2020年コロナの旅31日目:路面電車の都プラハ、リダとのデート
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8時半ごろ目を覚ますと私以外の3人はすでにいなくなっている。旅人の気安さ。悪い人間関係もすぐに去ってしまう。良い人間関係だって去ってしまうし、それには少なからず寂しさを感じるのだが、どんなに気が合う人だって長く一緒にいすぎれば嫌なところも目に付いてくるだろう。少なくとも、そんな風に考えてしまう私の肌には旅の空が合っているように思う。
今日はリダとデートの日だ。会うのは午後三時の予定だが、朝から落ち着かない。
仕事がひと段落ついたので三時まで観光に出かけることにする。プラハはクラクフと同じく、中世の趣を色濃く残した街である。クラクフと違うのは、街中至る所に路面電車が走っていること。路面電車の発達は共産主義の残滓と聞くが、確かにかなり年季の入っていそうな車両も稼働している。後で鉄道好きの友人に聞いたところ、鉄オタの間ではけっこう有名なのだそうだ。確かに中世の街を赤い車両が縦横無尽に走る様には独特の魅力がある。
ギネスブックに世界最大の古城として掲載されていると言うプラハ城を目指して緩やかな坂道を歩いて上る。
途中でも面白い建築を多く目にした。旧市街広場のからくり時計や火薬塔、それらに負けず劣らず重厚で古色豊かな建築に満たされた街の古色豊かさは、日本では殆ど感じられないものである。「ボヘミアの川よ、モルダウよ」というスメタナの曲で有名なモルダウ川の雄大な流れにかかるカレル橋に立てば、丘の斜面に築かれたプラハの街の主要部を一望することができる。世界で最も美しい街という呼び声も高いこの神聖ローマ帝国帝都の石畳に無骨なブーツの足跡を刻む旅人の感傷は一入であった。
プラハ城の入り口の間際にはスターバックスのテラス席があった。私が知る限り最も価値のある土地に作られた店舗である。眼下には霞のプラハを一望し、すぐそばには9世紀から続く王城を感じる土地。
城の門前に着くと、衛兵の交代式に出くわした。多くの人が集まって見物している。どこかの政府の要人でも来ているのか、中の見学はできないようだった。どちらにせよ今日私にとって一番大事なのはデートであって、そのためにも本格的に観光して疲れ果ててしまうのは得策ではないと判断し、早々に街に戻った。
相変わらずSIMカードがうまく作動していないため、WIFIを使うべく手近にあったマクドナルドに入る。リダに現在地をおくる。
「ヴァーツラフ広場にいるのね。どこか行きたいところはある?」
「君といられればどこでもいいよ。この街はどこも綺麗だしね。おすすめの場所ある?」
「嬉しいこと言ってくれるけど全然参考にならないわよ。まあじゃあ好きなカフェがあるから、そこで待ち合わせましょう。」
マクドナルドで地図をダウンロードして、トイレで身だしなみを整えてからカフェへ移動する。
開放的な、ちょっとイケア的な内装のそのカフェは満席だった。リダよりも一足先に到着して店員に2人分の席があるか聞くと、
「今日は5時まで予約でいっぱいなのよ。」
と言われた。WIFIを使わせてもらってリダにその旨伝えると、
「とりあえずカフェに向かうからそこで待ってて。」
という。程なくして彼女が現れる。働いているときには白いTシャツに淡いデニムのシャツを着ていたが、冬のプラハの寒気に対抗してモコモコのダウンコートを着ていた。
「あったかそうだね。」
「わかる、わかるよ。本当はおしゃれしたかったんだけど、寒すぎて無理だわ。」
彼女は私が嫌味を言ったように受け取ったらしかった。
カフェは空きそうもないので、少し散策することにした。真冬の公園や道々に生えている木々は、ありていに言って殺伐としている。リダはしかし、こういうのも素敵よね、と言った。私は素直に同感だと思った。葉っぱが完全に落ちてドス黒い樹皮をあらわにしている木々は何となく、エルフの住む森にでも生えていそうな雰囲気で、私の隣で長いダウンコートに動きを制限されてトコトコ歩いているリダも色が白くて肌のきめが細かく、どこかエルフ的である。中世的な街並みも相まって、指輪物語の世界にでも紛れ込んだような気分。私はアラゴルン、彼女はアルウェン。というのはとても気障な比喩。この時の木の写真を私も取っておけばよかった。彼女はクラウドの容量がないのですぐに写真を消してしまうのだ。
