永遠に付きまとう呼び方問題。
先に言っておきます。今日書くことは、とても不毛な話です。
いくら悩んでもしょうがないんですが、僕はこのことに何十年も本気で悩んでいます。
それは、呼び方問題。
多少くどいかもしれませんが、是非お付き合いください。
呼び方は、その人との親密さを表す大事なものです。下の名前で呼ぶのか、名字で呼ぶのか、あだ名で呼ぶのか、それで意味が変わってきます。
僕は、友達、親戚、家族など、呼び方が定まっていない人を数えると、数十人はいます。
その原因は、人によって誰を何と呼ぶかが変わってくるからです。
僕の叔母は、僕らが子供の頃から、下の名前で呼ばせていました。
僕もそれでずっと呼んでいたのですが、ある時から僕の二つ年下のいとこが、下の名前に姉ちゃんを加えて、「○○姉ちゃん」と呼んでいました。
それから僕は、何と呼んでいいか分からなくなって、叔母さんの名前を呼ぶことができなくなりました。
いとこに合わせて「○○姉ちゃん」と呼べばいいのかもしれませんが、理屈っぽい僕は、自分のお姉ちゃんではないのに、「○○姉ちゃん」と呼ぶのに抵抗があるので、絶対にそう呼ぶわけにはいきませんし、下の名前の呼び捨ては、偉そうに見えてしまうのかもしれません。
こういう問題は各所で起きています。
「下の名前」で呼ばれている人が「名字」で呼ばれていたり、「さん付け」で呼ばれていた人が「あだ名」で呼ばれていたり、「名字」で呼ばれていた人が「ちゃん付け」で呼ばれていたり…。
その度に僕は、名前が呼べなくなって、その人とのコミュニケーションが難しくなってきます。
もちろん、僕は僕の呼び方で呼んでいればいいだけの話なんですが、世間には厄介な人がいます。
例えば、僕の友達には、「千葉宏樹」という名前の友達がいます。
僕が「千葉くんがさぁー」と言いながら話を進めていると、「ん!?それって、誰?」と訊き返してくる人がいます。
僕は慌てて「宏樹がさぁー」と言い直して話を続けます。
僕は、「宏樹」と呼ぶのがスタンダードだと覚えたら、次から訊き返されないように「宏樹」という名前で話を続けています。
そうやって、相手に合わせる理由は、聞き手の混乱を防ぐためです。
僕はシンプルに千葉くんのエピソードを話したいだけなのに、そこで話の腰を折られるのは時間がもったいないです。
これって、話の腰を折る人が悪いと思うんです。僕は、こういう人さえいなければ、呼び方問題に悩むことはなかったでしょう。
いちいち訊き返す前に、千葉くんのフルネームを覚えておけばいいだけの話ですし、いろんな呼ばれ方を把握しておけば良いだけだと思います。
僕と千葉くんは古くからの付き合いなので、独自の呼び方があるのは仕方のないことです。それを後から関わってきた人が矯正するのは、おかしな話だと思います。
呼び方というのは、その人たちとの関係性を表しているので、他人が割って入っちゃいけないものなんです。
だって、自分の母親を「お母さん」と呼ぶたびに、誰かに「あぁ、稲福さんのことね…」といちいち言われたら、誰だって面倒くさいでしょう。
もしくは、どうしてもその人の呼ばれ方を把握できないのなら、多数派に合わせたらいいと思います。
社会的に何と呼ばれているのか、このコミュニティでは何と呼ばれているのか、他にも被った名前で呼ばれている人はいないかなど…。
そうして、ある程度の共通言語を持つことによって、みんなが簡単に、その人の名前を呼ぶことができるはずなんです。
その人と自分だけの場合は独自の呼び方、第三者がいる時には多数派の呼び方に合わせてくれるのが、一番良いんです。僕は基本的にそうしています。
それができないのなら、独自の呼び方をつけないでほしい。
しかし、世の中には抜け駆けして、自分独自の呼び方を押し通すやつもいます。そいつのせいでまた、呼び方がばらけてしまいます。
こうして、呼び方問題は永遠に尽きないのでした(笑)。
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