人に教えたい理由は、仲間を増やしたいから。
昔から要領の悪かった僕は、何を教えてもらっても身につきませんでした。
中学生に上がったころには、授業の内容が少しずつ複雑になっていって、周りが理解できているのに、自分が理解できていないのが恥ずかしかったりもしました。
自動車教習所では、毎日怒鳴られてしまっていたので、習う側の僕に非があると感じていました。
とにかく要領の悪い僕は、人から教わってサッと理解することができないので、すべて僕が悪いと思っていました。
そして、教える側も「分かりやすく伝えよう」よりも「知識をひけらかす」という意味合いが強い人が多かったので、もう、どんどん意味が分からなくなっていきました。
しかし、不思議なことに「人に何かを教えること」は、すごく楽しかったのを覚えています。
中学生の時には、周りの友達がまだ手をつけていなかった「麻雀」や「桃太郎電鉄」を教え歩いていました。
友達の家に行って、自分なりのマニュアルで教えて、だんだん自信をつけていく姿を見るのが、とても楽しかったのを覚えています。
教えすぎて自分が負けてしまうこともあるほど、教えることに熱中していました(笑)。
「教えられる行為」は苦手なのに、「教える行為」は楽しく感じるのは、どうしてなのかと考えた時、一つの答えにたどり着きました。
教えることが楽しい理由は、仲間が増えていくからです。
麻雀や桃太郎電鉄をできる人が増えたら、その面白さを知る人が増えていきます。
面白さを知る人が増えてきたら、楽しい時間が増えていきます。
一緒に考えたり、新しい発想が生まれたり、喜怒哀楽をフルに使えたりすると、同じレベルで物事が楽しめるようになります。
「仲間になる」という意識があるからこそ、教える時には「フィーリング」や「センス」という曖昧なものには頼りません。
ちゃんと言葉で納得できる、視覚で納得できる、体で納得できる段階まで持っていかないと、自分と同じレベルで楽しめないからです。
物事を楽しむ仲間を作ることが、教える喜びだと思います。
僕の教える動機が、「自分が楽になるから」とか、「仕事だから」ぐらいのものだったら、きっと楽しくはなかったでしょう。
おそらく、「仲間になろう!」という意識で、教えてくれる先生に出会えたら、僕は勉強や車も好きになっていたのかもしれません。
まぁ、そんなことを今更考えても、仕方のない話なんですが(笑)。
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