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(G)I-DLE“Wife”とフェミニズム

(G)I-DLEを見ていると、刺激やエネルギーをもらうだけの受動的な姿勢ではいられないと、彼女たちに敬意を払わなければと常々思わされる。

2nd Full Albumのカムバックを目前に控える中、収録曲より先行公開された“Wife”の感想を言語化しておく。

まず鮮烈に飛び込んでくるのは、白一色の空間と、一切の個性を排するかのようなスタイリングとのコントラスト。全編ダンスの極めてシンプルな構成。

歌詞はタイトル通り【妻】が主題だが、今日に至るまで妻に求められてきた「献身的で慎ましくも、性的な客体たり得る」役割の歪さを提示し、反旗を翻しているように捉えられる。

シビれる。

歌詞の意味を理解して、この統一されたビジュアルの意義深さを突きつけられたようだった。
彼女たちの姿は家父長制下で固定化された【妻】像の投影であり、その像に対抗する揺るぎない、ただ一つのメッセージの具現でもあるように思う。


さて、かく言う自分も女性の一人だが、女性という性を謳歌できずにいる。
ジェンダーロールや、異性として好意を寄せられることが煩わしいという消極的な理由で、いつからか自らの装いや言葉遣いを女性的な性表現から遠ざけてきた。
かと言って完全に女性性から降りたり、主張を貫き通したりする胆力は正直なく、日常生活では産まれ持った身体の性別を仕方なく引き受けている、そんな状況だ。


これまで一貫して女性性の肯定をメロディに乗せてきた(G)I-DLE。

強さに尻込みしてしまい、弱い自分にとっては感情移入しづらい楽曲もあるのだが、逆風と真っ向から向き合った上で「女性として輝く」道を選択し、ひた走るスタンスには素直に勇気をもらう。

個人的には負のアイデンティティとさえ思っている「女性」を、これ程までに自由で開放的に見せてくれる(G)I-DLEは、遠い憧れの存在でありながら、自分を救済してくれる存在。

そう強く確信したのだった。



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