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ジェンダーフリーの時代に、獅子舞の多様性とは何か?を考える

近年、男と女の狭間を生きるセクシュアルマイノリティーの存在が社会の明るみに出てくるようになった。同性を愛せるレズやゲイだけでなく、両性に性愛感情が向くバイセクシャルや、他者に性愛感情を持たないアセクシュアルなどもある。世界的に見れば、同性愛者の人権が認められてきたのが18世紀後半のことだ。現代においても同性愛者を認める法律がなくて処罰の対象となる国は70ヶ国以上あるし、そのうち数カ国は同性愛者が死刑になる可能性すらあるという。マイノリティが生きやすくなる制度設計は急務である。

獅子舞のオスメスの見分けは難しい

実は、獅子舞にもオスメスがあることをご存知だろうか?一般的に角があるのが雄、角がないのが雌だと言われることが多いが、例外も多くある。例えば、石川県加賀市小塩町と橋立町の獅子舞は雌だが角がある。しかも顔が白くて、これは「おしろいを塗ることで雌獅子を笑わすため」と伝えられている。笑わすことの真意は測りかねるが、雌の獅子はおしろいを塗ることで心がポジティブになるという意味だろう。また、この地域の獅子舞には「花棒」という花がついた棒が登場するが、これは花の良い香りに誘われて、雌の獅子が寄ってくるためだと言われる。小塩町と橋立町の獅子舞にとって雌という性別であることの象徴的な行為が、おしろいを塗ることと花の香りが好きなことであるというのは興味深い。逆に角があっても性別は雌なのだ。

オスメスの動作の緩急

また石川県加賀市三谷地区では、獅子舞の雄は動作が激しく、雌は動作がゆっくりだと伝えられている。三谷と言うくらいだから3つの谷があり、直下町、曽宇町、日谷町に分かれる。直下町が雄獅子で、残り2町が雌獅子だ。雌獅子の2町の動作はゆっくりでほぼ変わらず、日谷町の方が演目が1曲多いなどの違いしかない。しかし、石川県加賀市塩浜町の獅子舞は雌獅子なのに、暴れ獅子となる。あまりにも暴れるものだから、神社の参道を50m引きずられるという動作まであるほどだ。雌なのに暴れると言うことはかかあ天下か?と思いつつ、オスメスの見分けは非常に難しいと言わざるを得ない。

オスメスの見分け方は歯の本数にあり

富山県氷見市の獅子舞ミュージアムを訪れたとき、そこのスタッフの方に、オスメスの明確な違いを教えてもらった。雄獅子の特徴は「上歯の本数が多いこと」と「耳が立っていること」であり、雌獅子の特徴は「上歯の本数が少ないこと」と「耳が垂れて下がっていること」であると言う。なるほど、雄獅子の方が噛む力が強いとか、気性が荒いと言うことの表現として、歯の本数や耳の角度が関わっているのかなと思い至った。これに関しても例外はおそらくあるだろうが、見分けとしてかなり確実性が高い見分け方であるようにも思う。

オスメスの性転換

石川県加賀市大畠町では、公民館に2つの獅子頭が保管されている。古い方は権九郎型の獅子頭で、「昭和二十七年秋祭 菅野海◯◯ 奉納」と下顎の内側に記載がある。新しい方は角が大きく顔が小さな子供獅子のような獅子頭で、裏側に「井波 野原晢夫作 奉納 墨谷博 昭和四十九年」と記されている。新旧の順序を考えれば、もしかするとどこかで大人獅子から子供獅子へ移行した可能性がある。また、角の有無を考えれば、雌獅子から雄獅子へと移行したとも考えうる。日本全国を見渡してみれば、新旧の獅子頭の傾向に大きな振り幅がある場合、獅子の性転換が行われたケースを疑ってみる必要があるだろう。石川県加賀市深田町では雌獅子の獅子頭を使っていたが、5年前くらいに近くの田尻町の獅子舞に対抗するため(憧れがあったため)に、雄獅子の獅子頭に変えたと言う。「あの獅子かっこいい」と言う単純な動機で、雌獅子から雄獅子に転換する場合も少なくない。これはおそらく、獅子舞を演じる大多数が男性であることに起因しているかもしれない。

オスメスで魔除けが完結する

ところで山形県酒田市では、オスメス一対で獅子頭を製作する伝統工芸品づくりの文化がある。これは大抵の場合、赤と黒で対になる。全国的にみればこれはオスとメスだとか、親と子だとか、兄弟だとか様々な言われ方をする場合があるが、酒田はとにかくオスとメスとで2頭1組が徹底しているというのは面白い。酒田市では伝統的に、黒塗りで耳の立った雄獅子を陽、赤塗りで耳の垂れた雌獅子を陰と考え、雌雄揃うことで悪病災害厄除けの霊獣として信仰してきた。酒田の飾り獅子の文化は約200年前からと言われており、意外と歴史がかなり古いわけではない。

女神に男性という性が介入

この酒田市の考え方はおそらく、日本全国のオスメス一対の信仰に概ねなぞらえて作られた文化なのではと感じる。例えば、石川県加賀市合河町でも同じ地域に雌雄一対の獅子をもうける文化がある。合河町は元々、毛合と川尻という2つの村に分かれていた。それが一緒になって合河町になったという歴史がある。神社に関して、毛合は毛合白山神社、川尻は蔵宮白山神社という風に2つに分かれていた。それらの神社を1つにするという話も昔あったがそれは実現しなかったので、現在に至るまで毛合と川尻で別々に神社を持っている。川尻の方の神社が大正8年9月に場所を変更した際に、毛合の方もここにまとめて1つの神社にしようという話もあった。しかし、毛合の方にお金を持っている人がいて、一緒にするのをためらったので、そのまま別々の神社を継承し、町としては同じ合河町という今の形態が生まれた。毛合の神社は男の神様で雌の獅子を持ち、川尻の神社は女の神様で獅子は雄獅子とも言われている。ただし、御祭神は双方ともに白山神社なので、「菊理姫」である。菊理姫といえば女の神様なので、そこに男性性が介入してくるというのはちょっと不思議な現象だ。

多様な性のあり方を認める社会

このように日本全国で獅子舞のオスメスの特徴としては様々な事例があり、「角があるから雄だ」「動作がゆっくりだから雌だ」などと一概に決めつけることは難しい。人間に性別の多様性があるのと同時に、獅子にも多様性がある。これは、人間が作り出した想像上の生き物が獅子であるということを考えれば、人間の性別に対する捉え方の多様性を反映していると考えることもできる。また、私はあなたとは違うという個性を求める意識が、地域間の獅子の違いを生み、地域の境界性を定義してきたと言うこともできるかもしれない。とりわけ石川県加賀市のように山村、漁村、城下町、温泉地、宿場町、農村などの街並みの多様性があり良い意味でまとまりがない地域において、獅子の多様性は顕著だ。一方で、獅子舞が画一化されやすい地域というのは、比較的地域間交流が活発で、ミーハー意識が強い平野部が多いようにも思う。多様な性のあり方を認めるためには、他人の真似事をするだけでなく、孤独と戦いながらも自らの内側にある個性を磨き続け生を全うしていくとともに、それを尊重する社会のあり方が求められていることを再確認させられる。獅子舞をつなぐ担い手たちは自分たちの獅子舞の個性を自覚していないが場合が多く自虐的になりがちだ。その点では、ここに私が獅子の多様性を記したように、全体性を示す第3者の視点も重要になるだろう。

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