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なぜ獅子舞に変体したくなるのか?その起源と社会構造を読み解く

獅子舞のシシとは身近な食用肉となる獣と考えて良いだろう。人間が獅子舞に変身するという行為は少なからず、「人間の野生還り」の意図を持って行われる。そこには、少なからず人間の都合の良い欲望が含まれている。

何かに変体するという行為

これは演劇的に考えれば、自分でない何者かになり、その役柄を演じるという行為だ。あるいは、ウルトラマンやドラキュラのように、弱い自分が何かのスイッチに触れることで、強い正義の味方、あるいは強い悪者になるという行為でもある。変体するこということは、己を隠すということでもある。狸の化けの皮が剥がれるように、正体を意図せずにバラしてしまうこともあれば、昆虫が生息環境に擬態するように、ばれずに隠し通すこともできる。女性が化粧することやファッションに凝ることも、ある一種の変体行為だろう。化粧をとり服を脱いだ先に野生が現れるという意味では、獅子舞を被ることと逆作用をもたらしていることはある意味で興味深いネタである。ちなみに、変体性が社会の権力構造を暴いていく手塚治虫の漫画は「火の鳥10~12巻」「きりひと讃歌」「バンパイヤ」などであり、すべて獅子舞とも通じるような興味深い主題を扱っている。

獅子舞的な変体行為とは何か?

上記に述べたように世の中には数々の変体的行為があるわけだが、獅子舞的な変体とはなんであろうか?そこには少なからず「野生還り」の意味が含まれる。インドでは狩猟採集から農耕社会になるとき、その狭間にいた狩猟民が農耕民のもとで不可触民として働かされて、食肉加工などの汚らわしい仕事に従事させられた。狩猟採集社会から農耕社会に移行するその狭間にこそ、獅子舞が生まれた着火点があるように思えてならない。つまり、今まで当たり前の仕事だったものが、ある日突然汚らわしいものとして忌み嫌われるようになる。しかし、野生を忘れれば農耕民は支配者層を産むために偉大な自然エネルギーから遠ざかる人間が生まれてしまう。だから、獅子舞という強大なエネルギーを持つ存在へと変体して、「野生還り」が必要となるのだ。

野生還りは権力と結びついた

ただし、この「野生還り」のパワーというのは、権力の誇示と治世の安定と非常に密接に結びついてきた。エジプトのスフィンクスは王の墓を守るのにシシという強大なパワーに頼ったし、インドのアショカ王の石柱では天下泰平と仏教の伝播のためにシシが登場した。自然エネルギーを一身に引き受けた王が治世を安定させるには獅子舞が必要だった。このような人口移動と国の分裂・合体の激しい大陸におけるシシというのは、少なからず権力に利用されてきたと言えるだろう。この考え方が日本にもたらされたのは、仏教の伝来とも重なるところがある。

もっと素朴な野生還り

日本古来のシシはもっと素朴なものだったはずだ。狩猟採集社会から農耕社会に変化する以前から、人間はもっと自然を理解したいという意味で、シシになりたがった。これが宮沢賢治の「鹿踊りのはじまり」に言う所の鹿の模倣説である。必要以上に自然を摂取することなく、貯蓄をしない縄文社会でシシ肉をいただくことは「再び戻ってきてくれますように」というアイヌのイオマンテ的な循環型社会の実現を目指した。このような起源を持つシシの踊り「しし踊り」が広がるのは、朝廷という権力に立ち向かい続けてきた蝦夷の住む東北地方であるというのは興味深い事実である。

獅子舞の起源を総覧する

ここまで考えてきたときに、日本の獅子舞の変体性をどのように区分することができるだろうか?まず、大きく分けて西日本は農耕社会、東日本は狩猟採集社会が色濃く残ってきた。そのため、シシの変体に込められてきた意図が権力とより密接に結びついてくるのが、より西日本であると言える。北から順番に見てみよう。ロシア方面から南下してきたイオマンテ的な縄文世界は北海道に根付くものの、現在アイヌ文化は殲滅された。そのため、北海道では開拓民が持ち込んだ大陸系の獅子舞が現在では息づいているのが特徴であり、西日本の獅子舞が多数見られるという点で北海道は特殊な開拓地である。東北地方では、鹿の模倣、鹿の供養などを起源とした鹿踊に代表されるように素朴な縄文世界が広がる一方で、獅子踊りや権現舞、虎舞のように大陸系獅子舞の影響を受けたシシは多い。また、栃木県以南の関東地方は三匹獅子舞になるので、これはイノシシというモチーフがありつつもやはり獅子や龍が見られ、秘伝書に代表されるお墨付き文化のため、完全に権力の手が回っている。ここから西側は、伊勢大神楽の文化圏の影響力、あるいは京都などの大規模寺社で行われてきた大陸系祭礼の模倣的意味合いが非常に強くなる。自然と向き合わずして人間関係に向き合うとでもいうべきか。つまり、どこどこの獅子舞が格好良いからうちでも獅子舞やってみるかという流行によって獅子舞が伝わっていくという現象が多く見られるのだ。このミーハー色が強いのが香川県と富山県だ。それに加えて富山県と石川県は加賀藩、鳥取県は鳥取藩の文化奨励策で広まったので、こういう獅子舞の数が多い地域は基本的に藩の政策に依存してそこから水平的に広がったとも言える。いずれも地域的な祈り(五穀豊穣や大漁祈願など)と結びついているものの、その多くは土地を起源とするものではなく、支配者の意図や伝承者の存在を起源とする場合が多い。そういう意味で土地か湧き上がるような純粋芸術としてのシシは関東以北である場合が多く、その特徴として神社や祠への奉納のみを行うシシ、あるいは祠の御神体として祀られるシシなどの存在によって顕在化していると言えるだろう。

