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業務日誌_2024_05_30

創作大賞2024に応募したい

 小説を書いている。ジャンルで言えばファンタジーなのだろうか。宮崎県が日本から独立しようとする、あるいはしたあとの世界を描きたい。ボキャ貧、文盲、国語の最高評価3(5段階評価)。なのに高校在学中に図書室で借りた本の数は歴代トップ。果たして飽きることなく書き続けられるのか。ご期待ください。
 
 

販売部門統括わたし、キレて管理者に当たり散らす

 そんな部署も肩書もないし、他人にストレスをぶつけるのは最低だと思う。でも、怒る権利はわたしにだってある。
 わたしが通う作業所は、3階建てのビルの2階にある。1階に入る歯医者さんがビルのオーナーらしく、木曜が休診日なので、天気が良ければ敷地を全面使って店頭販売を行う。事業所としての現金収入と、事業所の地域性がなんちゃらかんちゃら。そんなわけで、2階から1階に商品を下ろすのだが、下ろすメンバーが毎回固定されていて、かつ限られている。大して重くもない(わたしの主幹ではあるが)ものを「持てない」「(わたしが)持つのが当たり前」と、何往復も階段を登り降りさせられる。そして商品の陳列。職員ですらまともにできない。おまえ買うか? その置き方されてるものを、なんだかよくわからない、ただボケーッと突っ立っているだけの連中から買おうと思うか? とにかく職員、利用者含め、その一挙手一投足に腹が立って仕方がなかった。おまけに弊社運営のグループホームの入居者の、グループホーム内での引越し(部屋を1階から2階にしたい、とほざいたらしい)に連行されて、わたしが本来やるべき仕事の時間が削られ、挙げ句職員はどの部屋からどの部屋に荷物(といっても単身用の冷蔵庫だが、中身が満載で殺そうかと思った)を移動させるのか把握しておらず、管理者に電話するも繋がらず作業中断。いざいざ冷蔵庫を部屋に持っていってもコンセントが空いておらず、職員→管理者→入居者→管理者→職員と伝言ゲームが発生してまた作業中断。死んでほしい。
 ようやく作業所に戻ってきたのは昼前で、ようやく売れた鉄鍋の梱包作業と、書籍類のピッキングで午前中終了。生活介護の発達だか自閉だか知的だかよくわからんヤツ(とにかく定型でしか会話ができない。知能も小学校低学年程度で止まっているように見受けられる)が暴れ散らすわ奇声を発するわでストレス全開。午後になってようやく作業に集中できるかと思ったら、同居人の知的障害者に苛立たされて怒鳴り声を上げた。入口を塞ぐな動線に立つな死ね。いっつもブツブツ言ってる発達障害の野郎も同罪だ。死ね。
 大体、ウチは「就労継続支援事業所」であって、「就労」を「継続する」ことが難しい、あるいは不可能なニンゲンを「支援」する必要はないのではないか。それこそ公金の無駄遣いだ。いくら査定があるとはいえ、あの知的障害者共に時給が発生していること自体が理解できないし、許せない。なんのためにウチが生活介護(障害者のためのデイサービスだと理解していただければよろしい)やってるのかわかったもんじゃない。ひらがなすらロクに書けないような生産性ゼロどころかマイナスに発散してる知的障害者は生活介護に押し込んで塗り絵か折り紙でもやらせて、公金から事業所の利用料をせしめて、浮いたお金はわたしたち「将来的には社会復帰して納税できる可能性が高いニンゲン」に作業賃として還元されるべきである。障害者の尊厳ガー!と言う前に、考えるべきことはたくさんあるはずだ。
 と、いうことをLINEで相談員に愚痴ったら電話で話を聞いてくれて、少しは溜飲が下がった。当事業所の管理者が弊社の障害福祉部門の上長になっていて、そのせいで業務が多忙になっている(傍から見ていると、「それやるべきヒト他にいるじゃん」という仕事まで抱えているのを隣で見ているので)ことを知った。その分の給料、その分の処遇改善手当を貰っているのだから、働くのは当たり前。それはわかる。そしてそれはわたしたち障害者も同じではないか。とにかくすべてに納得がいかない。障害者なんてみんな殺処分してしまえばいいんだ。生活保護が貰い過ぎだと叩く前に、生活を最低限保証できない賃金しか出さない企業を叩け。死ね健常者共。


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