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決めつけの美学

年を取っていくごとに、コミュニケーションって、本当に難しいなと感じてしまいます。

特に最近難しいと思うのは、“決めつけ”に関して。

○○県出身の人ってこうだよね、○○を使っている人ってこうだよね、○○を尊敬している人ってこうだよね、といった決めつけをしてはいけない風潮です。

確かに、それによって大きな差別をしてはいけないですが、僕は会話の中で起こる小さな偏見が好きなので、それを強く拒絶する人がいると、少し困ってしまうことがあります。もちろん、その人に気を遣ってそういう話題を避ければいいのですが、決めつけには多少の熱量を持たせるので、その決めつけが愚かなものだとしても、その言葉に人間性が出てたり、逆に自分が話していると、新たな発見を誰かに共有できることも嬉しいです。

特に東京の人をああだこうだ決めつけるのは嫌われますが、以前沖縄に帰った時に、決めつけたくなることがありました。「東京の人は地方から来た人ばかりが多いから、それは本当の東京の人じゃないよ!」的なことを言うのはナシで聞いてください(笑)。東京で生活している人をざっくりくくって、「東京の人」とします。

東京では、知らない人へのまなざしが全く違う。

東京の人は、人になれているせいか他人が何しようとも干渉してきませんし、そもそも興味がありません。しかし、以前、数年ぶりに沖縄に帰った時に、それとはまったく真逆の反応を肌で感じました。

店に入るたび、従業員も周りの客も、芸能人を見るかのようにこっちのことをじーっと見るのです。だいたいどの店に入っても同じで、店員に一通り注文した後に、数秒間こちらを見つめる時間があります(笑)。店を出る時も、客がなんとなくこっちを見ています。別にこっちが超有名人でもなければ、超変な格好をしているわけでもありません(笑)。

ということで、その理由について考えていました。

沖縄の人が他人をじーっと見る理由

僕が東京に慣れすぎて忘れていましたが、沖縄の人はどこかに出かけると、基本的に人を見ます。これは無意識的過ぎて忘れていることが多いですが、どうしてもそうしてしまうのです。なぜかというと、知り合いがいる可能性が高いからです。たとえ本島であろうと、行動するエリアは限られているのです。なので、自分の友達だけじゃなくても、その家族などに会う可能性が高いので、どうしても人が気になるのです。

東京では、そこに居合わせたとしても、意外と気づかないまま終わることが多いうえに、あんなに数が多い中、人を一人一人見ていく方が難しいので必然的にやらないのでしょう。

人をじーっと見ることで起こる弊害

そうやって人をじーっと見てしまうからこそ、沖縄では必然的にこういうことが起こってしまいます。

学生時代、ずっと僕のことを見ている年下の女の子がいました。完全に僕のことを好きなんだろうとしか思えないです。しかも、その女の子は僕にメールアドレスまで渡して、何度もメールを送ってきました。好きな人の話になった時に、じれったくこんなふうなやり取りをしていました。

女の子「私の好きな人ですか?当ててくださいよ!」

自分「ええ、わかんないよ。誰にも言わないから教えて!」

女の子「えぇー。恥ずかしいな。」

自分「わかるけど、言ってごらん?」

ここまで焦らしといて、その女の子はメールで改行をしまくって、そのメールの一番下に好きな人の名前を打ったメールを送ってきました。そこには、なんと僕の名前ではなく、僕と同じ部活の後輩の名前がありました。

「なんだよそれ(笑)」

携帯を握りながら、そうつぶやきました。僕のことをじっと見つめていたからといって、僕のことを好きとは限りません(笑)。たまたまじっと見つめていた時に目を合わせてくれるから、やさしい印象があったのでしょう。

皆さん、決めつける際には、自分が傷つかない決めつけをしましょう(笑)。

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