告白がえし
「あぁ、まさにここだよ! このベンチでフラれたんだよね。ここから改めて見ると、結構、綺麗な景色だったんだなぁ」
光太は、休憩所にある二人掛けのベンチに勢いよく腰かけて、目の前に広がる噴水広場を見渡した。神代植物公園の噴水広場は、真紅、薄紅色、橙色と、色とりどりのばらに囲まれ、遠くから一望すると、まるで異国に訪れたような心地になる。
「へぇー。素敵じゃん」
私は、手前にある一人掛けのベンチを避けて、さりげなく光太の右隣に座った。
「二年前の秋頃かな、優奈がここのばらが綺麗だって言ってたからさ、じゃあ、この辺りで告白したら、イケるんじゃないかって思ったんだよね…」
光太は、優奈との思い出を懐かしむように、噴水を囲んでいるばら園全体を眺めた。
「まぁ、結果的に、俺はばらを眺める余裕もなく、心がバラバラに砕かれちゃったんだけどね…。うわぁ、俺、こんなにつまんないことしか言えないから、フラれたのかなぁ…」
光太は、瞬間的に思いついたダジャレで、当時の切なさを隠すように、私に向かって微笑んだ。
「まぁ、今みたいなことばっかり言う人に告られたら、フッちゃう人もいるかもね」
私が笑いながらそう言うと、光太は「だよなー」と言いながら俯いて微笑んだ。
「でも私は、光太と優奈ちゃんが仲良くしてたの見てたから、いつか付き合うのかなって思ってたけどね」
「確かに、一年の時、ゼミも教習所も一緒で、結構遊びに行ったりしたからね。柚葉から見ても、俺たちってまあまあ似合ってたよな?」
「うん。まぁ、そんな感じしたよね…」
自分から訊いたのにも関わらず、心の奥がざわざわした私は、光太の目を見て上手く返せず、噴水広場の方へ目を逸らした。
「でもさ、『友達にしか思えない』って言われちゃったんだよね。俺さ、付き合ってからはじまる恋もあると思うんだけど、女の人って、好きになってからじゃないと、付き合おうと思わないの?」
「うーん。多分、そういう人の方が、多いかもね」
「みんな、そうなのかー」
光太の目線の先には、純白に咲くアイスバーグに鼻を近づける女性と、その姿をスマホで撮る男性のカップルがいる。女性は、セミロングの黒髪にパーマがかかっており、10月だというのに、水色の肩出しワンピースを着ている。その姿が、少しだけ優奈と重なる気がした。光太は、優奈とこういうデートがしたかったのだろうか。
「光太、まだ優奈のこと好きなの?」
その質問をすることは怖かったが、光太がカップルに見惚れているので、訊かずにはいられなかった。
「いや、そんなことないよ。一年前に、優奈がミスターに選ばれた先輩と付き合ったって聞いてから、もう、諦めはついたよ。たまたまこの公園に来たから、ちょっと思い出しちゃったんだよ」
光太は、私の目を見て軽く微笑んだ。確かに、心の底から笑っているように見えて、未練が残っていそうな表情ではなかった。
「ごめんね。そんなところだとは知らずに、誘ってしまって…」
今日は、私と光太が受けている講義が休講になったため、昼に深大寺そばを食べて、ついでに神代植物公園に寄ろうと私から提案した。私は、入園直前の深大寺門で、光太が優奈にフラれていたことを聞いて、一瞬驚いたが、それを聞いて胸をなでおろしていた。
「いや、柚葉が知らなかったのは、仕方ないよ。俺、フラれたこと、隠してたし…」
「そうだよ! なんで隠してたの? いつの間にか、光太と優奈ちゃんが喋らなくなったから、みんな、不思議に思ってたよ?」
「いや、そりゃあ、恥ずいから隠すよ! でも、柚葉だったら、慰めてくれそうだから、すぐに言ってもよかったな」
光太は、照れくさそうに笑いながら、左手で顔を煽いだ。
「うん、私に言ってくれたら、慰めてあげてたのに」
私がおどけて笑うと、光太は「そっかー」とつぶやいて、顔を煽ぐ左手を、より加速させた。
「じゃあ、柚葉に訊くけどさ、女子がフるときに使う、『友達にしか思えない』って、あれ本当なの?」
光太は、まっすぐ私の目を見つめて、不思議そうな顔をして訊いた。
「え? そうなんじゃない?」
