自我を曲げちゃった方がラクだよ
また恋愛の話ばっかりで申し訳ないんですが、昔から、ちょっと悲しい気持ちになってしまうのが、恋人ができた途端に元気が良くなって、何もかも恋人に染まってしまい、いとも簡単に自我を曲げてしまう人です。
もちろん、その人がそれで良ければいいのですが、今まで積み上げた歴史がいとも簡単に姿を消して、なんでも恋人の都合の良いように生きている姿が痛々しく、見ている方も恥ずかしかったりします。人から影響を受けることは誰しもありますが、それを自分で選択できていなくて、無意識的に染まっているのが、どうも苦手です。
以前、友人に会った時にその驚愕の行動を目の当たりにしました。
目を輝かせて話す話題は、アニメ、ゲーム、YouTuberの動画、恋愛リアリティショー、恋バナ。。。
それ以外は大して興味なさそうに、こっちの話が終わるのを待っています。小学1年生の頃から仲良くやっていて、彼がそんな話題を持ってくることは今までありませんでした。別にこれらが悪いわけではないのですが、僕と彼の間柄でこの話題をするということが、どうしても納得いかないのです。
以前までは、テレビ、アイドル、音楽、サッカー、政治、学生時代の話、経済、哲学とかの話をしていましたが、それはあっけなく姿を変えました(笑)
彼の話題が変わった理由としては、恋人の存在が大きいと言います。恋人と半同棲生活(自分の家はあるけれど、恋人の家に拠点を置く)をしているため、恋人にどうしても影響されてしまうと言います。影響されすぎなんじゃないか、自我を曲げすぎなんじゃないかということを指摘すると、
「自我を曲げちゃった方がラクだよ」
と言います。なるほど、そうしておくことで、恋人との対立は防げるし、ある一定の愛情を与えてもらいやすくなるし、喜びも2倍増か。
まぁ、それぐらいなら彼も変えられるでしょう。彼にとって娯楽は大して重要な意味を持ってないので。しかしながら、昔から頑固なところが一つだけあります。それは、食い意地。
修学旅行の時に、みんながご飯を5杯おかわりしようもんなら、彼は6杯おかわりしますし、失恋したら毎日4合ご飯を食べます。好みもはっきりしていて、辛すぎるのは苦手なことを覚えていたので、僕の家に来た時には中辛レベルのカレーを作っていました。店に入った時のドリンクはスプライトだと相場は決まっていました。
しかしながら、現在はあまりたくさんのご飯を食べなくなってしまい、日常的には辛口のカレーを食べ、お店でのドリンクオーダーはウーロン茶(笑)。人間、味覚までこんなに変わるのか(笑)。
それを見ると、僕は怖くなりました。そして嫌な感情が沸き上がります。人間の弱さの象徴のように思えたからです。承認されるためにここまで自分を殺して生きる。権力の前では膝まずくように見えてきました。以前の彼は、どこに行ったのでしょう?
これは、生き方の問題なのでその人の好きにすればいいことは大前提なんですが、愛情を貰いたいがために、無意識にそうしちゃっていることって、こっちからすれば大迷惑です。それはこれまでの彼を否定することにもなりかねません。
彼は、恋人のいなかった自分を否定的に捉えているので、それでいいのかもしれませんが、僕は恋人ができるまでの彼と一緒に過ごしている方が圧倒的に長いです。その時代のネガティブさで人を笑わせてきたことも知ってるし、彼が男同士の青春に溶け込んでいるのも好きでした。
それを彼は、全部捨てています。それも無意識的に、別に恋人がいる彼を否定したいわけではありません。それが両立できていないことが悔しくてたまりません。
彼との滞在時間8時間。僕は心から1度も笑えていなかった。
恋するって、誰かを傷つけることかもしれません(笑)。
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