知能検査してマジでよかった。【WAIS4】
新しい概念との出会い
新しい友達ができると嬉しい。
だが、それはあまり多く訪れない。
自分の場合は、第一印象で「友達になれそう」という嬉しい気分を味わえるのは1年に1度あるかないか、一つのコミュニティに対して1人いるかいないか。
そう思うと、とてもさみしい感じがするが、ありがたいことに、別の場面で同じような高揚感を感じることができる。
それは「新しい概念」に出会えた時。
数学ってわかりやすく新しい概念が次々に出てくる学問で、教科書でマイナスの世界が訪れて急に象限が4つに増えたときとか、すごくわくわくした。
知能検査を受けてみて
最近、WAIS4という知能検査を受けた。そして、「発達凸凹」という概念と出会った。
知能検査における「発達凸凹(はったつでこぼこ)」とは、ざっくり個人が持つ知能の各分野の得意不得意の差のこと
で、今回の検査で発達凸凹があることが発覚した。(ADHDも診断もされた。)
知能ってそんな風に分解できるんだぁっていう発見も面白かったし、
単純な総合値の高低だけでなく、「困り感※」は知能分野の値の差異にも起因している、というのが自分にとってWOW!(いい意味)だった。
いい意味のWOW!をもうちょい詳細化すると
まず自分の現状把握ができた(困り感の原因が、差異であること)。
そして、「発達凸凹」という言葉をキーに、違う角度から更なる自己理解と対策が打てそうなのでうれしい。
ADHDについての情報収集はすでにそれなりにしていて、本を読んだり、同じような傾向をもつ友達と情報交換したりディスカッションしたり、動画を見あさったり。それで対応できることはしてみたりしたが、それでも日常のちょっとした困難さの解決には限界を感じていた。
Noteで「発達凸凹」と検索すると、4000件くらいヒットする。ADHDが約10000件ヒットするのと比べるととても少ないのだが、それなりにネット上に一定の知の集積があることがわかるので、自己理解の行き止まり感を打破できそうな予感にハッピーである。
ーーーー
※ちなみに「困り感」という語は、発達特性に関する日常に感じる困難な気持ちを表す語。発達系の動画を見ていてはじめて出会い、これまた気持ちをうまく表すことばを見つけられてうれしかった。
「生きづらさ」っていうのも似た言葉であるけど、これはもうちょい長期的な時間軸での困難さを表す言葉だと思う。これは流行語みたいになっているし、発達系とかマイノリティに限ったり、特定の分野の用語ではなくなっているので、使いづらくなってきている気がする。
ーーーー
検査を受けたきっかけ
知能検査を受けたきっかけは、前職でうまくいかずにニートになり、時間があったというのが一つ。そして、仕事でまた失敗したくない、同じことは繰り返すまいとの意を決して問題解決のためにADHD外来を受診した。
工程は、まず家の近くの「こころのクリニック」をネットで予約し、受診。
簡単なアンケートとお医者さんからの質問に答えた。
その結果、ADHDとASPの傾向があると診断されたが、十~三十個のアンケートとお医者さんの10分ちょい(体感)のやりとりを根拠にした診察結果に腑に落ちず、正直あまり受け入れていなかった。(2023/1月)
とはいえ、ニートの間にやれることは試してみようと投薬治療を試すも、副作用がしんどすぎて、日常生活がままならなかったので断念。しかも、仕事をしておらず、毎日だらだらと過ごしていたので、効果が出ているのかもあまりよくわからなかったので、もういいやといったん問題解決を諦めた。
課題解決はどうでもよくなっていたが、先生から他の薬を試すために(だったかな)、詳細な脳の検査をするのがいいと勧められ、脳のテストの予約をしておいた。半年待ちだった。
おおよそ5000円くらいでそんなに高くなく、脳の検査というのは面白そうだというモチベーションはあった。
とはいえ、受付で予約しますか?という質問に「はい」と答えるだけでよかったので、予約できたが、ウェブで自分で予約とかだったら、きっと予約していなかっただろう。(ADHDだと診察予約をしたり、時間通りに診察に行ったり、適切な医療を受けるにも、苦手なことをクリアしないといけないから大変だなぁと思う。)
で、2024年7月に検査をして、2024年8月に検査結果を知った、というタイムライン。
ADHDを隠して仕事をしている
