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好きなことを仕事にしてしまったコンプレックス

ライターという仕事に就いて以来、7,560,000字くらい原稿を書いてきた。

少女のころから暇を見つけては小説やエッセイ(と呼べるのかいまとなっては不明)をひたすら書き綴っていたから、それを含めたら10,000,000字は優に超えるであろう。文系の超ざっくりとした計算なので数値の信憑性はさておき、とにかく言いたかったことは、飽きもせず文章を書きつづけている半生だということ。

ライターになってはじめて知ったことがある。

どうやら、みんながみんな「文章を書くこと」そのものが好きでライターをやっているわけではないようなのだ。書くことはあくまでも手段であり、むしろ書くことは好きじゃないと断言する人も少なくないほどである。

インタビュイーの多様な価値観に触れて視野を広げられるから。
だれかの課題をことばで解決していくことにやりがいを感じるから。
世の中に有益な情報を発信したいから。
ちょっと変わったオフィスワークをしたかったから。

どれも共感するし、すてきな理由だと思う。
でも、これらが自分のいちばん根っこにある想いかと問われたら、違うな……

あれ?
そうなってくると、わたしの「文章を書くことがただただ好き」という理由がとんでもなく幼稚で迂愚なものに見えてこないか???

そもそもわたしには昔から「好きなことを仕事にする」以外の発想がまるきりなかった。だれかの役に立ちたいとも、社会に貢献しようとも、安定した仕事に就こうなどとも考えず、ずっと文章を書いていたい一心でライターの道を選んだわたしにとって、それが実はマイノリティであるらしいことに気づいたときの衝撃はいまも忘れない。

「好きなことを仕事にする」なんて、昨今でこそカッコよく聞こえるかもしれないけれど、当時のわたしは「ただ好きなだけ」という浅はかな自分にずっとコンプレックスを抱いていた。

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「読む」楽しさを知ったのは小学生のときだ。

偉人の伝記シリーズに夢中になり、ガリレオ・ガリレイやヘレン・ケラーや野口英世を図書室で借りてかたっぱしから読んだ。『耳をすませば』の天沢聖司よろしく、本に挟んである図書カードのいちばん上にはだいたいわたしの名前が鎮座した。クラスで江戸川乱歩シリーズの読破競争が勃発したときは、男子に混ざって我先にと読みあさった。

村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を読んでからは、純文学にも傾倒した。ただの文字の連なりがなぜこんなにも想像をかきたて、まわりの雑音すら一切届かない異世界へわたしを連れ出してくれるのか。マンガもそれなりに読んで、たくさん感動もしたけれど、文字だけの表現のほうがわたしには合っていた。

現在もそれは変わらない。創作物はもちろん、情報収集時でさえ動画や音声より「文章」という形式がもっともフィットする。なんなら、小説のストーリーや記事に書かれている情報以上に、単語のチョイス、言いまわし、ひらがなの使いかた、読点の位置…といった書き手の感性を噛みしめながら読んでいると言っていい。ライティングの研究をしているとかそういうわけではなく、これはもはや道楽である。

一方で、「書く」楽しさを知ったのはいつだったか。

小学生のころから作文は好きだった。読書感想文コンクールで盾をもらったこともあるし(実際は先生がほぼ手直しした)、中1のときの作文がただひとり学校通信に掲載されて嬉しかった思い出もある。

でも、それよりも好きだったのが絵を描くこと。自分の思考をことばにして話すことが苦手だったわたしにとって、絵を描いている時間は自由だった。将来どんな仕事に就きたいかなどという明確な目標はなかったが、とにかく好きなことをしたくて中3のときに美術予備校に通い、デッサンと一般教科の試験を受けて芸術系高専に入学。その後、東京の美大にも進学した。

なのになぜライター???
わたしに投げかけられる疑問ランキング、圧倒的No.1がこれ。

手法が異なるだけで「なにかを表現すること」に変わりはないとわたしは思っているが、たしかに駆使するスキルはまったくの別物である。とはいえ理由は単純明快。残念ながら絵の才がわたしには足りなかっただけだ。志す道を絵からグラフィックデザインへシフトしてからも、どうもしっくりこない。

「好きなのに思いどおりのアウトプットができない」と長らく悶々としていたさなか、授業で取り組んでいたある課題制作物に「文章」のアウトプットを織り混ぜてみたことが転機となった。脳内にもやもやとある「表現したいこと」を、寸分の狂いなく、むしろより豊かなかたちで放出できたと感じたのは、おそらくはじめての体験だった。

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商業ライターたるもの、文章を自己表現の場と捉えるとはなにごとか。
そのご指摘はごもっともだと思う。

コピーライター職として企業に新卒入社した当初でこそ、コピーという課題解決手段を表現の場とはき違え、上司から「お花畑原稿」と呼ばれるありさまだった。が、その後のご指導と自己研鑽で、戦略的に文章を考えるということはできるようになった。フリーランスになり、コピーライティングではなくインタビューライティングをメインの生業にするようになってからも、「だれになにを伝えるか」「どんな課題をどう解決するか」という思考の土台は変わっていない。

自己表現というとアーティストっぽい響きがあるが、仕事における執筆で表現したいのは、もちろん自身の芸術的感性ではない。インタビュー記事なら、ミュージシャン・起業家・クリエイター・文化人などさまざまなインタビュイーの人生に憑依し、その人だけがもつストーリーを、心の奥底で抱えている哲学を表現したい。コラムやエッセイなら、目的に応じて自身の思考や価値観をベストなかたちで表現したい。

そのために、単語のチョイス、言いまわし、ひらがなの使いかた、読点の位置、一文字一文字を熟考し、自分の表現したいかたちにぴったりと合致するまで推敲を重ねる。村上春樹流にいえば「とんかち仕事」。その時間がわたしにとっては至福なのだ。だからめちゃくちゃ遅筆だし、よく寝食を忘れるし、自分の文章がすこしでも修正されていればすぐに気づく。メディアを運営しているのでライター各位の原稿もたくさん読むが、「楽しみながら書いてくれているな」とか「ここは手先だけでやっつけで書いたな」とか、なんとなくわかってしまう。

文章を書くことが好き。
これがライターとして重要な資質なのかはわからない。好きじゃなくたって価値のある文章を書ける人はきっとごまんといる。わたしだってべつに名のあるライターではないし、みなさんにも「これしきの腕でなにを偉そうに」と思われているかもしれない。

でも、わたしはもう、「ただ好き」であることを恥じないと決めた。

ライターの肩書きを得てから15年、仕事を義務と捉えることなく、基本的にとても楽しくやってこれたのは、好きだから以外のなにものでもない。それってひょっとしてものすごく幸福なことなんじゃないか。書くことをとりあげられたら、わたしは呼吸ができない。今後もし世間から必要とされなくなり、ライター業を廃業せざるを得なくなったとしても、書くことは生涯やめないであろう。好きなことだけを地道につづけていく生きかたは、不器用な自分に合っている。

書くことは生きることだと、いまのわたしには断言できる。
2022年も、たくさん書いて豊かに生きられますように。

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