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日本はなぜ発展したか 4

 前回、バスツアーで集合時間に遅れた場合、日本人が謝るのは「恥ずかしい」からではないか、と書きました。

<恥ずかしい> 
 「恥の文化」という言葉があります。米国の女性文化人類学者ルース・ベネディクトが、著書「菊と刀(1946年発表)」の中で、欧米の「罪の文化」と比較してこれを紹介しています。私がこの言葉を初めて知った学生時代、日本人は恥ずかしいと感じるからハラキリ(=つまり切腹)をするのだ、というかなり強引な解説もありました。ちなみにこの人、来日経験もなく、日本語も話せなかったそうです。
 
 久しぶりにこの話を調べ直し、分かったことがあります。欧米人は道徳が標準であり、個人が自律的な良心を意識する「罪の文化」を持つ。それに対し、日本人は他者の非難や嘲笑を恐れて自分の行動を律する。従って、前者は自分の非行を誰一人知らなくても罪に悩むのに対し、後者は露顕さえしなければ恥ではなく悩むこともない、と定義されていたらしいのです。つまり、「倫理的に日本は劣る」との屈辱的な論点だったのですね。へぇ~~、これは知らなかった。
 
 ただ、この解釈が正しければ、現代の我々には到底解せない話ですよね。だって、今の日本では財布の落し物ですらそのまま出てくるような「奇跡の国」ですから。日本人が周りから「他人に迷惑を掛けるな」としょっちゅう言われるのも、恥ずかしい目に遭いたくない、立派に堂々と生きましょうって意味のような気がするのです。要するに、彼女の主張とは相反する解釈ですよね。
 
 バレなきゃ恥じない文化(?)を持つ一方で、日本にはもう一つ不思議な文化があります。それは、日本人がしょっちゅう謝ること。道でぶつかりそうな時、何かが遅れた時、施設等が使えない時、値上げをする時、自分の有給休暇を取る時、要するに何らかの迷惑を相手や周りに与える時、私たちには常に「謝ってお許しをいただく習慣」があるのでしょうか。

 それでなくても、日本人はよく会釈(おじぎ)をしますよね。狭い道や通路でも、公共の座席でも、私たちは街中でペコペコお辞儀をし合います。個人的に、私は大好きな習慣ですが。

 車に「先に通りなさい」と道を譲られたら、歩行者はペコッと頭を下げ、足早に通り過ぎようとします。それ以外にもしょっちゅう、私が邪魔してゴメンナサイ、迷惑を掛けてスミマセンなどの意味で、1日に何十回とペコペコを繰り返します。単に遅くなっただけで(?)、これだけ謝る国民は他に思い浮かびません。 

 日本人は些細なことで謝り過ぎだ!と声を荒げる方々には、これまでに何人も出会いました。昔、戦時下のイラクで日本人が武装勢力に誘拐される事件が発生しました(=イラク日本人人質事件)。あの翌年、私が欧州を旅行した際、現地の友人から「何故あの解放された人質は謝ったのか、絶対に謝るべきではなかったのに!」と激怒されながら言われました。当時、「自己責任」が流行語にもなり、彼らが連日メディアでバッシングを浴びた年でもありました。

謝って物事を収める文化(?)ってことで言えば、芸能人の「謝罪会見」はもっとず~っと説明が難しくなります。一体何が倫理、何がご迷惑、何がお許し、何が興行ビジネスなのか・・・・そして一体何が「恥」なのか、日本人の私にだってよく理解できない芸能界の習慣を、外国人に説明しろったって無理ですよね~。これまた、ゴメンナサイ!

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