【子ども若者の権利とこども基本法】 書評#108
みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。
自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!
今回は、子どもの権利とそれに関する法律についてです!
ヘッダーは、山内コーヘイさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!
目次
基本情報
末富 芳(編著)
明石書店 出版
2023年10月20日 第1刷発行
全277ページ
読書所要期間2日
私が本書に出会うきっかけ
これは、私の上司が直接編著者の方から頂戴したものを、私も読ませていただいたものだ。
子ども若者の権利とその確立を目指すこども基本法。
これらはまさに、今の私の関心事である。
この本の本質
1989年の国連総会において採択され1990年に発効し、日本では1994年に批准された、いわゆる「子どもの権利条約」。
30年の時を経て、日本でようやく2022年こども基本法が成立した。
これを踏まえ、日本においてこども若者自身の権利を尊重した実践や、それを目指す政策の現状を整理し、これからどのように発展させていくのかを展望することが、本書の目的であると明記されてる。
保育・教育・福祉・司法・労働・医療など、あらゆる分野でこども若者と大人たちとの関わりについて、「共通のビジョン」を持ちながら進んでいくための手がかりが示されている。
私が感じたこと
1点目 〜『子どもの権利=わがまま』 論
みなさんは、これを見てどう思うだろうか?
全くその通りと思うか、何を言っているのか全くわからないと思うか。
私は後者だった。
前者のような考え方があることを全く認識すらしていなかった。
しかし、これまで子どもの権利を仕事の一部としてきた中で、こうした論があることを目の当たりにしてきた。
仕事上であるアンケート調査を実施したとき、全く同じ回答が一部から認められたのだ。
「一定程度管理しなければ、子どもは真っ直ぐ育たない。」
「大人が乗り越えられてしまう。」
と。。。
ここで言う「真っ直ぐ」とは何なのか?
「大人が乗り越えられる」とはどういったことを指すのか?
それらは、大人たちが一方的に描く、都合の良い子どもの姿が言外にあるのではないだろうか?
子どもの「主体性」がクローズアップされる昨今の教育業界のトレンドにおいて、その予想通りに子どもの主体性が育った時、ともすれば扱いにくい子どもが増えて仕方ないことだろう。
主体性とは、自分らしさを自ら追求することだと私は理解している。
だから、大人に対してしっかりと自分の考えを伝えることができる、つまり、大人の言った通りに付き従う子どもはいなくなるということだからだ。
よって、ある種で面倒な子どもを量産するのが今の教育の目標とすら言えるのではないかと私は捉えている。
しかしながら、真に子どもの権利・基本的人権が尊重されるとき、自分の意見をしっかりと伝えられるようになるのと同時に、相手にも意見があることを認識し、相手の意見をしっかり聞くことができるようになるのではないだろうか。
つまり、「自由の相互承認」が真に実現・実践されるということだ。
自由の実現には、「対話」が付きものであると考えている。
「対話」は、相手の話も聞いた上で、尊重されなければ成立しない。
としたときに、前述の「面倒な子」は、そもそも存在しない。
以上のことから、「子どもの権利=わがまま」論は成立せず、むしろ教育の本来の趣旨である「平和な社会を実現するための人材の育成」に完全イコールとなるものであると私は確信している。
2点目 〜当たり前にネットが家庭にある社会で・・・
子どもが毎日楽しんで、学ぶためにネットを使う権利があると言えるか?
また、その保護者は、どの程度制限していくべき義務があるのか?
本書第9章は、「デジタル時代の子どもの権利と最善の利益」と題され、そこを見て思ったことである。
前者の子供たちがネットを利用する権利については、当然にあるのだろうと思うし、低年齢化が危惧される昨今ではあるが、子育て中の家事などにおいて、ネットは子どもを惹きつける欠かせないアイテムであり、もはや炊飯ジャーや食洗機などと同様の家事道具に分類されても良いのではとさえ思われる。
一方で、保護者はどの程度制限する義務があるのか?という点については、私はそもそも義務ではないと言えるなぁと読み終えて感じた。
この章を書いた竹内和雄氏は、デジタル時代に求められる権利として4つ挙げているが、これら4つの子どもの権利を守ることが保護者の責任・子どもへの支援策であり、決して”義務”ではないのだと思った。
年長者が、我が子にスマホなどの端末を与えて、黙って過ごさせる若い保護者を見て苦々しく思っている様な場面が少なからずあるのではないだろうか。
しかしその保護者たちは、もうすっかりそうした社会で育ってきたのだ。
彼ら彼女らにとってそれは、当たり前なのだ。
テレビが出始めた時代にそれが批判されてきたように、ケータイが出始めた時代にそれが批判されてきたように、時代の変わり目・節目節目には必ずこうした言説が流れる。
私たちは、大消費時代の流れに身を任せて、我が棲家地球を痛めつけているにも関わらず後戻りできないように、超スマート社会も、もう今更狩猟採集時代には戻れない。
その流れにどう上手く身を寄せていくか、あるいは、少しでもコントロールできる様にするか。
私たちの選択肢は、もうこれくらいしかないのではないかと考えている。
こうした姿を苦々しく見ておられる方々、どうか断片的な状況だけで判断せず、あたたかく見守っていただきたい、理解を示していただきたい。
どちらかと言ったらそちら側に近い子育て世代として、お願いする。
厳しい目を向けられながら、それでも相談する場所や相手もなく、必死に今の時代と、そしてそこに生まれてきた小さな命が持つ大きな意志と、彼ら彼女らは闘っているのだ。
むすびに
今、日本は大きく変わろうとしている。
子どもを取り巻く子育て・教育についても例外ではない。
むしろ、ここを起点に社会の仕組みを経済とともに変えていこうと見ることもできる。
今の日本は、当時の産業革命や明治維新の様な過渡期なのだろうか。
何か大きく変わらなければ、令和の時代もまた、平成と共に失われた時代・空白の時代となってしまう。
今変わらなければ、もうチャンスはないのではないか?
ラストチャンスを手にできるかどうかが今。
そう考えているのは私だけだろうか。
以上です。
まぁまぁの厚さでしたし、内容でしたが、一気読みしてしまいましたw
本書はシリーズ全5作のうちのNo.1。
他の4作も大変魅力的なタイトルになっていました。
機会があれば、ぜひ読んでみたいと思います!
本日も、ご覧いただきありがとうございました!!
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