいけないことになったのか〟知ってる?」
〝外に出るな〟とは皆言うが……なぜ出ちゃいけないことになったのか、人によって意見がバラバラだったのだ。
 母は〝異常気象で酸の雨が降るから〟。
 学校の先生は〝毒ガスで汚染されているから〟。
 秀逸だったのはバーチャルのダーツ・バーで対戦した男が主張してた〝巨大怪獣が何千体もいて暴れてるから〟。
 ニーナならその答えを知ってるかと考えたのだ。
 だけど彼女はフフッと笑ってはぐらかした。
「なんで私がそれを知ってると思ったの?」
「え、だって、君はまるで生き字引みたいだから。知恵袋というか……賢者みたいだ。本当に30代なのか疑わしいよ」
 俺も笑いながら冗談を繰り出す。そう、あくまで冗談のつもりだった。
 ニーナの表情は曇っていた。おかしいと思い名前を呼んでも、こちらを見ない。彼女は「用事を思い出した」とかなんとか言い、駆けて行ってしまった。
 俺の心に、虚しい風が吹いた。
 ニーナがずっとそばにいてくれたら……なんて考えてたから。気があるのは俺だけだったんだろうか?
 連絡先を伝えておいたから、気が向けばメッセージくらいくれるだろうか。
 俺の休暇はこうして幕を閉じたのだった。

   *

 キンキン声の母のお小言を聞きながしながら、家でスナック菓子を貪っていた、ある日のこと。
 バーチャルのニーナから、一通のメッセージが届いた。
 それは暗号化されていて、開くにはパスワードが必要のようだった。
 迷った挙げ句、ニーナの話に出てきた単語を片っ端から入力する。
〝History〟でなんとか開くことができたが……そこに書いてある事実に俺は、目を疑った。

────────────────────────────────────────

 ごめん。30歳越えてるって言ったけど──嘘じゃないけれど、黙ってたことがある。
 本当はね。私は今年、91歳になるおばあちゃん。
 幻滅したでしょう?
 私の身体は100年以上も前に、91歳で死んだ。この幻影の島に、バーチャルの人格を残したまま、ね。
 地元の人達はみんな、私がおばあちゃんだって分かってるから、口説き目的では誰も話しかけてこないし。
 私も普段なら、そういうことがあっても無視してるのに。
 なぜだかあなたとは、話をしたいって思ったの。あなたが優しかったから、つい私も甘えてしまった。
 でもあなたはまだ若いんだから、私なんかよりもっと良い人がいるはず。

 これで最後になるだろうから、もう少し書くわね。

〝なんで外に出ちゃいけないことになったのか〟
 あなたは知りたがってたけど、現実は残酷。
 長い年月の間に、目的がすっかり忘れられて、結果だけが残ってしまった。
 こんなにバーチャルが発達した世の中なのに。おかしいことだけど。

 たまに、外の世界が懐かしくなるときがあるの。
 私は世界がおかしくなった時のことも、おかしくなる前のことも知ってる。
 いきなり、外に出ちゃいけないって法律で決められて、あの時は本当にストレスでどうにかなりそうだった。
 私は我慢できなくなって、よたよたと外に飛び出して。そして、呆気なく死んでしまった。
 でもその時見た景色は、いつまで経っても忘れられない。
 自然の色の鮮やかさ。あたたかな太陽の光。風と海の匂い、砂の感触。
〝ああ私、幸せだなあ〟って思えた。

 今の現実世界の話をたまに耳にするけれど、昔とは大違い。
 人とのふれあいが希薄になった世界にしか思えない。
 しかも、どうしてこうなってしまったのか、誰も知らないなんて。
 ただ、一つ言えることは。
〝人間は最早、この状況に慣れてしまっている〟ってこと。

────────────────────────────────────────

 謎めいたメッセージはそこで終わっていた。
 ニーナが……91歳、だって?
 しかももう死んでる…………??
 油と食べかすだらけの手で、俺は文字通り頭を抱えた。
 確かに、現実世界で身体を失って、バーチャルに居付いてしまった人間がいるとは聞いていたが。
 政府には認められてないはずだ。人口が増えてしまうとバーチャルを圧迫してしまうから、というのが理由。
 愛した人が91歳というのは、簡単には信じられない話だった。
 でも、思い返してみると俺は、〝本当に30代なのか疑わしい〟とか言ってなかったか?


 俺は、何度もニーナからのメールを読み返した。
《〝人間は最早、この状況に慣れてしまっている〟ってこと。》
《〝人間は最早、この状況に慣れてしまっている〟ってこと。》
《〝人間は最早、この状況に慣れてしまっている〟ってこと。》
《〝人間は最早、この状況に慣れてしまっている〟ってこと。》
 家にいることが当たり前になっている俺。
 その状況に慣れてしまっている俺。
 果たしてそれで良いんだろうか?
 ニーナは昔、どんな暮らしをしてたんだろう。
 外には本当に、幸せを感じるような光景が広がっているんだろうか。
 100回ほどメッセージを読んでから、俺は心に決めた。
 外の世界に行くことを。

