2020年コロナの旅36日目:うっかり野郎なんとかブラチスラバへ

2020/1/21
プラハを去る時が来た。リダのもとを去る時が来たわけだ。まだ見ぬ土地、ブラチスラバへ。

荷物をまとめてチェックインをチェックアウトする。

ひどい口論の翌日ではあったが、リダは「さすがに見送りくらいするわよ。」と言って駅までついて来てくれることになった。

どのプラットフォームに行けば良いか分からず右往左往した後、私の列車が5番ホームに到着したアナウンスがあったので二人して走る。なんとか出発前に間に合い、私がタラップに足をかけた時、リダが私の腕をつかんだ。
「いかないで。」
私はしばしフリーズした。まず呆然とし、そして散々どこかへ行けと悪態をついておいて、今更行くなと言われている事実が知覚されるにつれて怒りが込み上げてきた。それに、もう電車も宿も予約してしまっている。
「今から旅を急に辞めることはできないよ…」
「そうよね…分かってる。ごめんなさい。気にしないで!」
「一緒にいたいのはやまやまだが…」
「あなたはヨーロッパに旅をしに来たのよ。初心を忘れちゃだめ。」
私はかなり憤ってはいたが、そんな一時的な感情の起伏で大事な人を、彼女との潜在的な未来を失ってよいのかという気持ちも一方にはあった。リダは、私の人生を賭して追い求めるべき人だろうか。大好きな気持ちは直視しつつも、将来の自分に対する責任を負う者として、彼女のこういう気まぐれに付き合って振り回され続ける人生を選ぶことは自らに対して長期的に誠実だろうかという問いも捨てたくはなかった。

結局、私はその場では答えは出せなかった。リダが背中を押したので出さずに済んだというべきか。私はリダの言葉にのっかる形で、出発する電車に残った。リダが残るホームが加速度的に遠ざかっていくさまを見ながら、やるせない気持ちになる。

座って窓の外でも見遣って感傷に浸ったりしてみようかしらんと思い自席を探す。しかしどうも見つからない。私の席に見知らぬ人が座っている。その人のチケットを見ると確かにその座席の番号が書いてある。しかし私のチケットにもその番号が書いてある。添乗員さんに聞いてみる。
「ダブルブッキングかもしれませんね。調べてみます。」
しばらくして添乗員さんが帰ってきた。
「あの、もう一度チケットを拝見してもよろしいですか。」
チケットを見せる。
「あ、これ明日のですね。」
「え?」
なんと私は間抜けなことに翌日の乗車券を購入していたのである。つまり、今日プラハを出る必要はなかったことになる。リダともう一日一緒にいられたかも…
チケットの問題は簡単に解決した。添乗員さんが当日の空席を見つけてくれ、翌日分の無駄なチケットをキャンセルしてくれたのだ。それなりに愛想も良く、周りの乗客もそこまでジャッジメンタルではなさそうなので助かった。

晴れて自分の席を確保できた。やっとゆっくり車窓を眺めながら感傷に浸ることができる。

しかし窓の外の景色は急激に変化していた。パラパラと白いものが降り始め、チェコ第二の都市ブルノに到着する頃にはかなりの降雪であった。私は雪が大好きなので、リダのことであまりくよくよすることなく時が過ぎていた。リダに雪の写真を送る。

ブルノの駅で2時間ほど待ち時間があるので駅の近くの大型スーパーマーケットで時間をつぶす。

鳥の丸焼きが100コルナ(約500円)…これを執筆している2024年1月現在では考えられないほど安かった。今ほど円安ではなかったし、何よりあれ以来現地のインフレが著しい。

結局電車の中で食べることも難しそうなので丸焼きは見送り、駅で奇妙な植込みの写真を撮ってリダに送ってからブラチスラバ行きの電車に乗り込む。

ブルノから1時間ほど電車に揺られるとそこはすでに隣国スロヴァキアの首都、ブラチスラバである。首都の駅であるが周囲は既に漆黒の闇に包まれ、灯りなどほとんどない。電車やバスの類に乗るために現金を下ろしたいが、稼働しているATMが一台もない。薄暗い駅構内にはほとんど人気はないが、たまにあまり感じのよくない人々が徘徊している。

私は辛うじてつながっていた駅のWi-Fiで予約していた宿までの地図をダウンロードし、徒歩で目指すことにした。

革靴を履いて大きなバックパックを背負って30分も、東欧でも最貧の部類に属するこの国の郊外を歩き続けるというのは多少気の滅入ることではあったが、バックパッカーとして慣れっこでもあった。しかし肩が凝ってきたので用心したい。