行きたいところはないかと聞かれたので、近くにあるらしいダンシング・ハウスというのに行ってみることにした。
うねったガラス張りの建築は確かに、踊っているように見えた。
「面白い建物だね。好きかも。」
「え、そう?私は嫌い。この街に合わないわ。」
私は意外な返事に驚きながらも、さもありなんという気がした。日本にも、似たような例はごまんとある。新奇な建物ができたせいで古い街並みの調和が壊された例。私は小さい頃そのような場所を蛇蝎のように忌み嫌っていた。今はより純粋に綺麗なものを綺麗と言いたい、という多少大らかな心持になっている。
私の思い過ごしかもしれないが、彼女は強い意見をジャブのようにぶつけて私の出方をうかがっているようにも感じられた。あまり意見を翻して彼女に賛同すると根性なしと思われるかもしれないので黙っていると、
「コウスケ、この建物は嫌いなんだけど、あなた今めちゃくちゃ絵になってるわよ。ちょっとこっち立って。ケータイ貸して。」
彼女は何枚か私の写真をとった。
「やっぱりあなたモデルにならない?絶対向いてるわよ。でも本物は写真よりもっとかっこいいなあ…」
彼女は私の容姿をどこまでも褒めてくれる。私もスマホを借りて彼女の写真を撮るが、彼女のお気に召すことはなかったようだ。消してしまってもうないらしい。
歩きながら身の上話をする。彼女は27歳。パリで美学を学んでプラハに帰ってきて、今は学校でグラフィックデザインと心理学を学びながらチェックインで働いているということだった。
寒いので適当なカフェに入る。飲み物はいらなかったので、何か食べ物がほしいというと、リダにバボフカというチェコのシフォンケーキのようなものをすすめられた。
「ほんとうは私がつくるバボフカ食べてもらいたいんだけどね。めちゃくちゃおいしいんだから!」
と息まく彼女は可愛らしい。人にはバボフカをすぐにすすめておきながら、彼女自身は何を頼むか随分悩んだ。あーーー、とか、うーーーーん、とかいいながら、結局紅茶を頼む。唐突に星座を聞かれた。しし座だと答えると、ああ、道理でカリスマがあるというようなことを言った。
「ねえ、私の星座わかる?」
「ちょっとまって、当てさせて。ううむ、いて座かな。」
「違うよ!なんで?」
「いつもなにか洞察しているような目が射手を思わせる。」
「おおーなるほど。ね、ね、もう一回あててみて!」
「じゃあ、てんびん座かな。」
彼女は息をのんだ。あごを斜めに引いて上目遣いに私を見つめながら、
「な、なんで?」
と動揺しながら訪ねる。
「優柔不断だからだよ。てんびん座は公正だけど、吟味に吟味を重ねて判断するからなかなか決まらないんだ。」
「すごい…なんでわかるの。てんびん座だよ、私。」
「実はほんとうは最初からてんびん座だと思ってたんだけど、初デートで優柔不断なんてあんまり指摘したくなかったんで射手座と言ってみた。」
「すごすぎる…」
「まあ12分の1だからね。そんなにすごくもない。」
「私、星座占い好きなの。あなたは信じてる?」
「信じてないよ、全く。」
「あたしもね、信じてるわけじゃないんだけど、考え方として面白いなって。それを信じてる人がたくさんいるってことは、何かあるんじゃないかって思っちゃうんだ。」
こういって自分はちゃんと科学的教育を受けているということを強調するものの、内心大いに星座占いに傾倒しているという女性は多い。リダも結論から言って、心底星座占いを信じているようだった。私が付き合ったことのあるオーストリア人も、アイスランド人も、ルーマニア人も、イタリア人も、全く同じスタンスだった。日本でいう血液型のようなものか。
この時は、リダが星座占いを信じていたことは良い方向に働いた。私がすぐに彼女の星座を当てたので運命の出会いということになったらしい。
