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いつまでも、「純粋さ」を貫いていい。

時折、変に頑張りすぎて、自分自身が疲れてしまうことがあります。

元々は、「やりたいこと」だけ頑張っていたのが、いつしか、「やりたいこと」に完璧を求めすぎたり、「やらなくていいこと」にまで首を突っ込んでしまって、自分を見失ってしまいます。

おそらく、そんな風に頑張ってしまう理由は、自分に絶望したくないからです。

「自分に能力がないと思いたくない」「誰かをがっかりさせたくない」「誰かに嫌われたくない」という思いが先行してしまい、頑張るエネルギーを浪費させてしまうのです。

実は、ここ10年間、そんな日々を送っていました。

そういう生き方になってしまったのは、今から10年前、結構仲が良いと思っていた友達から、実はすごく嫌われていると知ったときからでしょう。

相手が強烈に自分を嫌っていると知ったとき、自分自身に大きく絶望し、自分に非があると考えはじめました。

何がダメなんだろう?

その理由をここ10年間探し続け、理由を見つけたと思ったら潰すように、自分なりに頑張り続けました。

だから、何かが成功したとしても、僕のことをよく思っていない人を探すようになり、その度に自分が嫌われている理由を分析して、改善しました。反応が悪そうな人の前で、尻込みすることもありました。

その姿勢が、「無理な完璧主義」につながったのだと思います。完璧になれば、傷つかなくて済むと考えていました。

しかし、最近はその考え方から解放されるようになりました。それは、狭い交友関係でのことがきっかけです。

僕は、人を傷つけたくない上に、自分が傷つきたくないからという理由で、交友関係をグッと狭めて、そのなかだけで楽しい世界を作っていくようになりました。

僕が友達と遊ぶときは、自分が考えた企画を持ち込んで、彼らにやってもらうという特殊なスタイルです。もちろん、彼らとやると楽しそうなものを作ります。

去年の年末には、1泊2日がかりで大きな企画をやりました。その時に、彼らは僕のこれまでにやってきたことをすごく肯定してくれました。

正直僕は、自分のやりたいことに付き合わせてしまって申し訳ないと思っていたのですが、彼らはそれほど迷惑に思っておらず、純粋に楽しんでいました。彼らに尊敬の言葉をかけられたときや、楽しそうに笑っている姿を見たとき、密かに涙をこらえていました。

その時、「自分のやりたいことを、思う存分頑張ること」の大事さに気がつきました。

もし僕が、誰かの目を気にしすぎて、半端に企画を作ってしまったら、1泊2日の長期戦にはならず、たった数時間で終っていたでしょう。

その企画だって、置きに行きすぎたり、周りの顔色がよくなさそうだったらすぐに中止にしていたはずです。

僕が純粋に面白いと思うことを本気で作ってきたからこそ、彼らも純粋な姿を見せてくれました。純粋な思いが通じ合った時、人はこの上ない喜びを感じます。

純度が高い熱意や創意工夫を、誰かの心に届けようとすると、それを受け取ってくれる人が必ずいます。

もちろん、僕のnoteを読んでくださる方も、その受け手を担ってくれています。いつも、ありがとうございます。

自分の純粋さが真っ直ぐ届くことほど、嬉しいことはありません。

僕に必要なのは、「完璧になること」ではなく、「自分の気持ちを高い純度で届けること」でした。

結局、10年前に友達が僕を強烈に嫌った理由は、未だに分かりません。でも、今いる友達のおかげで、その理由が分からなくても、自分に絶望しないでも良い気がしてきました。

これにて、10年間の苦しめてきた「完璧主義」とは、お別れです。

お疲れ様でした!

そして、これから人生を共にする「純度主義」、よろしくお願いします。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!