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お前しか見えない=お前も見えてない

先月、TSUTAYAで「ごめんね、青春」のDVDを全巻借りて一気に観たんですが、印象的な言葉がありました。

「お前しか見えない=お前も見えてない」

「ごめんね、青春」は宮藤官九郎脚本、錦戸亮や満島ひかりが出演する学園ドラマ。内容をざっくり言うと、仏教系の男子校とキリスト教系の女子校が合併することで、いろんなことが巻き起こる青春作品です。

このセリフは男女の関係で用いられるのですが、これは男女に限らず距離が近すぎるとぼやけて見えないことが多々あります。

僕が特に思うのは、自分の好きなこと。僕は5歳の頃からNHKで放送されていた「爆笑オンエアバトル」にハマっていて、それから毎週見ていましたし、バラエティ番組やラジオ番組も狂うほど浴びてました。テレビに出ているお笑い芸人の上下関係は大体熟知してますし、番組表なども暗記しています。ラジオを聴くと音楽にも詳しくなります。たくさんの音楽を聴くようになり、ある一定のアーティストが好きなんて言えないぐらいに、どのアーティストの良さも分かるようになっていきます。

しかしながら、僕は学生時代にお笑い好き、テレビ好き、ラジオ好き、音楽好きなどと、自称していませんでした。そう言えるようになったのは最近のことです。好きなのは当たり前だったので、その話をよくすることは確かですが、自己紹介にそれを書いたり、「NO MUSIC NO LIFE」なんて、恥ずかしくて言えませんでした(笑)。

ただ、大人になっていくにつれて、人との結びつきが希薄になっていくほど、人は人をタグ付けしたがります。僕は狂うほどお笑いや音楽などにハマっていることは人に言わなかったので、そのタグ付けができない状態にありました。その結果、ただの印象が薄いヤツになってしまいます(笑)。

大人のコミュニケーションの入り口は趣味だったりします。これでは誰とも仲良くなりません。なので、そんな話ばかりをしていくことにしました。そして、タグ付けしてくれる優しい人に「お笑い好き」「音楽好き」「ラジオ好き」などと言われます。そこでやっと自覚し始めます。

「あぁ、○○好きって言っていいんだ」

これまでそれが言えなかった理由は、多分それらが見えていなかったからです。あまりにも生活に溶け込みすぎていて、みんなも似たようなことをしていると思っていたので、その影響が言動に出たりするのだろうと思っていた時もありましたし、学生時代は先生の話や、恋の話や友達の話など、もっと話すべきことがたくさんあるので、わざわざ話すことでもないと思ってもいました。

そして、○○好きと語っている人に限って、その○○について意外と深くまで知らないことを知っていたからです。

例えば、音楽好きだと期待して近づいてみると、一定のアーティストしか知らなかったり、そのアーティストの面白い曲すらつかめていなかったりします。ラジオ好きだと思って近づいてみると、5番組くらいしか聴いていなかったりと、僕にとってはフツーレベルだったりします。なので、○○好きと書いてしまうと、その知識があんまりないと思われるのも嫌でした(笑)。

多分、その人たちが○○好きと語れるのは、距離があるからそう言えます。距離がない僕にとっては、お笑いもテレビもラジオも音楽もぼやけてしまっているのです。だって、確実に好きであることは間違いないですから(笑)。そういうのは他人に気づかせてもらうのが一番です。なので、若者たちが「好きなことが分かりません」的なことを言いますが、それって近すぎて見えていないだけなのかなって思います。

好きなこと、意外と簡単に近くにあるかもしれません。それしか見えてなくて、それすらもぼやけて見えていない可能性があります。

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