   *

 だが肝心の、外へ出る方法が全く分からなかった。
 バーチャルにある建物と違い、ドアも窓もない家。
 さすがに壁を壊したら、母に怒られる……。
 数日うなりながら考えた挙げ句(母に不審がられた)。俺は幾分かの望みをかけて、配達網の蓋を開け、管の中へ入った。
 脂肪まみれの俺の身体でも、スムーズに通れるくらいの幅があった。灯りもなく、真っ暗。匍匐前進でしばらく直進すると下りになっていて、俺は叫び声をあげながら滑り落ちていった。
 ────15分ほど落ちてから、ようやく身体が止まった。
 結構な距離を移動したように思った俺は、手探りで管の継ぎ目を探した。管は所々劣化していて、錆らしきものが手についた。
 ダメ元で足に力を入れて何度か蹴る。10回、50回、100回、200回。
 というか、これで出れなくても俺は管の中で死ぬことになるんじゃないか……?
 家を出てから3時間ほど経っただろうか。つま先が痛くなって、諦めかけたその時。298回目でガタッという音をたてて、管にこぶし大の穴があき、光が差し込んだ。
 異常を感知したらしいセキュリティ・システムが、ビー、ビー、とけたたましく鳴り始める。急がなければ。
 さらに蹴って穴を広げる。やっと俺が通れるほどの大きさになった頃には、靴はやぶれそうになっていた。足の爪も折れてるような感覚。
 意を決して、穴から外へ出る。
 恐る恐る辺りを見回すと、緑の草の絨毯。
 小高い丘の上に出たようで、草が風に吹かれて揺れていた。
 雨は、降っていない。
 怪獣も、いない。
 壁で囲まれていた家の中とは大違いの、広大な世界がそこにはあった。草原は、果てなく続いているように見えた。全てが太陽に照らされて輝き、共鳴し。穏やかさに満ちていた。
 なにか音が響いたので見上げると、吸い込まれそうな青の空に、群れた動物たちが飛んでいる。
 ウオーンッ、と聞き慣れない鳴き声。ウオーン、ウオーン。遠くに見える林の方から聞こえてくる。
 惚けたように口をあんぐりと開けて、草の上に寝転んだ。心地良く俺を包んでくれる。感触、匂い。バーチャルで体験したことはあったけど、全く違っていた。
 日差しが俺の肌をチリチリと焼き、それを鎮めるように爽やかな風が吹く。
 じっと眺めていると、次第に日が傾いて、空も大地も赤く染まる。
 なんて美しいんだろう。
 海ってどこにあるんだろう。ここにはないんだろうか。
 その時になって、呼吸が苦しくなっていることに気づいた。
 胸に手を当てて治めようとするが、全く収まる気配がないどころか、段々ひどくなっている。頭もガンガンしてきた……割れそうだ。
「痛ぇ、痛ぇよ……」
 と俺は身体を震わせる。
「俺……死ぬのかな」
 ゼーハーと息をしながら、太陽を見た。
 太陽はまるで、ニーナのようだと思った。芯が強くて、あたたかくて────

   *

 現実世界での俺の記憶は、そこで途切れた。
 痛みのあまり意識を失い、それほど時間が経たないうちに身体が死んでしまったから────


 ────死んだはずの俺が何故この話を語れるかって?
 バーチャルに、俺の中身のバックアップを残したからさ。
 意識を失う寸前のホヤホヤのやつだ。
 バーチャルで意識を取り戻した俺は、口座に残っていたお金を使い、ニーナのいる島へ向かった。
 母のことは……もういいだろう。28年間毎日顔を突き合わせてきたんだから、俺はもう口うるさい母に飽き飽きしてたし、向こうだって俺のこと見飽きてるはず。
 さざなみの音が聞こえる海岸で、ワンピースを着た彼女を見つけた。急な俺の来訪に驚く彼女に駆け寄り、おもいっきり抱きしめる。
「……最期に外の世界を見ることができた。本当に美しい世界だったよ」
 それを聞いたニーナはハッとしたようで、おずおずと俺の背中に手を回してきた。
「太陽がまぶしくて、空も青く澄んでいて。バーチャルのこんな、作り物の風景なんか比べ物にならない。あの広大さに呑み込まれたいと思った。君のおかげで俺は、本当の世界を知ることができた」
 俺は筋肉隆々の男の姿を解除し、現実世界で生きていた頃の自分の姿を晒した。ぶよぶよの腹の俺を。
「これが、本当の俺だ。ずっと家の中にいたから、筋肉なんてつくわけがない。贅肉だらけだ。ガッカリだろう? だから、君も、偽らなくていい」
 ニーナの顔を覗き込んで、笑いかける。ニーナはポロポロと涙を流していた。その涙を指でぬぐってあげると、彼女の全身が光に包まれた。俺の腕の中にいる褐色の肌をした若い女性は、褐色の肌をした91歳の女性に姿を変えた。少し腰が曲がっていて、手も皺くちゃで骨ばっていて。でもどこか、若い姿のときの面影がある気がする。
 瞳から涙を溢れさせたニーナは、困り顔だ。落ち着かない様子で身動ぎしている。
「これが、死ぬ直前のときの姿。言ったでしょう……幻滅するって」
 どうやら俺から距離を取ろうとしているらしい。俺は彼女を離さなかった。彼女の白い髪をゆっくり撫で、頬に口づける。
「君は美しいよ、どんな姿でも」

 俺とニーナはしばらくの間、言葉少なに海岸で寄り添い合っていた。水面が太陽の光を反射してキラキラ光る。夕陽が沈んで辺りが赤く染まる。それらもすべて幻影にすぎない。
 身体が死んでしまって、俺の居場所はバーチャルしかない。もうあの世界に行けないのは残念だけど。美しさは俺の中に息づいている。
 それに、おかげさまでニーナと心置きなく愛し合うことができるから。
 幸せだなあ、と思ったりする。

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