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「当たり前」って呼ぶのやめた

最近当たり前のことがぜーんぜんできない
当たり前に起きて、ご飯用意して
食器洗って洗濯して、
ぜーんぶなんとかギリギリやってる状態。

できない自分を誰かから許してもらうために
何か言い訳を見つけたくて
ちょっと寂しい子どもの頃の話を書く。




私はみんなが持ってる「当たり前」がなかったように思う


起きたらおはようという人がいる
朝ご飯を食べる
いってらっしゃいいってきます
お帰りなさいただいま
ご飯を炊く
晩御飯を食べる
洗濯をする
洗い物をする



誰かがそれをしてくれると

「あ、してくれている」

誰かが家にいると

「あ、家にいる」

「ま」っていうと、

「り」って返ってくる


(子どもの頃なぜか、語尾で挨拶をする
父と私の中の謎ルールがあった。)
(今考えても謎だなぁ。へへっ)


毎回「ハッ」とする感じ。
それくらい当たり前でなかった


全くなかったわけじゃないけど

いつも確実にあったわけでもない

私がやらないと怒られることもある

なのにオカンがやっていない時は怒られない


ないのが当たり前

そんくらい


学校にはみんなと同じ「当たり前」があった。


学校に行けば当たり前に挨拶する人がいて

当たり前にご飯が出てきて

当たり前に心配してもらった


学校に行くのがめんどくさくなったのは

「当たり前」が少し減ったのと、

自分と他人(ヒト)と「当たり前」が違うことを知ったから


制服はいつも臭いし

お弁当は私の朝の調子次第。

おかずがないのにどうやって作るのか

その時の私は卵焼きしかしらなかった。

みんなの当たり前に毎日持ってくるお弁当が

羨ましかったな

私の卵焼きめっちゃ美味かったで。



一人暮らしを始めたら
今度は私が自分で「当たり前」を作っていく


「当たり前」が一つ一つ、増えていく


「ありがたい」も一つ一つ、増えていく


「当たり前」なんて、私にはなかったんだ。
そうやってかわいそうな人として生きてきたはずなのに

「当たり前のように、いつもずっと。」
そうじゃなくても
「誰かが自分のためにしてくれること」

本当はいつもありがたかったんだ。


当たり前に、自分のために生きていく。

自分のためにご飯を炊く

自分のために洗濯をする

自分のために、自分のために。


自分のためとは言っても、

「当たり前」はちょっとしんどい

そんな凄いことを
「当たり前なのに」と、欲しがっていたんだ

そんな凄いものを
たまたま周りの人が持っていただけ
「当たり前のように」見えていただけ。



「当たり前」は

当たり前じゃない


誰かが、誰かのために
頑張って作っていた「当たり前」


本当は一つ一つが

とっても重たい。

一つ一つ終わっても

また一つやらなきゃいけない

生きることが

「当たり前」のくりかえし


それを「当たり前」だなんて呼んでいた。


だから

当たり前だなんて

呼ぶのをやめるよ


当たり前は、偉すぎる




毎日、私は、偉すぎ大臣だったんだ


みんなも、そうです。



当たり前に生きられない私は
毎日偉すぎな私だった

やらなくてもいい
だって、したら偉すぎるもん。



大臣だし、ちょっとだけ
洗濯物でも畳みますか。

明日は大臣お休みしてもいい日にしよう

大臣だから自分で決めよう



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