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「それ、○○さんも言ってたよ!」って、なんで言いたいの?

会話のなかで、第三者と発言内容がかぶったとき、「それ、○○さんも言ってたよ!」と言う人がいます。

これには、どんな意味があるんでしょうか?

僕は、この言葉を言われると、ものすごくモヤモヤとした気持ちになります。

「ん・・・? だからなんなの・・・?」

正直な気持ちで返答するなら、こんな言葉を投げつけたいですが、雰囲気を悪くしたくないので、「あぁ、そうなんだー」と言って、あまり気にせずに会話を続けます。

その人との会話が終わった後、「あれは、どういう意味で言ったんだろう?」と思考を巡らせますが、だんだんとそれを考えるのも面倒になり、今まで放置してきた疑問の一つでした。

しかし、あまりにも、この言葉が耳に残るので、ここで一度、真剣にこの言葉の意味を考えてみたいと思います。

少々、お付き合いください。

まず、この言葉を言われるケースには、2つのパターンがあります。

1つ目は、尊敬されている人と発言がかぶったとき。

自分の言葉が、話し相手の尊敬している人とかぶると、「それ、○○さんも言ってたよ!」と興奮し、いかにもその発言が世の中の真理のように思う人がいます。

おそらく、これは良い意味で、「それ、○○さんも言ってたよ!」を使っていると思われます。

そして、2つ目のパターンは、嫌われている人と発言がかぶったとき。

自分の言葉が、話し相手の嫌いな人とかぶると、「それ、○○さんも言ってたよ!」と嘲笑し、若干見下した態度をとる人がいます。

おそらく、これは悪い意味で、「それ、○○さんも言ってたよ!」を使っていると思われます。

正直、僕はどちらにせよ、「だからなんだよ!」としか思いません。

尊敬されている人と発言内容がかぶっても嬉しくないし、嫌いな人と発想がかぶってもなんとも思いません。

これだけ人がいれば、発言内容がかぶることもあるだろうし、そこに大した意味を感じません。

少なくとも僕は、このセリフを言いたくなることはありません。

僕が言うなら、「俺が嫌いな○○さんと同じこと言わないでくれよ!笑」とか、「専門家の○○さんも同じこと言ってたから、そうなのかもなー」というふうに、○○さんと発言内容がかぶっていることが、何を意味するのかを伝えるでしょう。

しかし、僕の知る限り、「それ、○○さんも言ってたよ!」だけ言って止まる人が多く、そこまで言いきると満足しています。

なぜ、そこまで言いきると満足してしまうのか?

誰かの正解に沿って生きることが大切だと思っているからです。

自分の尊敬する人や世間からの評価が高い人の発言は「正解」、自分の嫌いな人や世間からの評価が低い人の発言は「不正解」と考えるクセがあるから、相手も当然そう考えていると思い、「それ、○○さんも言ってたよ!」と言って満足するのだと思います。

しかし、僕にはその価値観がありません。

尊敬する人でも自分と意見が異なることはあると思うし、嫌いな人の言葉の中にも真理が隠れていることがあると思います。

だから僕の返答は、「だからなんなの?」になってしまうのです。

そして何より、誰かの正解に沿って生きるような不自由な人生は送りたくない。

「それ、○○さんも言ってたよ!」という言葉がなくなれば、自由に生きられる人も多くなるでしょう。

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