田舎が発展しない理由

地方には、根本的な課題がある。働き手が少ないという問題だ。

これは結局のところどこと比較するかの問題になるが、地方が大都市と比べ経済的に豊かになりにくい原因は、純粋に雇用が少ないからである。

雇用を増やすにはどうすればいいのか、働ける企業が地方に多くあることである。

もちろん観光などでブランド化されている場所もあるかもしれないが、それも含めて、地方が経済的な豊かさを得るにはより多くの人がその場所で消費活動を行わなければならない。

そこで働くことが自分にもたらす経済的メリットが大きければ、地方に踏みとどまる人はもちろん多い。

むしろ、東京などの大都市には行きたくないという考えもあるだろう。単純物価が高いからだ。経済は常に相対的で、日常生活においてはその地域の経済状況の中で生活しているため、給料が安い地方なら当然物価も低いし、全ての生活コストも下げられる。大都市は物価が高い分、その分絶対値としての待遇も高い。

だから、その内部だけでの相対的で言えば地方と都市は変わらないとも言えるが、これは「よくよく考えてみたら解決すべき課題がなかった」ということにはもちろんならない。

地方に働き手が少ない理由は、就職の選択肢が圧倒的に少ないことがあげられる。インターネットによって「場所」の概念が薄まり、今後はリモートでの雇用体型もある程度は普及してくことが予想され、地方にいながらも東京の企業で働きキャリアを積む、という選択肢も出てくるとは思う。だが、全体からの割合で言えばやはりそれは一部に止まると考えた方が自然だし、楽観視する意味も特にない。

つまり、雇用を増やすために解決するべき事は「地方でビジネスをする事にメリットがある」事を多くの人が感じられるかどうかという点にある。

「スマートシティ化」しているかどうかなどは、地方発展に大きな意味を持たない。むしろ、地方にビジネスチャンスがあると見るから、そこにニーズがあるから地方はスマートシティ化するのだ。だから、スマートシティになったからといって地方経済が特別活性化する直接の要因になるわけではない。

もちろん、地方都市が発展していくことも含め、社会的な出来事は何か一つの出来事だけが要因になっている事は稀だし、もちろん「スマートシティ化」することも、地方都市の近代化的なイメージアップにもなる。

誰かがある場所で儲けているなら、他の会社も地方に拠点を構えるようになる。「街」という経済圏はそういうふうに作られていくものだし、自然発生的かつ結果論的なものだ。

逆に言えば、大都市は連鎖的に人が増えていくし、地方はその逆の現象が起こる。地方で暮らす事がコスパがいいとは知っていても、東京に若者が行くのはそもそものお金が都市に集中しているからだ。

実際問題、こういう言い方をすると反感を買うかもしれないが、地方は「地方らしい」求人に溢れていて、そこに若者が意欲や未来性を感じさせるものは多いとは言い難い。

人がいないという事はニーズがないという事だ。ニーズがなければものは買われない。ものが買われなければ経済は発展しない。

「地方の豊かさは経済うんぬんじゃない」という考えももちろんあるだろう。しかし、お金は、商品は贅沢以前にガソリンの役割を果たす。燃料がなければどんどん経済は縮小していき近代的なものからは離れていく。

もちろん近代性が全てとも思わない。しかし、「文明の享受」はお金ありきだ。お金は文明の燃料である。自給自足の生活が好きかどうかは結局のところ好みの問題である。自給自足の生活は一見自由で気楽なように思えるかもしれないが、電気も水も使えない。医療機関も使えない。もちろん自分の家もDIYだし、その家は冬は寒く夏は暑い。少なくとも近代化は人類を豊かにしていると言える。


「いなかま」のその中での役割

これは現段階では私の構想にすぎないが、地方でビジネスが活性化していくにどうすればいいかと考えている。

絶対にここに対する潜在的なニーズはあると私は考えているし、ここを支援するのが「いなかま」のコンセプトであり目指すところであるとも言える。

ネットワークがここまで文化に浸透している現代であれば、「憧れ」というのは醸成されやすい環境であると言えるし、学校に通わずとも情報は簡単に手に入る。そこで、競合がひしめく都心よりも地方で起業するのがいいと考えるのは自然な発想だ。

そこで欲しいのは「きっかけ」である。思い立ったとしても、それを形にする土壌がなければいけない。もちろん、たった一人でもビジネスは起こせる。しかし、他の人の協力があった方がその進行が早いのも明らかだ。

そこでのネットワーク作りが「いなかま」の立ち位置として目指すべきところである。企業が増えれば増えるほど、競争ももちろん激化するが、その分チャンスも広がる。そして企業間でもサポートし合うような構造がマーケティングの原理によって自然と出来上がる。

これらは全て同時に増加する。資本主義はこのようにして展開していく。マーケティングとは支援する事だ。


具体的構造「アカウント共有」と「いなかまFacebookグループ」

モデルとして考えているのは「発信媒体を共有する」という元からあった形は変わらない。これは、アカウントを共有することで、互いの影響力を利用しあうとともに、アカウントそのものを有益で強いものにしていくという発想だ。これは顔を直接合わせる事ができる地域コミュニティと相性がいい。都市よりも地方の方が場所に対する帰属意識が比較して強いこともその理由の一つとしてあげられる。

一見するとまとめサイトにも似ているかもしれないが、まとめサイトと違うのは、発信しているのがその当の本人だということだ。また、ライターを囲って大量に記事を投入するというような大戦略を打てないからこそ、協力してコスパよく、なおかつより生き生きした「強いメディア」を作っていく。

商品に飽和した現代においては「誰から買うか」という要素も強く、直接本人が書いているという印象は安心感もある。

新しいインターネットの形として「閉じたインターネット」「集落」というような言い方を聞いたりするが、「いなかま」はまさにそういった形だ。

これに追加する形で考えているのは、「いなかまFacebookグループ」を作り、そのグループ内で仕事の受注のやりとりをスムーズに行えるようにするという形だ。共同でプロジェクトを立ち上げるハードルも低くなり、よりビジネスが円滑に進みやすくなる。(もちろん新しいプラットフォームを作ることもいいかもしれないが、既存のプラットフォーム上で完結するなら特に新しいものを作る必要性はない。)

メディアでの発信者とFacebookグループに入っている人は必ずしもイコールである必要はなく、Facebookグループは、発信よりも敷居が低いものだと考えている。

スキルや起業意志を持った学生などもそのグループに入ることで、プロフィール上で自分のスキルを提示して仕事などを受けたりする事ができる可能性も上がるし、学生同士で起業仲間を見つけることも可能だ。

そうして地方発展の「きっかけ」の接点を増やしていく事が「いなかま」の役割であり、目指すところだと私は考えている。


(written by りゅう)




りゅう

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「いなかま」のWeb戦略プロジェクトを起案。チーム内ではwebマーケティング主に担当。

また、個人でもnote,YouTube,Twitterの各媒体で発信していて、日本では色違いポケモン並に希少な哲学系YouTube【哲学解説channel】を運営。魔導書級にわけわからん哲学を思考停止しながら見ててもわかるように解説してます。

いなかまのプロフィール画像の3人は何年も前から一緒に活動していて、僕は2020/3月あたりからチームに加わっている新メンバー的な人です。写真はそれよりも前に撮られたものなので、僕はあの写真には写っていません。


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