獅子舞は何を実現するための被り物か?

それでは、具体的に獅子舞は何を実現するための存在として、その土地に生まれ、根付いたのかについて見ていきたい。かっこいいからやってみよう他の地域の舞い方をノリで取り入れることを「単純伝来」とするならば、各地域の固有性を持って始まった獅子舞は「複雑伝来」と言えるかもしれない。以下の多くが単純伝来と複雑伝来の折衷型とも言えるが、例えば、北陸地方、鳥取県、香川県などのいわゆる獅子舞の数が多い地域に関しては、極めて単純伝来が多い気がする。獅子舞生息数を増やすには、理由もなくただ始めたくなるくらいのわかりやすい格好良さ、水平で連続的な土地性、神社のみならず公民館を中心とした地域共同体としての仲間意識と団結感、寛容で人を受け入れやすい土壌などが関係しているようにも思われる。

①開拓民の故郷を思う拠りどころー複雑伝来
開拓村の獅子舞(北海道)

②五穀豊穣の妨げになる対風呪術、念仏供養、獣の模倣など、地域の自然との対話ー複雑伝来
しし踊り(岩手県、宮城県など)イオマンテ(北海道※絶滅)

③大雨の有無、洪水、干ばつ、飢饉などの気候風土、又はそれを元にした貧困要因ー複雑伝来
三匹獅子舞(関東地方)、角兵衛獅子(新潟県)など

④信仰ネットワークの中で健康祈願、厄除け、火伏せ等のため伝承ー単純伝来
伊勢大神楽(三重県、愛知県はじめ日本全国)、継ぎ獅子(愛媛県)、大獅子(長野県)、金蔵獅子(岐阜県)、権現舞(岩手県など)、角兵衛獅子(新潟県)

⑤文化奨励策、権力誇示、反乱抑制、武芸鍛錬、地域教育などの政治的意図ー単純伝来
加賀獅子(石川県・富山県)、麒麟獅子(島根県)

⑥歌舞伎の演目などをもとに創作して伝承ー単純伝来
虎舞(岩手県、宮城県など)、お座敷獅子(東京都、京都府、石川県など)

大きく分けて以上のような分類になるであろう。これまで獅子舞といえば一人立ちと二人立ちなどの舞い方やその形態ごとに芸能研究の一環として分類が試みられてきた。しかし、これを地域研究として応用した時に、「人間が獅子に変体する瞬間」とはどのようなスイッチが存在したのか?を考えることによって、より土地の本質的な厄意識などの性質を明らかにしていくことに繋がるであろう。

「不自然なスイッチ」を見抜く技術

以上のように、人間が獅子舞に切り替わる瞬間は様々だ。最も土地に根ざした本質的な獅子舞をしているのは、「複雑伝来」のパターンだろう。「単純伝来」の基盤が脆弱になりがちなのは、そこに土地との文脈が薄いからである。熱狂的芸能者の存在があり、その熱量によって水平的な拡大を続けるが、後世の人々にまでその熱量が届かなくなると、伝承が途絶えるパターンが多い。後世の人々は自分が途絶えさせたくないからと義務感を持って獅子舞を続けるという場合も多く見られる。それが無形文化財というお墨付きによって価値が上乗せされたらたまったものではない。芸能としては有名になるし、ファンが増えるし、お金も入る。その代わりに、自分の生活の中から湧き上がるような衝動を形にしたくなるような感覚というのは、もはや皆無であり、民俗芸能ではなくサーカスという見世物に近づいていく。そこに文字通り自然な形での伝承は見られない。だから、単純伝来に当てはまる地域というのは基本的に、土地の生活文化に溶け込む形を目指して、多少柔軟に舞い方を改変してでもなじませていく工夫をしていくことが、伝承のカギになるであろう。日本全国の獅子舞が人口減少による担い手不足によって少なくなっている今、民俗芸能における技能の数々が水泡と化して消えている。そんな今だからこそ、今一度土地の声に耳をすませていく必要があるのだ。


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