好きになる努力をしてから、「好き嫌い」は決める。
なんでも楽しめる人になりたい。
そういうふうに思うことは多々ありますが、僕はそういう性格ではありません。
やっぱり、好きなものは好きで、嫌いなものは嫌い。
そこに嘘をつくことはできず、どんなことに対しても、好きか嫌いかを無意識的に考えてしまいます。
だからこそ、なんでも楽しめる人を見ると、とても羨ましく思います。
どんな状況や作業にも愚痴をこぼさず、まっすぐにやりきれるさまは、人間の理想系とすら思います。
なんでも楽しめる人と話していると、あることに気がつきます。
それは、何事も比較して考えていないということ。
仕事だろうが遊びだろうが人だろうが、比較して話すことはほとんどありません。
その時思ったことを、その時限りで話します。
僕なら、あの仕事よりこの仕事の方が楽しいとか、あんなことするよりこんなことした方が良い思い出になると、必ずしも比べられそうなことを見つけて、自分の基準で比較してしまいます。
過去の記憶をいつでも引っ張り出してきて、自分勝手に落ち込んだり、疲れたりして、よりストレスを溜めています。
それなのに、なぜ僕は、比較をしてしまうのか。
それは、自分がもっと好きなことを貪欲に求めているからです。
好きなことだけではなく、超好きなことも見つけたいと思っていて、それらに触れ続ければ、それだけ人生が楽しくなるでしょうし、嫌いなことを事前に避けられます。
こうして比較すると、必ず創意工夫が生まれます。
「あれに比べたら、あんまり楽しくなかったけど、もう少しこうしてみたら、楽しめるかも。」
そんなふうに、ネガティブな部分をポジティブに変えるための行動がしやすいので、楽しくなかったことも楽しく変換できる可能性もあります。
どんなものでも、そこで満足せず、自分で楽しくできると、より人生が豊かになります。
そして、その可能性を考える時間こそ、最も大事な部分です。
こうして、好きになる可能性を模索することで、より好き嫌いがハッキリします。
好きになる努力をしても、どうしても好きになれないものは、必ずあります。
ここまで努力して好きになれないなら、どこがどう嫌いなのかも、自ずと見えてきます。
そうすれば、自分のことがよく分かって、自分を扱うのがラクになります。
夢も決まりやすいし、やりたいこともブレない。
そこに向かって走っていく楽しさを、深く味わうのも悪くないと思うので、僕は僕なりに、楽しさを追い求めたいと思います。
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