「信じたいこと」と「信じるべきこと」はまったくの別物だった。
生きていると、「信じたいこと」と「信じるべきこと」に出逢います。
この選択をする方が正しい、こう思った方がいい、こうなるしかないなど、人生のあらゆる局面で信じたいことを信じることがあります。
たとえ、周りから反対されても、あまりいい結果にならなかったとしても、自分が苦労したとしても、そのとき信じたいと思ったことを信じるのは悪いことではありません。
でも、その信じたいことは、信じるべきことだったのでしょうか。
世の中には、たくさんの信じたいことがあります。
世界は平和になると信じたいし、不況になっても自分は大丈夫だと信じたいし、あの人がもっと立派になると信じたい。
さまざまなスケールの信じたいことを、僕らは信じてしまいます。
ただ、信じたいことは、そう簡単に約束を守ってくれません。
他人を信じて裏切られるケースもあれば、自分を信じて自分で裏切ることもあるでしょう。
そういったことを繰り返すと、何を信じていいかわからなくなって、最終的には何もする勇気がなくなっていきます。
だからこそ、僕らは「信じたいこと」と「信じるべきこと」をきちんと分けなくちゃいけません。
では、「信じたいこと」と「信じるべきこと」の違いとは何か。
それは、信じたあとに、大きな力をくれるかどうかです。
「信じたいこと」は、信じただけで安心してしまい、何の工夫もしなくなるし、努力もしなくなります。
それぐらい、人は信じたいことを信じて不安を誤魔化したいし、できるかぎり楽をして生きていきたいです。
一方、「信じるべきこと」は、信じたことが正しいと証明するため、いろんな工夫を凝らして努力もします。
それぐらい、人は信じるべきことには裏切られたくないし、信じ続けたいものです。
信じるという行為は、大きな負荷がかかります。
でも、それだけ大きな力を与えてくれます。
それが生きるエネルギーになって、少しでも前向きになって、自分にとって良い影響を与えてくれるなら、それは信じるべきことです。
逆に、そこまで大きな力をくれないものは、一時的に信じたいことでしょう。
ただ、自分で決めなくていい、自分で動かなくていい、自分が努力しなくていいとか、そんな世界があればいいのですが、残念ながら、世界は自分のために動いていません。
今、自分が信じようとしていることは、単に信じたいだけなのか、それとも信じるべきことなのか。
人生で信じるべきことは、そんなにたくさんありません。
だからこそ、わずかな信じるべきことを大切にしたいものです。
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