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【儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇】 読書#123

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、いつもと少し違った視点からの儒教です!
というよりは、儒教をベースにした中国・韓国・日本の人々の考え方の違いみたいな視点ですね!

ヘッダーは、セイスケくんさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

ケント・ギルバート(著)
講談社 出版
2017年2月20日 第1刷発行

全206ページ
読書所要期間8日

本書は、バリューブックスさんで購入しました!

私が本書に出会うきっかけ

私は、論語に関する本を読むことが好きである。
年に何冊かは読むのが通例になっているのだが、いろいろ探していると珍しいものを発見した!
それが本書だ。

儒教とは、論語を一つの原典として、政治人々の在り方などを示すものであると理解しているが、通常、特に論語に関するものは、
・論語それ自体を読みくだき、解説するもの
・論語について著者などが日常生活にどのように活かしているかを伝えるもの
要するに、論語の解説書と論語をもとにした自己啓発本みたいなところのどちらかに寄るものが多いと思われる中で、それらとは一線を画すと想像されるタイトルに惹かれた。

私が思う、この本の本質

アメリカと日本で育った著者の経験から、日本と中国及び韓国とは正反対の、決定的な違いがあるという仮説/主張が展開されている。

世界から見れば、北朝鮮を含め一見そう違いのないように見えるであろう4つの国々。
DNAもどうやら日本人と他の国々の方々とは大きな違いがあるということであるが、しかしそれ以上に異なる考え方を学ことで、より良い関係性を築こうと提案するものであると捉えている。

私が感じたこと

日本の再発見

今回の最大の収穫は、これだ。
周辺の国々と比較することで、どちらが良いとか悪いとかではなく、その違いを認識することで、改めて日本らしさ、日本人らしさみたいなところが浮かび上がってきた。
それを、私は再発見と表現したい。

「和を以て貴しと為す」

これは、私の社長が時折用いる言葉である。
聖徳太子の十七条憲法の精神だ。

これがやはり日本のいにしえから変わらず今も持ち続けている精神性なのではないかと、私も考えている。
相手を慮り、話し合いでなんとか決着しようと試みる姿勢。
これは、至る所で見られるのではないだろうか。
日常の会議でもそうだと思うし、逆にみんなで決めないことが批判の対象となることもあるから、まさにこの精神が根底にあると言えるのだろう。
そして、でかいところで言えば、外交交渉もそうなのかもしれない。
世界的に見て、日本が交渉下手と言われがちな、一つの源泉がここにあるのかもしれない。

交渉だから、当然損得が発生する。
損を肯定するのは、なかなかでき難い。
がしかし、日本古来の精神を押し殺して我を通して行くという考え方もまた馴染まない気がする。

では、どうすれば良いのか?

この辺が本書から見えてくる気がする。
私は、「我を通す」と自らを卑下する必要はないと本書を通じて感じたが、皆さんはいかが感じるだろうか。

むすびに・まとめ

本書から見える著者の主張としては、
・日本では、十七条憲法の精神や武士道の精神と儒教の精神が相まって、良いところが残り続けている。
・中国や韓国(北朝鮮を含め)では、様々事情があって肝心な儒教の本質が少し別な解釈になっていった。
ということだと私は受け取った。

だからと言って、一概にその国々の方々が全員ダメとか悪いとかは思わない。
正直言って、本書ではその辺がなかなか辛口な部分もあるが、それはそれで好きな方もいらっしゃるのかもしれない。

いずれにしても、著者から直接お話を聞いているような、文章としてはとても読みやすいものであった。


以上です。

全然本筋とは関係ないのですが、本書から他に感じたことは、著者がかなり色々と本を出版されているということです。
テレビで見たことある、お名前を聞いたことあるなぁ〜とは思っていたのですが、とてもマルチに活躍されている方なんですね!

日本への愛をとても感じました!
世界中にこうした方々がたくさんいらっしゃると思うと、なんだかとても嬉しくなります。

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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