このタイミングで検査結果を知ることができてとてもよかった。
2024年1月に会社に就職し、最近まで、多様性に寛容な人間関係を基盤に、興味分野や新しいことへの没頭力でなんとか仕事をこなし、大きな困り感を感じることもなく平穏な日々だった。そのため、ADHDについて考えることはあまりなかった。
だが入社して半年がたつと、だんだん環境にも慣れ緊張感が薄れ、ぼろが出てきた。周りもだんだん「あれ?」と何かに気づいてくる。
なんとか取り繕っていた部分を取り繕いきれなくなり、ミスが増えるというか、時間の経過とともにミスの頻度が明確になる。短い時間しか出会っていないひととは一度のミスならだれでもあるよね、という理解に収まるのだが、長期的な付き合いになると、ミスの頻度がおかしさを露呈する。
一度のミスは許されるが継続すると、周りも寛容の限界値が近づいてくる。確実な黄色信号だった。
今の会社は、前職よりもツールが発展していて、会議を15分前・5分前・1分前に通知しまくってくれるし、メール送付をするときも絶対に宛先・件名・添付ファイルを確認しないと送信ボタンが送られない仕様になっていたりして、比較的簡単なミスは防止されている。感謝しかない。
(マイクロソフト様素晴らしいツールをありがとう。独自にカスタマイズしてくれた弊社の担当者の方々ありがとう。)
とはいえ、簡単なミスはある程度対策されているが、それでも「なんでできないなんだろう」という困り感はいろいろあって、例えば、オフィスで仕事をしているときに近くで誰かが話し始めると、途端に普段読めるはずのレポートの文字が頭に入ってこなくなったり、作業が進まなくなったり。
これは発達凸凹のうち、知能機能のうち、ワーキングメモリの能力が低いことが原因らしい(まだ調査中ではあるが)。こういう、些細ながらも生産性低下に影響を与えることがちょこちょこあり、しかも低下というか生産性がゼロに近いので、困りもの。
周りからしても、「普段はそれなりにしごできだけど、突然謎なタイミングで手に負えなくなる」という人は扱いずらいし、困惑する。
勉強ができるADHDは、「賢いのに謎にミスしたりしてて謎だね」といった評判は学生時代から耳タコだろう。
学生時代は、そのそそっかしさが人間らしさ・かわいげであり、「お勉強ができる」特異性とのバランスをとるための材料として処理されていたため、とても好都合。ちっとも気に留めていなかった。
だが社会人になると、頭が良いひとはたくさんいて、ミスをしてかわいげを発揮している場合じゃなくなったので、ゲームチェンジにおっと・・・という感じである。
発達凸凹に起因する困りごとを知り、それらの特性を理解したうえでの解決策を考えて、仕事をうまくやっていきたいと切に願っている。
これまで仕事で関わってきた人のいら立ちも、説明ができたり、適切なコミュニケーションが取れるだけで多少なりとも解消できるはず。そのせいで傷ついたり自信をなくすということも減らしていきたい。これまでの自分を可哀そうだったなと慰め励ましつつ、これからうまくいけばこれまでの紆余曲折もよい思い出になるだろう。それを信じて、対処していきたい。
ADHDや発達凸凹という語が自己理解の突破口にはなるものの、少数派には変わりがなく、情報もふんだんにあるわけではない。発達凹凸で悩んでるひと対応してきているひとのライフハックや情報のソースを教えていただけたら幸いだ。
参考:発達関連で読んでおもしろかった本たち
↓ADHDとASDのことも知れる。漫画だからめっちゃ面白い。
↓少し古いので現代の分析とは異なることもあるが、ADHDの能力の歴史がわかったり、才能っていうだけあってポジティブにとらえることができて、元気がわくのが良い。
AHDHとして公表しているわけではないのでこのラインナップで載せるのはどうかなぁと思いつつ、すっとこどっこいだけど社会的に活躍しているひとの体験談を読んでいると、あるある!と共感を楽しめるし、おっちょこちょいでもなんとか生きていけるんだなぁって思えるから、好き。
発達ではなく知的障害・IQやEQを軸にした話。感動する。
知能が高い方が生きやすいって言われるけど本当にそうなの?極端に描きつつもリアル。知能が高いって何?知能が低いってどんな世界?って、理解を助けてくれる。名著といわれるだけある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?