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【コルチャック先生】 書評#111

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、教育?歴史?いや、子どもの権利です!
子どもの権利の父のお話し。

ヘッダーは、相互フォローさせていただいている水彩作家yukkoさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

近藤 二郎(著)
朝日新聞社 出版
1995年6月15日 第1刷発行

全255ページ
読書所要期間9日

私が本書に出会うきっかけ

コルチャック先生は、「子どもの権利の父」と言える存在。
仕事上「子どもの権利」を扱ってきたが、これまでコルチャック先生について学んでこなかった。
全然知らなかったため、勉強知ろうと思い手に取ったものである。

私が思う、この本の本質

先の二つの大戦前後の時代を生き、人々の人権が脅かされる中で、等しく子どもの権利まで目を行き届かせる。
当時としては、いや、今もなおと言った方がいいかもしれないが、極めて先駆け的な考え方を持っていた彼の人生を、彼が生まれた激動のポーランドを軸に、その歴史を踏まえて振り返るものである。

私が感じたこと

1点目 〜ルソーの「エミール」

本書P92から93にかけて、「やはり出てきたか〜っ!!」と興奮すら覚えた。
「エミール」という本により、つまりルソーがその本の中で「子ども」の概念を発見し、それをまとめていると私は理解している。
「子どもの権利」は、その概念の上に立たなければならない。
コルチャック先生は、やはり大変強くルソーの考え方に共鳴していたと本書に記されていた。

ここで、「エミール」(岩波文庫)から、冒頭の、極めてインパクトのある一文をご紹介することにしたい。

万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。

岩波文庫「エミール」P23

子どもを大人よりも劣った存在として見るのではなく、一人の同じ人間として見習うべき、目を見張る能力すらも持ち合わせているから、大人がとやかく介入し過ぎず、しかしまだまだ発達途上にある存在として優しくあたたかいまなざしを向けるべき対象と捉えていると私は理解している。

すでに持ち合わせている大人の発想という小さな枠組みに押し留めることは、なんとも勿体無いことかと考えることができる。
大人が持っている価値観を遥かに飛び越えたものが創り出される芽を、私たち大人は潰してやいないだろうか。

私には、4人の娘がいるが、それを思うと胸が痛む・・・
一方で、全く野放し、無秩序ではいけないし、そのバランスが非常に難しいと改めて思う。

2点目 〜1対35 の”指導”観

現在の日本の義務教育、とりわけ小学校中学年位までは、先生1名に対しこどもの数が35名以下とする基準へ徐々になってきていると認識している。

何かクラス内で
・問題が発生したとき
・意見が割れたとき
などなど、先生は大岡越前よろしく、常に正しいお沙汰を下さなければならないと、自身を律している方々が非常に多いのではないだろうかと、肌感覚で感じている。

つまり、大人対子ども、1対多数、1の先生が多数の子どもを指導する、正しい方向へ導くという信念をお持ちなのだと思う。
これは実に素晴らしいこと、誰もが持ち得ない考え方だと思う。

しかし、それって実はめちゃくちゃ大変じゃないだろうか。
多数の子どもたちの上に君臨するのは、とても労力とプレッシャーがかかる。
だったら、一段下に降りて、子どもたちと共に考えることができれば、気持ちも少しは楽にならないだろうか。

今日の日本の先生は、何でもかんでも背負いすぎる
それを下ろすサポートをするのが私たち保護者・地域の役割ではないだろうか。

なんでだろう・・・
不思議と本書を読んで、
「私が先生になったらどうするか?」
を考えている・・・

本書は、学校の先生の肩の荷を下ろす役割を果たすのかもしれない。
そして保護者と地域の方々へは、先生の肩の荷を少しでも引き受ける役割を果たすのかもしれない。

むすびに(まとめ)

子どもの権利に基づく「自治」
これが本書の、コルチャック先生の考え方のキーワードであるのは間違いないだろう。

本書は、

  • 近代世界史

  • 近代ポーランド史

  • 近代ユダヤ人史

  • 近代教育史

  • 子どもの権利史

  • コルチャック記

  • 近代子ども史

こういった要素で非常に優れた本ではないかと、素人ながら感じている。


以上です。

コルチャック先生の生き様を垣間見て、先生も悪くないと少しだけ思えました。
誤解のなきように付言すれば、私は子どもの頃から親に「先生になれ!」と育てられてきました。
ですので、子どもながら「絶対に言う通りにならねぇ!」と心に誓って生きてきました。
つまり、決して先生が嫌いとか憎いということではなく、親の敷いたレールに単純に乗っかって生きるのが嫌だったということです。

しかしながら、「子どもの権利」という視点で子どもに関わり、部分的に先生の真似事みたいなことはさせていただく機会があり、結果的に親の言うとおりになってしまっている?と感じることがありますw

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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