私は、光太に見つめられて緊張したせいで、特に考えもせずに返してしまった。
「そっかー。でもさ、それなのに、告った後に、優奈が俺のことを避けたのが、すごく気になったんだよね。だって、友達にしか思えないんだったら、別に、前と同じように接してくれれば良いと思わない? なのに、告白したら、友達ですらなくなったんだよね。それでゼミのみんなにも、気を遣わせちゃったし…」
「うん。そうだね」
私は、光太の気持ちに寄り添うつもりで頷いた。確かに、光太の言っていることは、もっともだと思う。女子が言う「友達にしか思えない」は、男子を傷つけないように使っている。実際には、「友達にしか思えないから、絶対無理」というニュアンスが含まれている場合がほとんどだ。これといって、相手をフる理由がない時に、この言葉を言っておけば、女子の印象が悪くならない。絶対に付き合えない人と認定した場合に、「友達にしか思えない」という言葉を使うのだ。優奈のように華やかな女子は、自分の生活圏の半径から飛び出して、恋愛をしたがる傾向にある。ミスターに選ばれる先輩と付き合う優奈なら、友達と恋人の距離感はハッキリしていて、光太が付き合える可能性は、ゼロに近かっただろう。
「俺は、優奈の友達フォルダに入れられちゃったって感じなのかな?」
「…そうかもね。優奈、その辺、ハッキリしてそうだから…」
「だよなー。女子って、難しいよな」
私は、優奈に限定して言ったつもりなのに、光太は、“女子”と一括りにした。その女子には、私も含まれているのだろうか。
「そう考えれば、優奈が俺を避けるようになったのも、納得できるよね。俺が、ゼミや教習所で優奈と話したり、遊びに行ったりしたのも、全部下心だって気づいたんだから。自分はその気がないのに、相手は下心全開って、想像したら、確かにキモいね。優奈が茶髪が好きだからって、茶髪にしたりしてさ…」
その言葉を聞いた瞬間、心の奥の方から、大きな揺れを何度か感じた。少なくとも今日の私は、下心全開だ。光太と一緒に深大寺そばを食べると決まってから、慌てて化粧室に駆け込んで、メイクを直して、髪を整えた。少しでも自分を可愛く見せようとしていた。“キモい”という言葉には、強いパワーがある。自分以外のものに使われると、何とも思わないが、いざその“キモい”に自分が当てはまると、急に恐怖が襲ってきて、泣き出したくなった。
「っていうか、今考えたら、あり得ないよ。だって、異性として見られていないことぐらい、冷静に考えれば分かるよ。だって、一回も良い雰囲気になったことないし。なのに、勘違いしているって、本当に惨めだよ」
光太は、自嘲気味に言い捨てて、噴水広場に目を向けた。広場の前では、小学生の男の子が叫びながら走り回っている。その姿を目で追う光太は、顔が少しほころんだ。
「あの子、どこに向かって走ってんだろうなぁ」
光太は、走り回る子どもを指さして、私をちらっと見た。
「えっ? どうした?」
堪えていたはずの私の涙は、光太に顔を向けた途端、頬をつたって落ちてきた。
「…あぁ、ごめん。何でもない」
涙がこぼれてこないように上を向いてみたが、それでも私の涙は、一粒一粒、ゆっくりと流れてくる。
「何でもなくないじゃん! なんか、嫌なことでも思い出したの?」
慌てふためく光太は、私の顔を覗き込むように、天を仰ぐ私と目を合わせようとする。
「ごめん。何でもないことにさせて」
「どういうことだよー。言わないと分からないよ?」
私が震える声で精一杯絞り出した言葉の意味を、光太は理解できていないようだった。さっきまで私をときめかせていた光太のまっすぐな瞳が、今は鬱陶しい。私は、顔を見られないように手で顔を覆って、俯きながら涙を流した。
「なんか、俺が悪いこと言ってたら、ごめん」
光太は、私の肩に手をおいて、とりあえず謝った。
「泣いている理由も分からないくせに、謝らないで!」
私は光太の手を振り払って、光太を睨んだ。思ったより声が大きかったのか、叫びながら走り回っていた小学生も、私の声で静まった。
「もう、言うね。私、光太のこと、好きなの」
「…えっ? 本当に?」
「うん」
