繊細な人だからといって、すべてが繊細なわけじゃない。
繊細な人と聞かされると、すべてにおいて、接し方を気をつけてしまいます。
言い方をやさしくしたり、大きな声を出さないようにしたり、その人を傷つけないよう、最大限の配慮をします。
僕がそうしてしまうのは、自分に繊細な部分があるからです。
人の言われた嫌なことをずっと覚えていたり、他人の悪気ない一言も、かなり気にしてしまうことがあります。
しかし、自分から「僕は繊細な人間です」と言うのは、ちょっと嘘をついている気分になります。
なぜなら、ほとんどの人が気になることを、全く気にならないこともあるからです。
例えば、パソコンのキーボードの音。
パソコンのキーボードを叩く音を、僕は雑音と思ったことはありません。
もちろん、聞こえてはいるのですが、別に不快に思わないし、パソコンを使っている以上、仕方のないことだと思います。
しかし、それを不快に思う人も、一定数います。
以前、コワーキングスペースでパソコンを使って仕事をしていたとき、近くに座っている人に、「静かに!」と、机を叩かれて注意されました。
そこのコワーキングスペースは、いろんな人への配慮が届いているので、パソコン使用NGのエリアもあります。
僕がいるところは、パソコン使用OKのエリアだったので、あまり気にせずにキーボードを叩いていたのですが、その人からすれば、想像以上にうるさかったのでしょう。
僕は、何が注意されたのか、一瞬分かりませんでしたが、僕が音で注意されるとしたら、確実にキーボードの音しかありません。
そのとき、ようやく僕は、自分の雑な一面に気がつきました。
もしかしたら、人に言われる言葉に関しては、他人の何倍も繊細な分、その他の部分は、他人の何倍も雑になっているのかもしれません。
結果、周りが見えなくなってしまうのです。
そして、他人に迷惑をかけて、何かを言われて、自分が傷ついてしまう。
逆にいえば、周りに丁寧になってないから、自分が傷ついているのです。
最大限の丁寧を尽くしたうえで怒られてしまうようであれば、それはもう仕方がありませんが、丁寧を尽くしてなくて怒られるなら、自分が悪いです。
僕はもう少し、他人の言葉以外にも、注意を向けてみようと思います。
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