見出し画像

「自ら動くこと」は、最も初歩的な他者貢献。

嫌なことも、自ら進んでやるだけで、捉え方が変わります。

先日、行きつけのカフェで過ごしていた時の話です。

僕が、そのカフェに行く理由は、料理がおいしい、安い、落ち着くという理由の他に、「席が空いている」という理由もあります。

なぜなら僕は、「飲食店で店員に追い出される」ということが、ものすごく嫌だからです。

自分がお金を払っているのに、店にとって迷惑な客扱いされているみたいで、それが頻繫にあると、その店には行かなくなります。

店に対して不満というよりも、店に対して申し訳ない気持ちになるのです。

その日の帰り道は、寂しさと虚しさに襲われながら、「あぁ、なんか行かない方が良かったなー」と後悔しながら帰ります。

ただ、その行きつけのカフェでは、満席で店を追い出されるという経験はありませんでした。

先日も、僕一人しか客がいなかったので、優雅に過ごしていました。

しかし、その日は、やたらと客が訪れます。

いつもなら、ちらほらと客がやってきて、短時間で帰っていくことが多いのですが、その日は次から次へと客が訪れて、しかも、長時間居座る人が多い日でした。

ついに、店内は満席になり、そんな中、新たな客が入ってきました。

店主は、かなり困った様子になっていて、新しい客をとりあえず待たせることにしました。

しかし、どの客に声をかけて良いか分からない。できれば、どの客にも「帰って」と言いたくない。

そんな戸惑いの表情を浮かべて、しばらく慌てふためいていました。

正直、それを見てみぬふりも考えましたが、ここは自分が動こうと思い、僕は荷物をまとめて店を出ることにしました。

店主は何度も「すみません」と僕に言い、僕は店を後にします。

店内の客がいっぱいになって追い出される帰り道は、どこか寂しく、虚しい気持ちになるだろうと思っていましたが、それは違いました。

僕は、清々しい気分で帰り道を歩きました。

店主に協力できた、新規の客にも楽しみを分けた、誰よりも早く人が困っていることに気づけた、そしてそれに自ら手を伸ばした。

思い返せば思い返すほど、自分の行動を好きになっていきました。

これが、店側に「退店願えますか?」と言われて出ていくなら、そういう気持ちにはならないでしょう。

「自分から進んで動いた」ということと、「誰かに言われて動いた」というのは、全く次元が違います。

たとえ、同じ行動でも、同じ結果でも、自己評価は全く異なります。

「自ら進んで動く」というのは、最も初歩的な他者貢献です。

相手を思いやっていればいるほど、誰かに何かを頼むのも辛いものです。

自ら進んで動くだけで、思いやりのある人のためになるのなら、僕は自ら動き続けたいと思いました。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!