あまりにも想定外だったのか、光太は目を見開いて驚いていた。
「だから、今日も、下心ありまくり。あり得ないやつ。キモいヤツなの!」
惨めな自分に涙する声は、自分で聞いても痛々しかった。自分で自分のことを蔑むのは、思ったよりも苦しい。
「ごめん。全く気付かなかった。柚葉、そんな素振り見せないからさ…」
「ごめんね。いきなり泣いちゃったりして…」
「ううん」
私だって、本当は優奈みたいに、光太に図々しく話しかけたかった。でも、あまりにも光太が優奈と仲良く喋っていたから、二人の間に割って入ることができなかった。私は光太に話しかけるために、課題を忘れたふりをしては、何度も光太に見せてもらったり、テスト範囲を忘れたふりをして、何度も光太に連絡した。光太と優奈はいつも一緒に行動していたから、こうしないと、光太と二人で話す機会は作れなかった。今、私が時間をかけて作り上げた関係性が、一気に崩れていきそうで怖い。でも、ここまできたら、後戻りできない気がした。
「光太、私と付き合うのって、ダメかな?」
視界は涙でぼやけていて、光太がどんな顔をしているかは分からない。泣きじゃくった不細工な顔で、こんなセリフを言いたくはなかったが、光太の顔をはっきりと見たら、何も言えなくなりそうだった。
「うーん、ちょっとどうしていいか、分からないんだけどさ…」
光太は、後頭部を搔きながら目を逸らし、言葉を探している。指で涙を拭う私は、自分の心を落ち着けるために、ゆっくりと呼吸する。
「柚葉って、なんていうか、友達にしか思えないんだよね…」
光太が、なんとか振り絞った言葉は、私が最も怖れていた言葉だった。あぁ、光太にとって、私は絶対無理なんだ。
「あっ、でも、友達としては付き合うよ? だから、これからもよろしく」
無理に笑う光太は、心苦しそうに私を見つめる。
「自分は、『友達にしか思えない』って、使うんだね」
私は、吐き捨てるようにつぶやいて、立ち上がった。その一言で、余計に自分が醜くなった。
「ごめん…。あっ、帰る?」
光太は、素早く立ち上がって、深大寺門の方を指した。
「帰るけど、一緒に帰ろうとしなくていいから」
「あぁ、そっか」
私にそう言われると、光太は、深大寺門の方向へ歩き出した。
「じゃあ、俺、帰るね。気をつけてね」
「うん」
私は、雑木林へと消えていく光太の後ろ姿を目で追う。光太は、一度も振り返ることなく、姿を消した。辺りを見渡すと、もう、肩だしワンピースの女性も、元気に走り回っていた小学生もおらず、さっきよりも人がまばらになっていた。
「ばらでも、見るか」
ため息交じりの声でつぶやいた私は、ばら園を回ってから帰ることにした。ここに気持ちを捨ててから門を出ないと、光太を避け続けることになりそう。今日のことはなかったかのように、また明日から、光太といつも通り接したい。たくさんの鮮やかな花が咲くばら園を一周すれば、少しは気持ちも晴れるはずだ。
私は、ばらの名前を一つ一つ黙読して、ゆっくりとばら園を回る。ポリネシアン・サンセット、フロリック、イントゥリーグ…。ばらの名前を読み上げても、頭には入ってこない。どうしても、光太が「俺さ、付き合ってからはじまる恋もあると思うんだけど」と言った時の映像が、頭の中で何度も再生される。穏やかな顔つきの銅像の左斜め前に咲くノック・アウトまで辿り着いて、私は歩くのをやめた。ばらが綺麗なのは分かっているのに、素直に綺麗と思えない。矛盾していた光太に怒りを抱いてもしょうがないのに、光太への怒りが収まらない。惨めな自分を思い出したくないのに、さっきまでの下心ありまくりのキモい自分が甦ってくる。少なくとも、可憐に咲くばら園に、惨めな私は見合わない。鼻をすすることに忙しくて、ばらの香りなんて、何も感じられない。
「ダメだ。出直すか」
そうつぶやいた私は、正門に向かって歩き出す。いつか、ばら園に見合った自分になって、また訪れることができるだろうか。そんな漠然とした不安を抱えながら。
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