ヒキコモリメンタル
今、日本の大きな社会問題のひとつ、ひきこもり。
実際は退職した人など高齢者が多い印象だが、
就職の失敗というのもある。
私も以前、歴とした就職失敗引きこもりマンであった。
今は学生の卒論代行をしている。なんだこの人生とも思うが、
結婚をしてなんか楽しく生きている。
しかし回復ののち就職もしてみたのだが
やはり自分の予想通り、普通の正社員の仕事もバイトも無理だった。
シンプルに所属することが無理だった。そんな私が引きこもってた当時から感覚として持っている感覚をつらつらと述べていこうと思う。
①日本の儒教文化だるい
罪の文化と恥の文化
村八分。朱子学。封建制度が終わって 年。
いまだにメンタルだけは脈々と受け継がれている。逆にすごい。
韓国と日本の似ている点。過剰な均一化と学歴社会。
②「みんな」という架空設定がだるい。
言い尽くされてきたが、「みんなって誰」
③日本語独特の繊細な表現の文化。
非言語コミュニケーションの比率が高すぎる上に、
「言わなくてもわかる」が美化されすぎている。阿吽の呼吸など
価値観や考えが同じ前提で話が進められがち。
人はハードは大体同じだが中にインストールされているソフトは一人一人違う。てかハードもちょっとづつ違う。
欧米はこれがわかっている。だから、議論することに躊躇いがない。
しかし日本は議論=ケンカみたいな考えになりがち。
ケンカと議論は違う。
ケンカは自分のメンツを守ためにすることで、
議論は互いを理解するためにする
言わなくてもわかること、阿吽の呼吸が美徳とされている中で、
そもそもそんな機能インストールされていなかったら、いくら日本語が話せてもコミュニケーションが取れない。
これの悲劇は、わかっている雰囲気でわかっていないことが往々にしてある。
理解する方はわかってると思ってるし、理解されてる方もわかってもらってると思っている。でもそこに齟齬が起きていたとして、どちらも確認する必要する必要がないと思っているから、確認しない。その齟齬がそのまま置き去りにされる。
④したがって、要求される非言語コミュニケーションのレベルが高すぎる。
当たり前だが、生育環境は人によって違う。よって、組み込まれている非言語コミュニケーションのセンサーや機能も違う。
大事にされた人は、大事にされていることが前提のコミュニケーションで育ってきたし、大事にされる前提で物事が見れるし、非言語コミュニケーション。人と付き合える。しかしそうではなかった場合。悪く言えば親に「なめられ、大事にされなかった」人は細かくない日本人は自分の中にない非言語感覚を要求され続けることが辛い。となる。そんなソフトが標準装備されている奴らと戦うことは無理ゲーと悟る。なんで大事にしてくれなかったんだ。その感覚をインストールしてくれなかったんだ。今まで「なめられる非言語コミュニケーションを毒漬けされてたのか。」親への恨みで、引きこもる。お前がそう育てたんや。責任とれよ
とまあ、一部崩れてしまったがこんな感じだ。
なので、私は日本を出ようと今英語を勉強している。
旦那にも理解を得ることができ、一緒に移住しようとしている。
とりあえず最初の一歩、自転車のペダルを踏めばあとはなんとかなるとも思う。
だからさ、引きこもり。
書け。
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