「気配り」が「自己犠牲」に変わる瞬間。
僕は子どもの頃から、人の顔色を見ながら生きています。
人の反応を見て、どんな言葉で笑うのかを察知して、自分の言葉を細かく変えています。
僕の言葉で笑ってくれたら嬉しいし、何よりも場が楽しくなるので、僕としても顔色を見ながら、人と接するのが心地よかったのです。
そんな僕は、人に気を配るのが当たり前になりました。
僕の気配りは、みんなで食事をする時にサラダを取り分けたり、飲み物がなくなったら注文したり、焼肉の肉を焼いてあげたりするような、あからさまなものではありません。