プラハとは比較にならぬほど小さい旧市街に入る。宿に行く前に腹が減ったしトイレも使いたいので道端にあった薄暗いバーのようなピザ屋に入ることにした。

巨大なピザの巨大な一切れを100円ほどで頼んでオーブンで美味しく再加熱してもらうところまでは月並だが、渡されたニンニクペースト油の壺が印象的であった。この国ではニンニクを極めて多用するらしいことが後に分かる。

ニンニクマシマシのピザを食べて先ほどまでの空腹と寒さと疲労からくるみすぼらしい感じがかなり払拭されたところで宿へ赴く。

宿は幸いそれなりに活気がある。しかし通された部屋は随分狭く、また二段ベッドも随分頼りない骨組みのものだった。その割には堅牢そうなロッカーが備え付けられている。

4人部屋の下段のベッドに黒人の綺麗な女の子が座っている。「見てこのベッドやばくない?」と言ってギシギシとベッドを揺らす。スカイラという名前のその女性はアメリカ出身で、単身東欧を旅しているのだという。私が彼女との会話の中ですぐさまリダの名前を出したのは、既にお互いに心惹かれかけていることが感じられたからだった。私はリダにあそこまで言われて、自分の高潔さを示さないわけにはいかないのである。しかしスカイラは猛烈にチルくてかっこいい人だった。

私がスカイラに対してガードを固めている背後から、もう一人の同居人が入ってきた。ブーツを履いたその女性は、探検家のような男勝りな装いをしている。しかし全身がネイビーでまとめられているのでどこか都会的でもある。黒々と濃く波打つ髪と、これもまた濃く、鋭い眉の下には優しげだげ知的な茶色の瞳がらんらんと輝いている。
「やあお二人さん!オリヴィアよ。よろしく。」
「やあ、俺はコウスケ。君はイギリス人?」
「そう!訛りで分かった?そういうあなたはどこの人?」
「俺は日本人だよ。」
するとオリヴィアは突然日本語を話し始めた。彼女はどういうつもりで言語オタクの私の心をこんなに乱暴に揺するのだろうか。私はびっくりしたが日本で少し受け答えする。スカイラが「何が起こってんの?」とヘラヘラしている。
「私が育ったところは日本人とユダヤ人が多いんだ。だから小さい頃から日本語に触れてきたし、ちょっと勉強してたんだよね。私はユダヤ人だから主にドイツ語を学んでたんだけど。」
「Ach du sprichst auch Deutsch oder was?」
「Ja! Du auch? Aber wieso?」
スカイラに
「いや英語でしゃべってけろ?」
と突っ込まれるまでドイツ語と日本語で少し話した。彼女が私を見る目には好意の光が宿っていた。私がどんな目で彼女を見ていたのかは分からないが、私は彼女にリダの話をしなかった。

そのホステルの地下にはバーがあり、夜な夜な世界中から集まった若い旅人たちが集まって宴会を開くという。

私はシャワーを浴びてからスカイラとオリビアに合流する。

バーに降りると二人はカウンターで飲んでいた。
「もうちょっと人が増えたら何かゲームをするらしいよ。」
瓶からビールを飲みながらオリビアが言う。

後ろの方から我々に声がかかる。
「そこのお三方!ツイスターやらない?」

ツイスターというゲームを私はメンインブラックという映画で見かけたことしかなかったが、三人でプレーした結果私が優勝し、賞品としてウォッカのカクテルをもらった。

そうこうするうちに20人近くの若者が集まってくる。ブラチスラバに到着した当初の寂しい風情からは想像もつかない、若い熱気に満ちた空間がそこにあった。

never have I everなど、欧州のお決まりのゲームが始まる。私はオリビアとスカイラの間に座っていたが、あまりにも人数が多くてターンがなかなか回ってこないので自然と彼女らや近くの人々とよく話すことになる。特にオリビアは名前をカタカナにしてほしいなどと色々口実をつけてかまってくれた。彼女は名字もかっこよかった。

みな酒も深まりぽつぽつと部屋に戻る者もあらわれる。私とオリビアとスカイラは別室に移動し、そこで愉快なアフリカの男たちとオーストラリアの精悍な青年、そして18歳のドイツ人のセバスティアンと話しこんでいた。

私と同室の2人とセバスティアンはみな翌日の夜行バスでブダペストへ旅立つことになった。翌日のフリーウォーキングツアーに備えてとりあえず寝ることとする。




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