私も、科学的手法を信じるからこそ、頭ごなしに占星術を否定する気はない。故に、彼女が信奉しているものをすぐさま否定することはしなかった。それは科学的に誠実な態度とも言えないし、何よりデート相手として最悪のふるまいに思われた。
「それで、てんびん座としし座って相性はいいのかな。」
「ええと、分からないわ。」
「あ、そう?かなり興味がありそうだから知ってるのかと…」
「興味はあるんだけどね。でも全部覚えてるわけじゃないのよ。占星術って本当に奥が深いんだから。」
「歴史があるものだし、そうなんだろうな。でもしし座についてはどう思う?」
「どうかな。あなたはしし座っぽい。カリスマがあるもん。」
「そうか。君もてんびん座っぽいと思うよ。モラルコンパスがはっきりしてそうだ。」
道々、彼女がいかに犬が好きで、犬をいじめる人を憎んでいるかということを聞いていた。彼女は犬を、「古い魂」と表現した。思慮深さを感じるらしい。たしかに私も、大型犬のけだるそうに眉をもたげた表情や遠くを見る目に知性を見出すことがある。はしゃぎまわる小型犬には極めて若い魂あるいはほとんど魂の不在を感じるが。
「そうね。あと、美にうるさいのもてんびん座の特徴ね。あなたみたいに美しい人は良いけど、醜い人には絶対に優しく接することができないわ。」
「うわ、危ないところだった。じゃあ逆に嫌いな星座とかもあるのかな。」
「牡羊座かしら。つまらないわ。」
その時、奥に座っていたおばさんからヤジが飛んできた。
「大きなお世話よ!聞こえてるわよ!」
あちゃ、という表情で肩をすくめたリダは小動物のようだった。
しばらく談笑して私はリダとカフェを出た。いつか彼女のバボフカを食べさせてもらう約束をとりつけて。
彼女をバス停まで見送りに行く。明日もまた会えるか聞いてみた。
「いいの?折角旅行で来てるのに私とばかりいてもつまらないでしょう?」
「そんなことないよ。むしろ君みたいな地元の人と散歩できてありがたい。明日の朝はウォーキングツアーに参加するつもりだし、観光客の本分も忘れないからさ。」
「そっか!やった!実は一緒に行きたいところあるんだ。また連絡するね!」
私はほくほくして宿に戻る。レセプションにはヴラドがいた。腹が減っていたし、ちょっとお祝いしたい気分だったのでレストランを薦めてもらうことにした。
「ヴラド君、この辺で安くてうまいレストランある?ちょっと遅いけどまだ空いてるところ。」
「おお、おかえり。安いところか…あ、すぐそこ曲がったところに、U Bulínůっていう店があるよ。あんまり安いかは分からないけど。ここらじゃ外食はどこも高くつくからね。まあそこなら1000円くらいで食べられるんじゃないの?」
アメリカ訛りの英語を話すカザフスタンの美青年に礼を言って今入ったばかりの戸を出た。美形と言えばこのヴラドは、ディズニー映画のヘラクレスを10頭身の細身にしたようなすばらしい美形なのだが、リダが彼に興味を持たない理由は彼が「僕のボーイフレンドが…」と言った時に分かった。ヴラドの方でも女性に興味がないし、リダは男らしい男にしか興味がないということだったから。
ウブリヌは宿から歩いて2分ほどのところにあった。チェコの大衆レストランはだいたい「ウ・○○」と名づけられている。「○○のところで」というような意味らしい。ヴラドはそれが気に入っていて、「めっちゃくちゃかわいくない?」と言った。
ここでもメニューがチェコ語なので店員に確認する。空いているので聞きやすい。店員も寡黙な印象ながら親切に教えてくれた。
豚肉を煮たものを頼む。細切れのクネドリキのようなものが添えられていた。申し訳程度に何かの青菜も載っている。
宿に帰ると私以外の3人は全員去って、隣のベッドにペイトンというオーストラリアの巨漢が入っていた。坊主頭に髭のいかつい容貌だが気さくな男で、翌朝のウォーキングツアーに一緒に行くことになった。終始半裸でベッドにいたが、当時世間を騒がせていたオーストラリアの山火事について心を痛めていたようだった。